れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

捕食を何として。篇

「なんでお昼1人で食べてるんですか?」

「お昼とかどうしてみんな一緒に食べないの?」

 

本日、私に投げかけられたこの“お昼ご飯問題”で、私は、今日を25%くらいかき乱されたのだった。

 

お昼ご飯

なんでかといった理由とかは全然解らないけれど、私は人前でご飯を食べるのが大嫌いだ。

 

例えば、心を許していない人が目の前で、食べてる私をずっとガン見するシーンがあるとすれば

私は怒り狂うか、ストレスを溜め込んで泣き出すかのどちらかだと思う。

 

まあこれまでの人生、目の前に座った人間が食べてる私をガン見するなんてシーンは未だかつて無いので、

まだ怒り狂いながら泣き出した事は1度もない。有難いことに、感情的になった事も1度もない。

 

まあ、でも、

それくらい食べてる所を誰かに見られるのが死ぬほど嫌なので、ご飯は気を許した人間とじゃないと行きたくない。そう、私は結構めんどくさい人間だ。

 

「それくらい繊細な人間なのだね」と笑ってくれるのならまだマシだけど、

こんな“どうしようもなさ”をさらけ出す事で引かれてしまう事は、目に見えてるので、

できるだけ誰にも言わないように過ごしてきた。

 

私の食べ方がもしもヤギみたいなクセのある食べ方だったとしても、

魔物が人間を喰らう時みたいな邪悪な食べ方だったとしても、

とりあえずどんな食べ方だったとしても、

 

「この人は許してくれる」「すべてを受け止めてくれる」

という確信ができない限り、私が捕食する姿は本当に誰にも見られたくない。

 

だからできるだけ、避けて通ってきたつもりだった。

 

私のお昼ご飯は、

みんなが食べている所とは別の部屋で1人で食べるのが日課になっていて、それが唯一許される、許されないと困るワガママな逃避だった。どうしても譲れないものだった。

 

だけど今日、それは一気に崩れてしまったのだ。

 

部屋から出てくる私を目撃した先輩は、可哀想な人を見るような目をして、私を目一杯哀れんでくれた。

 

「違うんです。これが私の幸せなんです」

なんて言えたなら良かったのだけど、そんな勇気が私にあるわけなくて

何故か「ごめんなさい」と咄嗟に謝ってしまっていた。

 

何に謝ったのか解らなくて、きっと先輩は戸惑っただろう。

 

だけど、私は「今度から一緒に食べようね」のセリフが飛んでくるかもしれない事を、それはそれは酷く怯えていた。

 

そんな恐怖をスっと交わしたつもりで1日を終えようとした時、

面談しよう。というメッセージが上司から届く。

 

「ふぁー」「ぐぉー」「とりゃー」

と、意味のわからない奇声を心の中で何度も発したけれど、誰に伝わる訳でも無く、

面談をする為、いつも1人でお昼ご飯を食べている部屋をノックし、入室した。

 

 

「何か人間関係で悩んでることある?」

よっ待ってました!と私の中の私が、合いの手を入れたりして調子に乗り出したのを感じる。

 

「それが、全く何も無いです。むしろ、私皆さんのこと好きなんですよ」

 

「女性の友情とか解らないけれど、結構それぞれ一匹狼みたいなところある?もしかして」

 

「はい、たぶんみんな同じようなタイプだと思います。ひとりにしてほしいときは、自分のテリトリー守りながらやってる感じします。でも私逆にそれが楽なんです。」

 

「そっかー良かった。なら良かったよ。」

 

と、上司は目元をクシャとさせて微笑んでくれた。

 

私は、その笑顔にホッとしたかと言うと、そういう感じは一切無く

むしろ、これを恐れていたんだな。と、反省していた。

 

私がどうして、ここまでひとり飯を知られないように、わかられないように、触れられないようにしてきたのか。

お昼ご飯問題から逃避してたのか。というと、

「私たちに問題あるのかな?」「なんか思ってるのかな」

と、周りにいる優しい人達に無駄な心配をかけるのが嫌だったからだ。

 

