れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

ツマラナイならウメル。

生きることが下手くそな私は「愛」を学ぶまでには、相当な時間がかかった。

 

なんとなく息をして、なんとなく時計の針が1周するのをずっと眺めて

「すべてに意味があるのかな」と小さく呟いたりしてた。

 

嫌を楽しいで塗りつぶし、下唇噛みながら必死に生きようとしてる人を

「この人はどうしてこんなに頑張れるんだろう」と傍観的に眺めて、

私の魂なんて、いつでも誰かに預けられるような

そんな無気力な日々を過ごしてきた。無様にも、我を殺し続けた。

 

でも

ある日、見るもの全ての色を奪われたり

ある日、突然当たり前が一瞬で無くなったり

ある日、急に「自立」を願わない自分が怖くなったりして

やっと、ここまで辿り着いた。

 

その場所には、取り零した「愛」が沢山あって、心に愛を埋めるスペースを綺麗に空けていた自分の貪欲さに気付いた時、私は探し続けてた何かを手に入れた気がした。

 

そこに溜まっていた、沢山の人からの「愛」は、すべてに色があって、形があって、感触があった。

そして温度があった。悔しいほどにしっかりと。

 

私はその日、「愛」を貰い続けていた事実を抱きしめ大量の涙を流して刻んだ。

そしてそれは「生きたい」という言葉になった。

 

私は必死に捨てたはずの日々を、今と縫い合わせながら

「失くしたモノ」が落とした秒針の音を何度も何度も何度も耳に流しみ続けた

そして、

その瞬間の心音を誰かに聞かせたい。と初めて思った。

私が「生きたい」と抱いている時のエネルギーは半端ない。と、教えたかったし、

「あの時とは違う」と知って欲しくなった。

 

なんとなくでいい、たぶんそうなんじゃないかな。でも、勘違いでもいい。

馬鹿らしいって笑ってくれたっていい。

 

待ち合わせの時間にちゃんと間に合うように、無意識に小走りになる私の事は

べつに知らなくてもいい。

だけど、私が真っ直ぐにここに生きていて

ここで息をしてて

ここで未来を思い浮かべて少し微笑んだりしちゃうんだってことを、目に入れて欲しかっただけ。

 

少しだけ時間を奪いたかっただけ。

 

「愛」を知った途端、「愛」がどんどん欲しくなる。

 

でもそれでいいんだって

それがいいんだって思う。

 

だって君は笑って受け止めてくれる事を知ってるし

私がどんなに遠回りしたって

待っていてくれて、私に懲りずに愛を流し込み続けてくれた人達がいるなら

私は怖くない。

 

明日も明後日もいかなる試練だって越えていける

何かを学ぶまでは、潰し続けてだっていける。

嫌を楽しいで塗りつぶし続けてみる。

 

 

深呼吸をして、触った未来が確かなら

そこに行くしかないんだもの。

 

迷わない愛なんて、私は知らなくていいし

痛くない人生なんて、もういらない。

“可哀想”だから、ここにいていい理由にはならないのか。

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『ここにいていいんだよ』

この言葉さえ聞けたなら、私はもっと自分が好きになれるのだろう。

例え、欲しい。と言えば、手に入るものだったとしても

私が欲しい物は、どれも私には似合わない。

だから、いつも素っ気ない振りをして

いらない事にしてやる。

全部、「いらない」って言ってやる。

 

でもね、

本当は、この世には沢山の私が欲しい物で溢れていてね

キラキラしていて、楽しそうで、

欲望をさらけ出せば、全部手に入れたくて仕方ないんだよ。

 

なんでなんだろう。いつからだろうね

私は自ら“可哀想”を装って、私が“可哀想”である事でこの世が成り立ってるような気になってた。

悲観的に世界を眺めるようになって、もう、いつからなのかも忘れちゃった。

「この世なんて」と話し始めることで、勝った気になって、満たされてしまってる。

 

