れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

私はエンプティー。どうしようもない程のエンプティー。

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見えないもので溢れているこの街を、美しいはずのこの街を、ただただ私は歩くのだけど、

辺りに落ちてある沢山の“美”を感受する能力は私には無くて、沢山見落とし、沢山を無駄にしていた。

今日はなんだかそれを勿体無いな。と、この住み慣れた街で、1人佇んでいたのだった。

 

ただ歩いてるだけ、何も掴めてないんだ。と、

空っぽのポケットに手を入れてエンプティーを睨んだ。

ユラユラと潤む瞳は、誰にも気付かれずに一滴だけ何かを零し、すぐに渇いてしまった。

悔しい事に跡にもならなかった。

 

 私は私がいつの時も憎かった。

なんだかそれが今日はとてつもなく悔しかったんだ。

 

この世に生を受けた者として、とても恥ずかしくて、申し訳なくて、なんだかそんな自分をどうしても認めたくなかった。

だから私は徐ろに、街にカメラを向けて、時を止めてみたけれど、愚にもつかない事だ。と、その場に崩れ落ちそうになった。壊れそうだった。

 

 

 私はいつも、もがくだけで、取りに行こうとしないし、

悲しむだけで、苦しむだけで、駄々をこねるだけで、越えようとしない。闘う事もしなければ、得ようともしない。

もちろん身を削ったり、弱さを殺したりもしないし、我慢もしない。何もかも見ようとしなかった。

どうせ、私は空虚だ。空洞で、零していくだけだ。と言い訳をして。

 できるならば「見えないんだもの」で済ましたい。

だって怖いから、見てしまえば殺さないといけなくなるから、そんなのめんどくさいから、向き合わないといけなくなるから、目を塞いだ方がマシだ。と正当化をして。

 

 

でも今日はなんだかそれが勿体無いなぁ。と、空っぽのくせに一丁前に思ったんだ。

私は私に期待をしないし、励ましてあげることも

教えてあげることもしないくせに、

一丁前に勿体無い人生の過ごし方をしたなぁ。って漠然とだけど、思ったのだった。

 

 

私が転げ落ちる様を誰かは眺めていたけれど

手を差し伸べる事などしなかった。

「大丈夫だよ」と根拠もない期待をチラつかせ、“幸せ”を隠してくれた。

私は頭が悪いから、「見えないなぁ」と騙された振りをする事しかできなかった。

 

その理由は、ただ一つ

自分が嫌いだから。だった。

見ようとしないのは、越えようとしないのは

自分が気持ち悪かったから。だった。

 

答えはとても単純で、容易すぎた。

 

期待をせず信じてあげればいい。

見えなくても、見えると思い込めばいい。

辺りに落ちた“美”を自分が創ればいい。

それだけだった。

 

 

 

徐ろに私が止めた、住み慣れたその街は

いつもより少しだけ前向きで力強く見えた。

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 ちっぽけな私の背中を押して、微笑んでくれた。

エンプティーな私に、愛を映してくれた。

 

 

今日、私は見えなかったはずの街から

“愛”を感受できたのだと喜んだ。

決してこれは能力ではないだろうけれど、悔しさの雫が奇跡を起こしたのだと信じ込む事にした。

 

私は少しだけ好きになった。

いつもの街と、いつも通りの私と、確かに動くこの心臓を。

エンプティーだろうが構わないと、初めて思えたのだった。

 

 

かんたんえにっきvol.11

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さんがつじゅーににち、にちよつび

ずっとポテトだけを友達だと思い込んだ。

 

ポテトサラダ、じゃがバタ、ポテトとトマトとアボカド、、

ずっと友達を口に入れ続けて胃を満たした。

 

幸せだった。君が大好きだ。と何度も何度も言った。

 

けれど最後には

君じゃないものを口に入れたくなった。とポテトに言った。

私は友達にそんな悲しい言葉を吐いてしまった。

 

「だって嫌いになりたくないから」

もうしばらく友達を辞めようと言った。

 

大好きだったから、仕方なかった。

悲しいけど、まだ嫌いじゃないから、まだポテトは嫌いじゃないから良いんだ。と自分に言い聞かせた。

 

そんなポテトの日。よくわからないけれど、ポテトを友達にして悲しくなった日だった。

私の興奮材料の話。

少し前に、色々と考えていた“性癖”についてを今日は書きたい気分だから、聞いとくれ。

 

自分の性癖はもちろん、他人の性癖に以前から非常に興味があったので、私はずっと考え込んでいた。

性癖だけを聞けば、知りたい相手のプロフィールが一瞬にして解る気がするからで、

性癖はその人の悲しい部分のようで、聞いていてなんだか落ち着くからで。

つまり、誰かの黒色はなんだか萌えるし、「同じだ」と思える瞬間だからだと思う。

 