こんな私を快く受け止めてくれている人達の優しさを踏みにじるような感じがして嫌だったからだった。

 

私は、結構まあまあ、だいぶ、相当、いくぶん、割かし、

今回のお昼ご飯問題には、めちゃくちゃ反省している。

 

私がもっと美しい人間で、食べ方にも自信があって、もっとみんなに見てほしいって生きてるモデル志望の女だったなら。

 

私がもっと人に嫌われる事など怖くなくて、嫌な思いをさせる事に神経質な微細な人間じゃなかったなら。

私がもっと社会適合者だったのなら。

と、ひたすら自分を責めたりもしたけれど

 

「さあこさんって結構色々考えるタイプ?気にしいなタイプだよね?」

と投げかけてくれた事に、なんかすごく心が軽くなっていく。

 

別に私が認められた訳じゃないけど、意地悪だと思っていた社会が“私”を受け止めてくれた瞬間のように感じたから。

 

なんだか「こんな私でも?え?良かった?って?ことですか?」と焦りながら何度も気が済むまで問いかけたい気分だった。

 

と、まあ、今回のお昼ご飯問題で、

私は己のちっぽけさを知り、空っぽさを知り、長年満たされなかった“承認欲求”が、今になって満杯に注がれていくような感覚になったのでした。

 

それと、もう1回、明日からの生き方を考えようと思えたのであったのでした。

 

男の言ういい女

今朝、見てもない録画を流してあるテレビから

「男の言ういい女は、その一瞬をどれだけ濃厚に過ごしてくれるかで判断するでしょ?」

「だけど、女の言ういい男は、一生をどれだけ過ごしたいと思えたかで判断しているから」

というセリフが聞こえてきた。

 

蛍光マーカーで線引かれたような、そのインパクトのある名言は、私の心にダイレクトにダイブしてきて、

なんか別に悪くない心地良い痛みを残したまま、今日に居座っていた。

 

私は、男の言う“いい女”になりたがった事も過去にあったし、

「お前はいい女だよ」なんて言われた日には、ジャンプして家路を辿る単純女だった。これまでは。

いや、2月26日の朝までは。

 

何よりそれを褒め言葉だと、ここまでを平気で過ごしてきたはずなのに、そんな朝の一瞬で、

正解?不正解?と自問自答する事も無く、ズタズタズタズタと崩れ落ちていくものを、無条件に受け止めてしまっていたのだ。

 

私がこれまで「いい男」と言ってきた男は確かに

「一生を共にしてくれそう」「一生一緒にいても苦じゃなさそう」

で、切り分けてきたし、本当にその通りだったから。

 

だから、私は痛いほど納得させられていたのだと思う。

 

これからの私は「いい女だね」と男に言われてもきっと喜ぶ事は無くなってしまったのだろう。

そして私の中の“純粋”な部分がまたひとつ失われてしまったのであろう。

 

「君は悪い女だね」「君はいい女ではないけど、楽しい女だよ」

「君は俺を幸せにできる女なのかもしれない」

 

私は少し笑顔で、胸に残る蟠りみたいな氷の塊にそっとキスをし、優しく溶かしてあげた。

そして騒がしい何かを、そっと寝かしつけてあげたのだった。

 

夜ご飯問題

「今日何食べたの?」

私は毎日このセリフを口にして、誰かの夜ご飯のメニューに温まるのが習慣になっている。

 

だけど別に、食べたものを聞きたい訳ではなくて、多くの中から彼が選んだものが聞きたいだけ。

 

何を食べたかなんてどうでもよくて、何に満たされたかが聞きたいだけ。

 

私は、ご飯を美味しそうに食べる人が好きだ。

そして、ご飯を食べてる自分を見られるのが、好きな人が好きである。

 

見出し1の「お昼ご飯問題」を思い出してみてくれたら解るだろうけれど、

 