逆にあの娘ならもっと貪欲なのだろうな

いつも、この世が好きそうだし、沢山愛していられてる、

いつだって沢山涙を流して、沢山の感情を表して

「欲しいから」と言って、全部取られないように守ってる。

 

いつか行った私の好きな場所は、今はもう跡形も無くなっていたし

いずれ、思い出なんて全部奪われてしまって

私は独りぼっちになってしまうのかもしれない。

“可哀想”だから。

私が選んだ、“可哀想”である為に

「仕方ない私は可哀想だもの」と笑うんだろう。

 

 

いつか幸せになりたい。なんて空虚すぎる取り留めのないセリフは、口にするだけでも

「もしかすると幸せになれるのかもしれない」といった少しの期待まで壊されてしまうような気になる。

私は、いつも怖い。

いつか誰かに全部取られてしまうような気がしてる。

だって私には守る事も、立ち向かう強さなんてものも皆無だから

「幸せじゃないあの子にだけは奪われたくない」って思われてしまうのかもしれない。憎まれてしまうのかもしれない。

 

いつか『ここにいていいんだよ』

『これは君のものだから』と、撫でて貰える日はくるのだろうか。

私が“可哀想”を辞める事はできるのだろうか。

 

いくら涙を流しても、あの娘には敵わなかった。

私が失った場所をあの娘は埋めたし、あの娘は何度も彼の瞳に映るように笑ったのだろう。

声を出して、触れたりして、あの娘は「欲しい」を表したんだろう。

 

やっぱり似合わない

私には“幸せ”というアクセサリーは似合いそうにない。

 

キラキラとした世界を、この手で汚して

「ほら、濁ってる」と、安心するの。お見事、すごく敗者らしく出来上がってる。

 

だけどせめて

私が“可哀想”である事で誰かが“幸せ”になれるって

私が“可哀想”である事で誰かが満たされいる。とだけは教えていて

そして、私に言って

「君が可哀想だから、私は笑っていられる」

だから「ここにいて」と。

 

私が“可哀想”だから、私がここにいていい理由をあなたが創ってくれていい。

 

何かの能力が私をその気にさせるうちに。

4月後半

“後悔”を題材にした記事を何故か更新していた私は

もしかして何かを察知する事ができていたのかもしれない。

 

でもどうしてそれを“当たり前”に投げ捨ててしまったのだろうか。

きっとたぶんこれまでの人生にも幾度と沢山の“報せ”を察していたはずなのに

何も得ず、無駄にしてきたのだろうな。と思った。

 

5月17日

朝起きて、夢占いのサイトで今日見た夢を調べた。

[運気上昇]と書かれたその結果を信じる事にして1日をスタートさせた。

 

近頃、胸騒ぎがするというか、もどかしい。

ウズウズとしているというか、胸の奥で何かがフツフツとしている。

この理由を私はまた無駄にさせるわけににはいかない。と

おもむろに、求人サイトを開いた。

 

別に今の自分を否定したい訳じゃなかったけれど

「このままじゃいけない」気がした。

「自分を信じてみる」事が必要な気がした。

 

ある人を見て「羨ましいなぁ」と思ったりはしないけれど

ある人を見ては「強いなぁ」と思う事が増えた。

それがどんな小さな努力だろうが、

「前に進んでいる」が見えるようになった。

 

呆然と生きたりして、ただ漠然と死のうしていた私には

息を吐いて、靴を履いて、自分の進むべき道のゴミを掃いて進んでいく。

それが物凄く「美しく」「逞しく」見えた。

 

どうして生きているんだろう。では無い

生きている理由を知る為に生きるのだ。

きっとそれは最後にも、解らないのだろうけれど

「どれだけ知ることができたか」で、自分の人生に満足することができるのだろう。

「ああ、生きた。生きた。」と感じながら終わる事がどれほど幸せなのかと思った。

 

どうしてこんな単純な事を気づけなかったのだろう。

 

