れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

怖い。

ぎっくり腰になった人のお見舞いに行って

自分に置き換えた時、すごく怖くなった。

 

私はこれまで入院をしたことがないので、入院生活を想像するだけでも怖かった。

あと、私は幸いにも大きい病気をした事がないので

最近よく、病気についてを考える時間が増えて

また、自分が病気になってしまったことを想像して怖くなった。

それに、私はこれまで、傷をして縫ったこともないので

手術をする時の恐怖心を想像してとても怖くなった。

自分の体に、メスが入る怖さとか、針が突き刺さる怖さとか

注射針しか指したこと無い私にとってはとても怖くなった。

 

どうしたら、「痛さ」から避けられるのだろう。

どうしたら、「病」から避けられるのだろう。

その先に「死」があったとしても

私は、「死」までの、「病」や「痛さ」が怖い。

 

「死ぬことって怖くない?」と昔誰かに聞かれた事があったけど

私は特に、「死」に対して恐怖を感じた事がなくて

そこに至るまでの「苦しみ」や、「痛さ」「悲しみ」などが一番怖い。

 

例えば、足を切られたとしても

痛い痛い。ともがいている瞬間とか、アドレナリンが出たとしても

自分の切れた足を眺めて、「死」を待つまでの時間が怖い。

 

それは「病気」になったとして

余命宣告をされたとしても、それまでの「闘病生活」が怖い。

 

どうせ「死ぬ」なら、苦しみたくないし、痛みに泣きたくないし、「生きたいなぁ」とか思う時間なんて欲しくない。

怖い、怖い、怖い。

 

 

ぎっくり腰になったら、当たり前の生活がどんだけ幸せかを感じる。

そんな、ぎっくり腰にならなかったら気付けなかった事があるように

自分が「死」を目の前にした時の、ほんとの恐怖なんて、経験をしないとわからないんだろう。

それが何よりも怖い。

 

いざ自分がそこにたったときに抱く感情が想像できないのってすごく怖い。

 

こんな私はほんとに臆病だ。

生きる。ってほんとに怖いんだもの。