私は、自分自身の欠点を補ってくれるような人を好きになる事が多くて、

私の多すぎて数えきれないコンプレックス達を文句も言わさず黙らせ、沈めてくれる人が好きだ。

 

「今日、何食べた?」

「唐揚げ」

「美味しかった?」

「普通」

「そっかぁ幸せじゃなかったのかぁ」

 

そんな風に落ち込む私を知っているせいか、彼はいつも美味しそうに食べる姿をわざわざ私に見せてくれる。

 

そして「幸せ?」と決まって聞く私に、

いつも「幸せ」を0か100かで見せてくれる。

 

「私は君が何かを食べている時が1番好き」

「なんで?」

「幸せがどんなものかが、目で解るから」

「ほぅ」

「あと、幸せな時、本当に幸せそうに何かを食べて見せてくれるから」

「確かに、食べている時が1番感情的かもね」

 

何かを喰らう時、彼はこの世を隠してくれるし、

私がここにいる意味を思い知らせてくれる。

私に“理由”を与えてくれる。

 

彼の大好物になりたい。

という夢は、まだ果たせそうにはないけれど、

 

「ねぇ、君は今日何食べたい?」

 

 

昼朝夜の大好物

食べ物の味が無くなった時の事を私はもう覚えていない。思い出せなくなった。

 

毎日のように「あれ食べたい」「これ食べたい」と、舌のベクトルを欲望に合わせて、自分がまだ大丈夫かどうかを確かめる。

 

「やりたいこと」が無かった頃に比べて、「すべき事」がハッキリしている今、

「私には何が向いているのか」に殺される事も無くなった。

 

涙を流す事を忘れてしまったのだろうか、と不安になる夜は、

そっと過去を思い出して涙を流さしてあげる。

 

それくらい自分をコントロールしながら生きれるようになった。やっと。

 

うつの人は決まって同じような文章を書く。

という記事を読んだ時は、足の先からゾワゾワと得体の知れない何かが体中を駆け回る感覚があって、一瞬「やばい」と、思ったけれど、またちゃんと戻ってこれた。

 

きっと、確実に時計の針が進んでいることを私は自覚していて、

“今日の自分”をいちいち愛でながら毎日を過ごしている。だから戻すのも上手になったのだろうと思う。

 

いつだって、私が悲しみに導かれて逃げ出さないようにする為に、必死なんだと思う。

 

いつかお腹いっぱいになるまで、私に残る過去の悲しみを食べ尽くしてやりたい。

 

そう、忘れないように、忘れっぽい私に

“決意”だけを上手に残しながら捕食できるようにしてやりたい。

 

そして私の大好物は、私の“弱さ”だと胸を張って言えるようにしてやりたい。

 

と、今日はいつもよりお腹いっぱいになる、そんな1日だった。

 

 

血が繋がった人のはなし。篇

書きたいこと多分いっぱいあったはず

なので今日は、血の繋がった話をしよう。

 

弟+♀

先日、弟と♀が家にご飯を食べにきた。

巻き寿司を食べて、オリンピックを見るという何ともアットホームすぎてつまんない時間を過ごした。

 

そんな事より、♀は私を以前から知っていたらしく、今でもネット上で私を時たま見て、弟と噂話をしているらしい。

「こないだのアレ笑いました」と、彼女は私に言ったけれど、何だか少し照れくさかった。

 

ネットの私と、リアルの私は少し違うはずだし、「あれ?違う?」ってなられるのが嫌で

私が私自身でネットの私に寄せにいってたのが、何よりも情けなかった。

 

別に違うくてもいいはずなのに、なんか念願の高級車を買った人が無駄に遠回りして帰るみたいな感じだった。私は免許なんて無いからよくわからないけど、多分そんな感じだった。

 

少しだけ、ほんの少しだけだけど

もうあれからこんなに時間が経っていたんだな。と、時の流れを感じた。

大人なんだなぁ

と、ほんとにほんの少しだけ思った。

 