疑問だけを抱き、不満を垂れ、生まれてきた事を責め

立ち止まる事で、終わりを迎えようとしていた事の怖さが今なら解る。

近頃の胸の内から湧き出る、よくわからない謎のフツフツは

きっと、「もっと知りたい」からだろう。

立ち止まっていた時間に存在し続ける事の焦りだろう。

 

ちゃんと生きたいわけでは無い

ちゃんと死にたいだけだ。

 

親に微笑んでもらえる人生で、家族にも、友達にも私の持つ愛をすべて注ぎ込める人生で

私は私を褒めてあげられる人生にしたい。

 

ある人が言った

『一緒に』という言葉の心強さ。

ある人が指摘してくれた私の欠点

私の存在を認めてくれた。

 

一緒に乗り越えていく誰かが今日も明日も自分を愛してあげられますように。

 

気休めの夢占いの“運気上昇”の文字が私を包み込む間に

チャンスの神様の前髪を掴んで笑おう。

1日に一歩でいい。ちゃんと前に進んだ印を、刻んでいこう。

 

 

見えない物だって信じてるし、触れられない物だってココでは触れられるから

 

 

親が与えてくれる偉大なる愛を抱きながら。

何日も何日も、“何かについて”を書くのだけれど

すべて下書きに放り込んで、「言うまでもない」と諦めていた。

が、今日抱いた感情や、昨日抱いた感情を無駄にしたくない。と急激に感じたので

どんな乱文であっても、文字として形で示す事によって自分の心に刻みつけようと思った。

ただただ書き綴っていこうと決めた。

 

ある日、私の中の“当たり前”が一瞬にして無くなった。

 

母が入院した日の夜、怖くて怖くて震えが止まらなかった。

「嫌だ、嫌だ。怖い。」と、心の叫びを抑えるのに必死で、「明日」を迎えるのが恐怖だった。

 

そして、その時初めて私の中の「親の存在」がどれほど大きかったのかを気付く。

 

産まれた時から私はいつも何故か“孤独”と共に生きて、自分の弱さに勝とうとはしなかった。

“他人と比べられる”事に異常に反応し、“他人と自分との違い”を、指折り数えては溢れ出る劣等感に負けていた。

いつの日かそれを“仕方ない”で済ませるようになってて、“弱い”を見逃すようになっていた。

母が、父が、身近な人が愛情で投げてくれる言霊さえも、すべてこの手で潰して無駄にしてきたのだろう。

私は本当の愛を見る事ができていなかった。

 

自分自身にも、恵まれたこの環境にも甘ったれていて、

近くの“当たり前”に寄りかかり、いつか来るだろう“変わるきっかけ”を待っているだけの、

情けない受け身の人生だった。

 

そんな自分自身を最初は酷く責めた

「どうしてもっと早く気付かなかったんだ」と。

 

でも毎日、母に会いに行く度

母は笑っていて、母はいつも私に「ありがとね」と言ってくれる。抱きしめてくれる。

生きている母を見ると、心はいつも温かくなった。

“当たり前”の有り難さを毎日のように感じさせてくれるから。

 

眠る前、毎晩のように沢山の“考え”と“心”をリンクさせ、“私のやるべき事を”呼び起こす作業に集中する事にした。

 

そして気付いた

母の愛は、父の愛はいつも、いつまでも偉大なのだ。と

 

幼い私が抱いていた“孤独”と、27年間過ごしてきたとしても、

不思議にもそんな事どうでもよくなった。

むしろ「気付かなくてごめんなさい」と懺悔した。

 

何故なら、この不安は「私が親と過ごした思い出や、親から頂いた愛情」の現れなのだと理解したからだった。

 

少し愛情表現が不器用な親なのだろうけれど、

紛れも無く、これまでちゃんと傍にいてくれて、ちゃんと私を見守ってくれていた。と気付く。

いや、気付かしてくれたんだ。と。

 