幼少期の話を聞けば相手が解る。みたいな話を前に聞いたことがあったが、それとよく似ているような気がする。

 

性癖を聞くという事は、私の中で1番手っ取り早く相手との距離を縮められる方法で、

気になった人には、「性癖教えてください」とドストレートに聞いてしまう私。

すると、もちろん「え?なんで、どうして?」と、引かれてしまうが、メゲナイ私。マケナイ私。

 でも、ある程度の信頼を築いていれば、相手は迷わず答えてくれる。ヨクヤッタ私。

 

相手の性癖を聞いているその時間は、なんとも言えない感覚になる。

ドキドキしてきて、前のめりになってしまう程にはワクワクしてしまう。

それはとても無防備な時間、最高な時間だ。

 

と、そこで私自身の性癖を分析してみた。

 

自分を必要としてほしい。自分の居場所が欲しい。

などといった奥の方に秘められた私の欲望から、

相手に支配される事で承認欲求を満たし、泣きながら相手を求める事によって、寂しさを補っているような気がする。

幼少期の愛情不足。心理的な不安定。

つまり、幼少期の“満たされなかったもの”を補う為にそれが性癖という形として現在の私に存在するのだと思う。

 そう、過去のトラウマなどが、性癖と大きく関係してるのではないか。と私は思った。

 

だからと言ってはなんだけれど、

気になった人の性癖を聞けば、その人の満たしてあげるべき場所を知れるし、弱い箇所を知り、そこを補ってあげることができる。

…と、そんな気がする。

それが究極の至高ではないか。と、思う。そんな気がするんだ…

 

私のトラウマと相手のトラウマが合わさり、色んなモノが緩和されるのであれば、

なんてそれはロマンティックなの。と興奮が抑えられなくなってきませんでしょうか。

と、これもまた私の性癖なのだろうな、如何なものか…

もう嫌だ、考えるのをやめよう。

 

まあ、相手のことを知りたければ性癖を聞け。という、何の根拠も無い勝手すぎる自論の話をした訳ですけれど

結局、“性癖”とは、とても美しい。という事です。

 

自分は異常な性癖を持っている。と自負して生きていますので、

私は今、顔の見えない誰かにペラペラと自分のアブノーマルな性癖を話したりはしませんが

(話すと興奮も半減してしまうので)

好きな人とする性癖の話は、非常に濃厚な時間を過ごすことができるので皆さんにオススメしたいのです。ええ、それだけなんです。

 

自分自身の性癖と、幼少期のトラウマなどを照らし合わせ、自身と向き合う時間もなかなか良いですよ。

稀に知らなかった自分と出会えたりするので、是非やってみてください。

 

自分を知る事。は、生きていく上での最高の武器になる。

性癖を知るという事。は、愛する上での最大の魅力になる。

 

さ、以上!解散だ、解散!散れ!

 

どれもパッとこないだろうが。

書けなくなってから、いや、正確には書かなくなってから

何度も書いては下書きに入れて。を繰り返していた。

 

長い時間を置きすぎると

その文章には“言い訳”か、“謝罪”しか並べられていなくて、なんだかどれもパッとしなかった。

軽く10記事くらいは、下書きに入っているのだけど、投稿するまでには至らなかった。

 

そう、「あぁ、つまらない。」という謎の理由のせいにして投稿ボタンを押さなかった。いや、正確には押せなかった。

 

「ブランクOK」という求人があれば、迷わず応募してしまいそうなくらいだった。

むしろ「ブランクOK」のタグで検索して、自分に合わないだろう職種であっても応募してしまいそうだった。

よくわからないけれど、それくらいだった。

 

なので毎日投稿をサボっていた事も、その間ブログに書こうと溜めてあったネタのメモも、どれも全部無視して、

今日から何食わぬ顔で投稿していった方が潔いのではないか。という結論に至った時、私の中の何かがスーッと軽くなった。

同時に、何に囚われていたんだろうか。とイライラした。

イライラしすぎて今までの投稿すべて消そうかと思ったが、このような破壊衝動の抑え方はちゃんと知っている。

私も伊達に多くのモノを壊してきてはいない。ちゃんと経験から学んできたつもりだ。

 

深呼吸をし「ほら消せよっ」と、割と大きめの声で叫んだので、留まる事ができた。つまり、そういうことだ。

 

 

書けなくなっていた理由など、皆にはどうでもいいだろうし

私が勝手に自分の為に定めたルールを破ったところで誰の迷惑にもなっていないし、誰かに謝罪する理由など無い訳で

結局は自分の為にやっている事が、自分のせいで滞っただけの話だった。

 

これらすべてを含めても「あぁつまらない」で片付いてしまった。

また、片付けられてしまった。

 