このまま結婚してそれぞれの家族を作って、死んでいく。

私の家族が他の家族を作るんだなぁ。って

不思議だけど、そうやって御先祖さまもやってきたんだなぁ。って思った。

 

そしたらなんか嬉しくなってきて、私はお姉ちゃんをするのを辞めていた。

お姉ちゃんらしくないお姉ちゃんが、お姉ちゃんをしようとしても無駄ったから、ネットの人である事を選んだ。

 

気持ち少しテンションは高め、気休めの背伸び、いつもより意気込む発声、口角はできるだけ上に。

 

家族

ある日、お風呂に入ってる時にフとまた無駄な思考が作動した。

 

「血の繋がりもない人と家族になろうとしてるのは、血の繋がりもない人に図々しく家族にしてもらいたいからなのか、私が自己満足的に家族にしたいからなのか」

 

なんかよくわからないけど、それが急に烏滸がましく感じて、なんかとても気持ち悪くなった。

 

「家族を大切にする人がタイプです」

 

結局私がいくら血の繋がりの無い人と、一生懸命家族なろうと、姓を継いでも、血の繋がりのある家族には負けるのだ。

 

私が私の家族を一番に大切に思うように

共に生きたいと思った誰かの家族ランキング1位には絶対になれないんだ。

 

例え、その1位を貰えたとしても

「そんなランキングくれてくれるな」とも思うし、「お前は、本当の家族を1番に愛してろよ」とも思ったから、別にワガママを言いたい訳でもなかった。

 

ただ、どれだけ長い時間一緒に暮らしても、どれだけ沢山の話をして絆深めあっても、

ふたりの遺伝子を継いだ子供に手分けして愛を注いでも、何度も何度も一緒に美味しいご飯を目の前で食べても、最後には一緒に死ねたとしても、

 

血は繋がらないんだ。

 

って思ったら、なんだかとても寂しくなった。

 

だからと言って別に血を繋げたい訳じゃないし、血が繋がっていないからって家族になれない訳じゃないってずっと思い込んでるけど

 

結局1位にはなれないんだ。

 

って思ったら、なんか私も大切な家族を1番に愛していよう。って思った。

 

血の繋がりランキング1位は無理だけど、嫁ランキングだけは1位になろう。って思った。

 

一緒に死にたいランキング1位になろう。って思った。

 

家族ってすごく難しい。って思った。

 

そして、カラオケで「家族になろうよ」をなんの感情も乗せずに歌う人とは同じ釜の飯は絶対に食べないでおこう。と、思ったのだった。

 

同窓会

「女の人?」

「違うよ、男性」

父は、中学校時代の同窓会に誘われ気分は浮かれモードだった。

 

母は、「楽しんでおいで」と言葉にしたけれど

その後ずっと、色んな質問を父に投げていた。

 

「あの時のあの子は?」

「知らんわ」

「ハメ外すなや?」

「当たり前やろ、外すかいな」

「みんなおばさんなってるやろな」

「怖いよなあ?」

「あっ!これだけ!ひとつお願いがある!」

「なに?変なことゆうなよ?」

「絶対写真撮ってきてな!すごい見たい気持ちやから」

「なんやねん」

「絶対おばさんなってるから、すごい見たい気持ち」

「さっきから気持ちってなんやねん」

 

その後、二人はずっと笑ってた。

 

同窓会は、沢山歳をとったら、こんなに楽しそうに送り出すことができるんだ。ってことと

 

いつまでも、「女の子?」って1回は聞いちゃうんだな。ってこと

 

それと

 

こんな二人になりたいな。ってことだった。

 

父の同窓会が私に教えてくれたことは、一切無いようで、沢山あった。ということ。

 

そして私は大切なものだけ残さなくちゃ。と、いうことだった。

 

 

“したい”

“旅に出たい”

場所はどこだっていい。欲を言うなら、緑があればそれでいい。

とりあえず、いつもの場所から抜け出せたらいい。

好きな場所とか特に無いから、耳にイヤホン差して、その場その場で行きたい方角に歩いて辿り着く場所を正解にする旅に出たい。

 

