れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

かんたんえにっきvol.7【Valentine編】

 

にがつじゅうよっか。

きょうは、ばれんたいんだった。

 

女の子は朝方までチョコをつくっていた。

男の子は朝方まで“バレンタイン”ということについてをツイートしていた。

それは、悲しいくらいに私にはどうでもいいことだった。

 

私だって昔は、朝方までフォンダンショコラを作ったり、クッキーを焼いたり、ケーキを焼いたりした事もある。

好きな人の事を思い浮かべて、喜んでくれますように。って祈りながら真っ黒いチョコレートをお鍋で溶かして、また固め直した事もある。

 

でも、捻くれてる私はいつしか

バレンタインという何かに支配されているのではないか?と考えるようになった。終わったんだ。

 

それはチョコレートがどう。とか

好きな人や、彼氏がどう。とかではなくて

世界に沿う事自体が嫌になったんだろうと思う。

 

【2月14日は好きな人や彼氏がいない人が可哀想】

【2月14日は好きな人や、彼女にチョコを貰えない人は可哀想】

といった、謎の上下関係がその日には生まれている事が、憎い。しょーもない。

 

「可哀想だね」と言う人が可哀想だ。と思って生きてきた私にとっては、

Xmasと並ぶくらいに憎い。というか、醜い日のような感じがしてしまう。

 

だからといって、バレンタインに好きな人と無事、結ばれました!っていう人を心から祝福できないなんて程、私もまだ終わってはいない。

今日ひとつの幸せを手にできたなら!それは喜ばしい事だと思う。

 

幸せを手にする、キッカケになる良い日。だとも思う。

 

もしもバレンタインに悲しくなった人がいれば

それは、もう世界に殺されているよ。と言いたい。

 

この世には、もっともっと他に楽しい事はあるし

今日じゃなく、違う日にでもチョコレートは渡せるし、貰う事だってできるし、

愛の告白だっていつでもできるんだよ。って言いたい。

 

支配されていることに、少しだけ目を向けてみると

バレンタインなんて、単なるパッケージみたいなものでゴミ箱にポイできるよ。って言いたい。

 

そんな今日の私はというと

冷蔵庫の中に入ってた、誰かが貰ってきたチョコレートを片っ端から食べた。

1粒づつ全部味わって食べた。

 

「このチョコを選んだ人はセンスがあるなー」とか

「なんでこれにしたんだろ」とか

「おお!おいしい!これ今度買おう!」とか考えながら食べた。

 

もちろん、手作りっぽいやつだけは除いてだけど、食べた。

 

そして

ひとつだけ私は私を騙してた事に気づいた。

 

「バレンタイン」に頼って、「ダイエット」を無視していい日に勝手にしてしまった。

 

しまった!私もバレンタインに支配されて今日を生きてしまっていたんだ。

 

ハッピーバレンタイン!!