それもこれも、母のお陰だ。

そして「恐怖」が「感謝」に変わった。

 

私が今できる精一杯の事は

「毎日、母の温度を確かめる事」と、「母を励ます事」と「頑張ってる家族を支える事」

そして

「幸せな姿を見せる事」だった。

そう、私は初めて、ホントに初めて

自分の“弱さ”に勝つための旅に出たのだ。

 

母は私を見て「頑張ったね」といつも褒めてくれる。

母は私に腕の血管の音を聞かせてくれて「生きてる」を知らせてくれる。

母は私に「希望」と「猶予」を与えてくれた。

 

親孝行とは何か。を行動にする為の期間と

母の笑顔から「生きる事」を教えてくれる。

 

父は精一杯、頑張ってくれる。

弟も精一杯、何かを教えてくれる。

私は想う、「この家族で良かった」と毎日のように。

 

少し遅いけれど、大切な何かを毎日毎日拾い集めて

必ず乗り越えてみせる。

今日の想いも、昨日の想いも絶対に忘れたくない。

 

“当たり前”への感謝や、“生かされている”事を。

“大切な思い出”を絶対に。

 

母よ父よ

必ず貰った愛情は愛情で返します。

だから笑っていてね、ずっと傍で。私の瞳の中で生きていてね。

 

こんなにも大切な想いを思い出させてくれて、ありがとう。

これを絶対に無駄にはしないし、絶対に忘れないで越えていく。見てて。

 

私が私と歩き出した日

零れ落ちた水滴を拾いあげ、私は本当の「生きる」を誓った。

そして、「愛してる」と何度も口に出して歩いていこうと決めたのだった。

また来る季節に、誓いのキスを。

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 私はいつの時だって

「もっと触れたらよかった」と、後悔とキスをしていた。

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 人々は桜のピンク色がすごく美しかった事など、すっかりと忘れてしまっていた。

地面に枯れ落ちた桜の花びらをゴールデンウイークの予定をたてながら踏みつけて、とても楽しそうに笑ってた。

 

踏まれ、汚れてしまった桜の花びらに人々は決して目を向ける事など無かった。

戻らない季節を振り返る事など無かった。

人々は前だけを見て歩いていた。流石だった、とても立派だった。

 

 あれほど「綺麗だねー」と言いながら眺めていた色を、「汚いねー」と、誰かと話したりなどはしない。

 

春はまたやって来ると信じ込んでいて、桜はまた咲くと思い込んでいる。

人々は季節がまた巡ってくる事を、信じすぎている。

 

「お花を眺めながら食事する会」を、あれ程していた癖に、花が散ってしまった瞬間にその花の色を忘れてしまう。

もうあの花になど、興味も無くなってしまう。

人々は、どうしてこんなにも無情なんだ。と、私は思った。

 

そもそも最初から興味なんて無かったのじゃないか、そもそも美しいものだけにしか興味が無いのじゃないか、

そもそも花がいつか枯れてしまうことを知らないのじゃないのか、生きたモノだけが美しい。と、桜は咲いているから桜なんだ。と、

桜の花が咲いていない桜の木を、人々は知らないのだろう。と、私は思った。

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 と、そんな事を考えながら私は街を歩いていた。

 

そして、人々に踏みつけられた桜の花びらをこの世界で私だけはしっかりと見つめてあげた。

「私だけは君たちが美しく咲いていた事を思い出して泣いてあげるからね」と必死に、彼らに何かを伝えようとしていた。何かを与えてもらおうとしていた。

 

「私は君たちが美しいピンク色だった時の事を覚えているし、忘れない。今だって君たちはとても綺麗だし、たとえそれが踏み潰されてしまってグチャグチャな君たちであっても、私は好きだよ」と、すかさずカメラを向けてみたけれど、

なんだか彼らのこんな姿をカメラロールに収めておくのは少し違う気がした。よくわからないけれど、彼らに失礼な気がした。そしてソッとカメラをしまった。

 