“寝たい”

別に眠れてない訳じゃないけど、良質な眠りについてみたい。

夢とか見ないやつ。寝返りとかも忘れちゃうくらいのやつ。

物音とかでいちいち起きてしまわないやつ。

覚めた時、すごくスッキリしてるやつ。

できるだけ、それを長く。時計が1周しちゃうくらい、それくらいのやつ。

 

“書きたい”

毎日、毎日書いてない日は無いんだけど

文章と離れてる時間とか無いんだけど

だけど、違う。もっとこう、自由を書きたい。

ぐちゃぐちゃで、乱れてて、もっとどうしようもなくて、救いようのないのを書きたい。

私が本当に、欲しいものとか

私が本当に、憎いものとか

私の本当を書きたい。書けるようになりたい。

もう1回戻りたい。

 

“病気のない身体になりたい”

私が永遠に怖いものを避けたい。

私の大切な人の身体も怖くない身体にしたい。

大切な人達が苦しまない世界になってほしい。

痛くなくて、悔やまなくて、悲しまないようにしたい。

最悪、私だけ病気になるのならいい。

私の大切なものだけ、壊れないように守っていたい。

泣くのは痛くてじゃなくていい、怖くてとか、苦しくてじゃなくていい

嬉しくて流す涙だけでいい。

 

「久々だね」ってあの世で再開した時の嬉しい涙だけでいい。

 

“才能が欲しい”

ひとつくらい与えてほしい。

与えるのが無理なら、教えて欲しい。

「君にはこんな才能が期待できる」でもいいから、知らせてほしい。

このまま死ぬのは嫌だ。

自分を好きにならないまま終わるのは、この世で生きたことを悔やんでしまうから

最後までに見つけたい、自分の才能。

死ぬ時までに「これがあるから」と、誇らしげに目を閉じたい。

私には何が足りなくて、何を得たらいいのか。欲しい。

 

“目を見たい”

もっとちゃんと人の目を見たい。

 

“賢くなりたい”

無駄のない人間になりたい。最後くらいは。

 

“素直になりたい”

もっと言葉を上手に吐ける人になりたい。

真っ直ぐに溜め込まずに、噴出できる人になりたい。

 

“愛”

もういらないってくらいに、与えられたい。

 

“足りたい”

何をしても満たされない事を辞めたい。

 

“自信が欲しい”

今だってずっと、どうしようか悩んでることを辞めたい。

 

“なんでもいい”

もうなんでもいいから、欲しい

 

“終わりたい”

〝愛〟が笑う時、それは。

 

愛がわからなくなった時、それが愛のスタートなのかもしれない。

 

〝みんな愛をしていますか?〟

 

それは壊れやすくて、美しいもの。

狂おしいくらいに真っ直ぐで、強いもの。

頼もしくて、憎く、正しすぎて、惑わしいもの。

 

愛は、いつも私達の生活を濁してくれる。

良くも悪くも私達を生かしながら殺してくれるし、無いと不安になるくらいに依存性も高い。

 

ここずっと〝愛〟について何度も考え、私は相当に〝愛〟がわからないんだと気が付いた。

 

正解を見つけ出そうとすればするだけ、迷うし、解らなくなった。

 

欲しいと思えば思うだけ、奪われるし、確実じゃなさすぎていて、憎いくらいに、不平等だった。

 

 

あぁ、途方に暮れそうだ。

 

 明日も明後日も悩もう。そして〝愛〟に壊されよう。

【復活】かんたん絵日記。

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年が明けて、2日。

正月は、毎年すごく早い。

なのに、このスピード感がいつまでも掴めずにいる。

 

私が今年の正月に求めていたものは

〝何も難しい事を考えずに過ごす時間〟

つまり〝寝正月〟だ。

 

その寝正月をして気付いたのは、これが本当の幸せなんじゃないか。という事。

 

これまで、ずっと寝正月を勿体無いと感じて生きてきたけれど

〝寝正月〟の何がいけなかったのか。

今の私には全くと言っていい程、わからない。

寝正月の魅力を知らなかった事の方がよっぽど勿体無い。

 