プライベートに理由など不必要だ。

やりたいからやる、やらないからやらない

それで、まかり通る世界で何を喚いているのだ。おっかない。みすぼらしい。可哀想だ。

 

つまり皆には、私が今何が言いたいのか。は伝わったと思う。

そうだ、

「春が来ますね」だ。 

 

かんたんえにっきvol.9

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 にがつ、にじゅーにち。

1週間「ウォーキング強化週間」 を実施した。

 

歩いていると、なんか自分が好きになれるような気がしてくる。

だから1週間毎日続けてみたけど

何も得られなかった。

 

だからまだ続けてみることにする。

何か、変わってくれるまで続けてみることにする。

何かと友達になれるまで、続けてみる。

 

そう決めた、1週間

「ウォーキング強化週間」だった。ありがとう。

怖い。

ぎっくり腰になった人のお見舞いに行って

自分に置き換えた時、すごく怖くなった。

 

私はこれまで入院をしたことがないので、入院生活を想像するだけでも怖かった。

あと、私は幸いにも大きい病気をした事がないので

最近よく、病気についてを考える時間が増えて

また、自分が病気になってしまったことを想像して怖くなった。

それに、私はこれまで、傷をして縫ったこともないので

手術をする時の恐怖心を想像してとても怖くなった。

自分の体に、メスが入る怖さとか、針が突き刺さる怖さとか

注射針しか指したこと無い私にとってはとても怖くなった。

 

どうしたら、「痛さ」から避けられるのだろう。

どうしたら、「病」から避けられるのだろう。

その先に「死」があったとしても

私は、「死」までの、「病」や「痛さ」が怖い。

 

「死ぬことって怖くない?」と昔誰かに聞かれた事があったけど

私は特に、「死」に対して恐怖を感じた事がなくて

そこに至るまでの「苦しみ」や、「痛さ」「悲しみ」などが一番怖い。

 

例えば、足を切られたとしても

痛い痛い。ともがいている瞬間とか、アドレナリンが出たとしても

自分の切れた足を眺めて、「死」を待つまでの時間が怖い。

 

それは「病気」になったとして

余命宣告をされたとしても、それまでの「闘病生活」が怖い。

 

どうせ「死ぬ」なら、苦しみたくないし、痛みに泣きたくないし、「生きたいなぁ」とか思う時間なんて欲しくない。

怖い、怖い、怖い。

 

 

ぎっくり腰になったら、当たり前の生活がどんだけ幸せかを感じる。

そんな、ぎっくり腰にならなかったら気付けなかった事があるように

自分が「死」を目の前にした時の、ほんとの恐怖なんて、経験をしないとわからないんだろう。

それが何よりも怖い。

 

いざ自分がそこにたったときに抱く感情が想像できないのってすごく怖い。

 

こんな私はほんとに臆病だ。

生きる。ってほんとに怖いんだもの。

かんたんえにっき。vol.8

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にがつじゅーはちにち。

 

髪の毛を切った。

やっと一年前に抜いたブリーチの部分を無くす事に成功した。

 

もうしばらく長年、ブリーチはしない。と誓った。

 

が、きっと3ヶ月後か、4ヶ月後か、何ヶ月後かしらないけど近いうちに私は、

今の気持ちを忘れてしまっていて

何かに取り憑かれたかのように、突然ブリーチをするような人間だから

私は私が嫌いなのだと思う。

 

肩まで髪の毛が伸びたら、髪を切りにいく。

私はいつからか髪の毛を伸ばせなくなった。

それは、自分に長い髪が似合わないってことを悟ったからなのか、当たり前のように「伸ばそう」とも考えない。

 

でも髪の毛を切る時にいつ思うのは

「一緒に過ごしてきた髪の毛なのに何の感情も抱かずに切られた髪の毛に目も向けないのは可哀想」

だから私は、切られた髪の毛を、私の近辺に散らばった髪の毛をちゃんと見るようにしている。

 

「この髪の毛とはどれぐらい一緒にいたんでしょうか」

と言った時は美容師さんに驚かれた。

「変な事考えるんですね。たぶん2年くらいちゃいますかね」

 

すると、2年くらいの私の事を思い出そうとして

何もでてこなくて、思い出すのを諦める。

 

「あんまり思い出も無かったんで、捨てちゃってください」

 

たんなる髪の毛を切る。という出来事にさえも

こんな無駄なことを沢山考えてしまうのだから

私は私が大嫌いだ。

 

肩まで伸びる前に髪の毛を切る習慣をやめない以上

私が毎日に満足できるようになるまでは

切り刻まれた髪の毛に私は何も抱かないのだろうな。

 

早く、髪の毛を伸ばしても似合うように努力しよう。

早く、毎日に満足できるようにしよう。

頑張るのをやめないでいよう。