その時、私は

絶対にこの記事を書こうと決めたのだった。

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 “失ってから気付くモノ”という言葉を何度も聞いた事があるが、人々はそれを知りながらも、色んなモノを手放してしていく。

それは、“次、また何かを得られる”と信じているからで、また舞い込んでくる何かを信じているからだと思う。

失って気付くモノばかりを、ただ後悔と共に抱いていても、決して前に進め無いことを人々は知っているからだ。

 

そう

人々は皆、強い。

 

散った桜の花びらに目を向けない人々はとても、強い。

当たり前を真っ直ぐに信じれる人々は、とても強い。

 

それに比べて私は、とても弱かった。

 「もっと触れていればよかった」と、「もっと綺麗な姿を見てあげたかった」と、

「美しすぎた、あのピンク色」を思い出し、また後悔とキスをしていた。

もう1度、あの春をしたい。と願っていた。

また私は、季節が巡る事を信じず、恐れていた。

 

春が来れば、夏が来る。

なんて、そんな事など無い。

何故なら、明日世界が滅びるかもしれないし、明日突然変異が起きて四季など無くなってしまうのかもしれない。

もしかすると、もう二度と桜を見る事なんてできないのかもしれない。

 

当たり前のように、確かなのは

もう二度と、あの春は来ないという事で、もう二度と27歳の私が桜を眺める事など無いという事だ。

もう二度と、2017年の桜がどんな色だったのかを

確かめる事などできないという事だ。

 

それがとても悲しくて寂しくて、涙を流してしまう私は、まだ前に進もうとはしていなかった。

ひたすら過去にキスをして、無意味な後悔を抱き締めてる。とても馬鹿みたいだ。

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 私のカメラロールには沢山の写真が残されていて、

時々、過去に遡っては「戻りたい」と涙を流す夜がある。

 

私は誰よりも過去が好きで、明日よりも昨日が好きだ。

それは、昨日もらった愛を見ている方がよっぽど楽で、どんなモノよりも、確かなモノだから。

 

愛されていた。みんながいた。生きてた。

それらが確実にここにある。と確信できるのは、過去だけが持っている真実だからだ。決して私を裏切らない。

 

それに比べて、明日は怖いものばかりで

明日、愛されなくなるかもしれない

明日、みんなが私から消えてしまうのかもしれない

明日、ひとりぼっちになってしまうのかもしれない

明日、私は死んでしまうのかもしれない

明日なんて、もう来ないのかもしれない

 

だっていくら信じたとしても、明日は、私を裏切るかもしれない。

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 桜は散らないでいい、水着を着てずっと楽しそうに、はしゃいでいればいい、葉っぱもずっとオレンジでいいし、毎日サンタさんは来たらいい。

 

ずっとそこにあってほしい。全部去らないでほしい。過ぎていかないでほしい。

何も手放したくないし、何かを別に得たくもない。

ずっと過去にいたい。ずっとこのまんまがいい。

 

しかし、それは間違っている。すべて不正解だ。

それをずっと解りながらも、私はあえて間違いを抱いているんだろう。

 

そう、誰よりも私は明日を生きないといけないし、強くならないといけない。

誰よりも信じないといけないし、振り返らずにひたすら前に進んでいかないといけない。

たぶんこの世の誰よりも私は、必死に明日に願っていなくちゃいけない。

このまんまじゃいけない。と、過去を捨てていかないといけない。

 

たぶん残されたカメラロールの写真など、すべて消去するべきで、

また次の春に咲く桜に「君は去年より綺麗だね。私だって去年より綺麗になれたでしょう。だっていっぱい変わることができたもの」と胸を張って眺めていなくちゃならない。

 

踏み潰された桜に涙を零している場合じゃない事を

誰よりも私が知っていた。

 

「もっと触れていたかった」モノに、また触れる事ができるように生きていくべきだ。

その為に、次に咲く桜には絶対に過去は映さない。と、決めよう。

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踏み潰され汚れてしまった、昨日の桜の花びらが教えてくれた。そう、期待だ。