 

正月こそ、寝て過ごすべきだった。

いや、できるなら毎日寝て過ごしたい。

 

何も考えずに寝たい。何も失わずに守りながら寝たい。

本当は人生ずっと永遠に寝ていたい。

幸せな永遠の眠りを得るために、ずーっと寝ていたいよ。私は、寝人生を過ごしたい。

 

 

ただ無常にも時間は過ぎる。

そして平気な顔して2018年を平然と過ごしていくんだ。私達は。

 

後2日寝れば普通の毎日が待っていて、普通の毎日が悪い顔して待ち構えてるのだけが確実なんだ。

本当に悪いやつだよ、私達の人生ってのは。

たまに蜜を吸わせる癖に、時間がきたら「生きろ!」と急かしてくる。

 

早起きして、通勤して

そして、約8時間社会のストレスと愛し合っていく任務を果たさないと生きさせてくれない。

 

そんな無常で過酷な人生から逃げてしまいそうな自分の事だけが心配で、今は1番に怖い。

だから、今は普通の日々を越えていける自分である事を必死に祈るしかない。

 

ならば、もっと毎日を楽しむべきで、

寝正月をじゅうぶんに楽しむべきだ。

誇らしく、寝正月を選んだ自分を褒めてあげるべきなのだ。

あの普通の日々の為に。あの普通の日々を過ごしていく為に。

 

 

だから私は決めた。

残された2日間、正々堂々と寝で過ごす。とりあえず、ダラダラと寝て過ごしてやろう。

 

2018年の正月が寝正月だったことを、この世の誰よりも私が満足してやる。

気の抜けたコーラよりも抜けきった私を誰よりも私が愛してあげる。

 

 寝正月最高だ!と、声を大にしてここで宣言してやろうじゃないか。

 

 

「正月を忙しなく過ごしているお前ら、私を見て後悔するがいい。

正月こそ誰とも会わなくていいし、同窓会なんてものには行くべきでない。友達との初売りなんかも行く必要ない。

正月を寝て過ごす事は、後少しで襲いかかってくる魔物ストレスと戦う為に必要な寝溜めだ。エネルギーの温存なんだよ。だから正月は寝正月にするべきなんだ。

そうさ、よく聞け

寝正月をすれば良かったと後悔するのは正月休みが明けたその日だ。そうして君は寝正月をしなかった自分をいつになく責める事になる。覚悟しとくがいいよ。」

 

 

ふぅ。

 

私と生きる義務が君にはあるから。

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皆様、新年あけましておめでとうございます。

2018年もどうか、はてなブログ、合わせてさあこをどうか、どうぞ、よろしくおねがい致します。

 

わたくしごとではありますが、

今年は色々と忙しい1年になりそうなので、

今から気を引き締めていきたい次第であります。

 

そして、

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色々な意味を込めて

今年の抱負は「アクティブな1年にします。」にしました。

 

それでは、〝私の言うアクティブとは〟についての説明をしていきたいと思います。

 

アクティブ①「仕事面」

2017年後半、沢山の厄介事がドバドバでした。

よって息継ぎをする暇などなく、自分の居場所探しに全エネルギーを注ぎ込んでいました。

 

そうやってニュー勤務先に移り、一刻も早く環境に慣れようと毎日を食い散らかしながら生きていました。そろそろ息切れ寸前でした。

 

しかしながら

新しい年になったからといって、そのストレスから間逃れた訳じゃあない。

日々を乗り越えなくちゃいけないのはいつだって同じなんです。

ですから今年もゼェゼェ言いながら日々を耐え抜いていく次第でございます。

 なので、その為に私はいくつかの努力をするべきなんです。

 

例えば、文章力向上だったり、アイデアをポンポンと生み出す為の学習だったり、まあそれは色々です。

 

つまりは去年の倍、仕事に貪欲さを持って取り組むべきなのです。

いや、私がそうしたいのかもしれません。

 

でなければ、また私は自信を失ってしまう。

それだけは必死に避けていきたいんです。

 

何よりも私が来年に作り上げたいものは「貢献してる自分」であり、何か少しでも皆の役に立てている実感。

 

「来年は今年よりも、個人個人に与えるノルマが倍増するかと思いますが、それぞれの意識を高めて乗り越えていっていただきたい。」という、特大プレッシャーを去年の忘年会では頂いたので、戸惑わず答えられるようなアクティブな自分になりたい。

 

そうすることで、ずっと欲しかった自信をようやく身につけられるような気がする。

いや、そう思い込む事で、日々をアクティブに過ごしていけると思うのです。きっとそうなんです。

 

アクティブ②「プライベート」

去年は色々と大変で、プライベート充実など出来っ子ありませんでした。

なんだか〝生きる〟事だけで精一杯でした。

なので人に会えない1年でした。旅行にも行けない1年でした。それは非常に無念だ。

 

だから今年はマイペースに、プライベートに力を入れていきたいと思っています。

会える人には会いにいきたいし、行けるところにはとりあえず行きたいと思っております。とりあえず待っててください。

 

 

アクティブ③「恋愛」

皆までは言わん、とりあえず慎重に進めていきます。

 

アクティブ④「自分磨き」

これまでできなかった自分の為の取り組み、及び、自分への投資。

 

アクティブ⑤「ヒューマン」

とりあえず、これまでに貰った愛をお返ししていかないとなりません。

 

迷っている人がいれば、答えを一緒に探してあげたり、泣いてる人がいれば、ハンカチを差し出してあげたり、

困っている人がいれば、その人の行くべき道をiPhoneのライトで照らしてあげたいのです。

 

自分の事だけで必死だった去年を補わなくちゃ。

 

そして、犯した罪の制裁を受ける事は、もちろんの事

やり残してる対人関係での整理整頓と、誰かの精神面のサポートをもう1度始動させていこうと思います。

 

 

と、なんとなく掲げた今年の抱負「アクティブな1年にします。」は、割と今の自分にはピッタリな豊富だったのかもしれません。

 

 

ただ忘れてはいけないのは

2017年があったから、2018年があるということ。

 

なんとかここまで生かして貰えたので、後は心配をかけず、ひたすら這い上がっていくだけ。

 

割と深いところまで潜って、目ん玉が真っ白い魚達と真っ暗闇で何も考えず、限界まで遊泳してこれました。

だけどもう深海は、満足です。じゅうぶん。

 

なので、そろそろ浅瀬の美しさを知りたい。

と、ついに私も浅瀬で生きているカラフルで綺麗な魚達と遊泳することを夢に見るようになってしまった訳です。

 

私はこれまで〝普通〟に憧れて生きてきたけれど、やっと、このように〝普通〟の欲望を抱けるまでに戻ってきたようです。拍手です。

 

まあ、きっといくら足掻いても私は〝完璧な普通〟にはなることはできそうにはない。

 

でも

 

〝できなかったことを、やる〟〝皆ができてる事を頑張る〟を目標にしてから、少しだけ〝普通〟がどんななのか解ってきたような気がするんです。

満足するまではまだまだですけど、少しづつ前に進んでいってる気がしてるんです。

 

 

いやはや

2018年は、こんな私にも平等にやってきてくれました。感謝。

 

これからも皆と過ごす時間には、 沢山の笑顔が溢れるようにと、全力を尽くしていたいし、

日常に落ちてる小さなモノにも「勿体無い」と、沢山の感情を抱いていきたい。

そして、皆の毎日に愛が沢山詰まっていますように。と、誰よりも祈っていたいんてす。

 

私の中の優しいを目覚めさせ、私は誰よりも私に優しくなりたい。

 

皆を〝幸せ〟へと巻き込んでいける人間を目指していきたいんです。欲深く。

 

なのでまだあなたは、そこにいる義務があるんです。

 