また来る季節に誓いのキスをさせてくれた。

 

それから何度も今年の春にありがとうと、お礼した。

そして来年また会おう。と、手を振って、しばしのお別れをした。

 

 

優れた旋律。

あの頃、私達の傍で流れていた、愛しかったはずの旋律は

今となっては、安易に耳に流し込む事ができた。

胸を焦がす事も、痛むことも、潤む事すら無かった。

 

もしもあの日、私の親指が希望を待っていなければ、

もしもあの時、私が人として生きることを忘れていなければ、

新たに塗り替えられる事など無かった。

その美しすぎる旋律に、泣くことなんて無かったのだろう。

 

記憶は常に更新され続けていた。

生きてないようで、生きていたし

覚えてるようで、忘れていた。

そこに留まっていたようで、確かに動いてたのだ。

 

何故、あんなに美しく見えたのだろう

何故、あんなに美しく聴こえたのだろう。

その新しい旋律が一瞬にして私の血液を巡り、毒していくのに

どうして私は疑問を覚えなかったのだろう。

抵抗しなかったのだろう。

どうして委ねてしまったのだろう、心地よさに締め付けられてしまったのだろう。

 

あの日の記憶と共に流れてくる不調和音に声を乗せた時の事

あの日を取り戻すために、悲しい旋律を並べ替えた時の事。いつも私が“嘘”を隠し持っていた事。

そのすべてを華麗なものに差し替えてくれた。深く愛することが出来た。

 

記憶はあの日から確実に更新され続けてる。

 

愛しすぎて思わず触れてしまったモノは

確実に震えてたし、その場で激しく揺れて音になってた。

その瞬間の答えを私は、まだ持っていなかった。

 

 

この耳に流し込む、艶やかな音

この音の旋律は、きっと今の私にしか覚えられなかったはずだ。

これを記憶に刻む事を許してくれたのは、過去ではなく未来への期待だから。

 

あの日出会った優美なその旋律は、誰よりも優しく私に触れてくれた。

だから、もういいんだ
ここに全部、置いていく
邪魔なものはすべて、ここに忘れていく事にする。

 

それは、今よりも私達が優れていくためにね

 

選択した国。

綺麗に言葉を並べる人だと思った。

哀しみを、原色に塗り替える人だと思った。

 

私は、いくつも諦めたのに

その人はすべてを吸収し、身に付けていける人だと思った。

 

苦しいを塗り替えてくれた

寂しいを惑わしてくれた

楽しいを見せてくれた

嬉しいを信じさせてくれた

 

『何も無い』

知っていた。覚えていた。

戸惑っていた、堪えていた。

忘れていたし、塞いでた。

 

まだまだ、こなしていかなきゃならないのに

私は、見てあげるのが怖くなった。

堕ちていく自分を、教えたくなかった。

 

『待っている』

安易だった、とてつもなく透明だった。

美化した。ピカピカに磨いた。

 

覚えていた、いつも

私が泣いたら抱きしめてくれた大きな掌を

信じたくなった

私が泣いても、抱きしめてくれない現実を

拭えなかった。

歩けなかった、笑っていたくなかった。

 

 

綺麗だった

いつも、いつの時だって。

 

忘れなかった。

忘れたくなかった。

私を満たせるのは、君だけだと勘違いしていたかった。

 

まだ覚えていたかった。

まだ失いたくなった。

まだ熱を閉じ込めておきたかった。

 

 

綺麗に言葉を並べられない人だと思った。

頼りすぎていて、許せない人だと思った。

愛がそこに無いのに、偽物で抑えつける人だと思った。

信じたくなかった。確かめたかった。

許したかった。

 

一緒に歩くために必要だと思った。

悲しくても、辛くても、私は嫌いにはなりたくなった。

嫌いに、慣れなかった。