私がこの世で1番嫌いなシーンは〝別れ〟です。

あなたはずっと私のそばを離れないでいてください。

 

と、こんな独りよがりな私ですが、

どうか、今年もよろしくです。

 

まだ、あなたの愛、食べさせていただきます。

 

2017年どうか、笑顔で。

 

2017年、気付いたら今年も残すところ2日になってしまっていました。

ただ、こんなもんは毎年の事です、経験済み。

残されたこの2日なんてほんと一瞬で、息を吐いた次の瞬間に年は明けちゃってるんだよね。知ってるよ。

 

なので今年はきちんと、ここで皆様にご挨拶させてください。滑り込みセーフです。

 

 

そういや、はてなブログをスタートさせたのも2017年でした。

 

最初の投稿は、2017.1.19

私がココを始めた理由は、〝色を取り戻すため〟だった。

 

その頃の私の世界には、音も色も何も無くて

感情が思い出せないって、毎日毎日泣いていたと思う。人間に戻りたくて必死だった。

私の中に眠る僅かな欲望を目覚めさせようと、必死だった。

文字におこすと何か変わるかもしれないと、とにかく必死だった。

 

そして書き続けていくこと

 

2017.1.27

私はその日「その色はオレンジ。」という記事をあげた。

この日、昨日まで奪われていたはずの色を全部取り戻した。忘れもしない、とても不思議な日だった。

 

2017.4.24「また来る季節に、誓いのキスを。」

これから訪れる何かを察していたのが解る記事。

この頃、何かを恐れ、何かを必死に守ろうとしてたのを覚えてる。

 

そして、これが2017年最大の魔物。

たぶん一生忘れる事のない出来事。

 

2017.5.16「親が与えてくれる偉大なる愛を抱きながら」

4月28日母が緊急入院

退院するまでの2ヶ月間、ほぼ毎日不安と恐怖と後悔と共に泣きじゃくった。

「命」を必死に守ろうと、私はいくつもの「生」を手に入れた。

 

それから次々に訪れる様々なモノに何度も何度も押し潰され、取り戻して、でもまた失い。を繰り返しながら生きた。

そうして私は本当に大切なものに気付き、手に入れる事ができたのだった。

 

 

そう、これが私にとって、やっと大きく変われるきっかけになった出来事。2017年が私に託した試練だったのかもしれない。

 

 

そして

2017.9.24「あきれちゃった。」

文字を書けなくなった日。

 

2017.10.9「涙味のコーヒー。」

耐えながら越えようとしていたものを、まずひとつ取り上げられた日。

 

2017.12.3「2017年、よく聞け。私は君を許さないぞ。」

少しづつだけど、手に入れ始めた日。

 

 

こんな感じの2017年

すべてでは無いけど、私が生きた証がちゃんとココに記されていた。

 

忘れられない、忘れたくない2017年

やっと鬱から抜け出せたかと思ったら、急に当たり前を取り上げられて、自分の過去との戦争が始まる。

いくつもの壁を壊したり、越えたりしながら〝生きる〟を刻み込んだ。

そして、長年手に入れられなかった欲しかったモノが手に入った時、やっと〝幸せ〟がどんな感触だったかを思い出した。

 

2017.12.29

私はとても活力に溢れている。

当たり前も、幸せも、知る必要があった。刻む必要があった。

私は、来年も再来年もずっと生きたい。

何度死んだとしても、何度だって生きたいよ。

まだまだ取り戻したい事があるし、返したいものがあるから。

 

皆が幸せになれるように。

私がやらなくちゃならないこと沢山あるんだよ。

 

 

今年は皆さんにほんとに助けられた1年だった。

感謝してもしきれないくらい、愛を沢山頂いたと思う。

来年もどうか、こんな私をよろしくおねがいします。

 

まだ消えないで、そこにいてください。

2018年は与えられるより、与える1年にしたいです。

 

皆さんとは、来年までしばしお別れを。

2017年さん、あなたはどうか笑顔でお眠りください。

 

 

良いお年を。