れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

“可哀想”だから、ここにいていい理由にはならないのか。

f:id:sarkorinko:20170613115747j:image

『ここにいていいんだよ』

この言葉さえ聞けたなら、私はもっと自分が好きになれるのだろう。

例え、欲しい。と言えば、手に入るものだったとしても

私が欲しい物は、どれも私には似合わない。

だから、いつも素っ気ない振りをして

いらない事にしてやる。

全部、「いらない」って言ってやる。

 

でもね、

本当は、この世には沢山の私が欲しい物で溢れていてね

キラキラしていて、楽しそうで、

欲望をさらけ出せば、全部手に入れたくて仕方ないんだよ。

 

なんでなんだろう。いつからだろうね

私は自ら“可哀想”を装って、私が“可哀想”である事でこの世が成り立ってるような気になってた。

悲観的に世界を眺めるようになって、もう、いつからなのかも忘れちゃった。

「この世なんて」と話し始めることで、勝った気になって、満たされてしまってる。

 

逆にあの娘ならもっと貪欲なのだろうな

いつも、この世が好きそうだし、沢山愛していられてる、

いつだって沢山涙を流して、沢山の感情を表して

「欲しいから」と言って、全部取られないように守ってる。

 

いつか行った私の好きな場所は、今はもう跡形も無くなっていたし

いずれ、思い出なんて全部奪われてしまって

私は独りぼっちになってしまうのかもしれない。

“可哀想”だから。

私が選んだ、“可哀想”である為に

「仕方ない私は可哀想だもの」と笑うんだろう。

 

 

いつか幸せになりたい。なんて空虚すぎる取り留めのないセリフは、口にするだけでも

「もしかすると幸せになれるのかもしれない」といった少しの期待まで壊されてしまうような気になる。

私は、いつも怖い。

いつか誰かに全部取られてしまうような気がしてる。

だって私には守る事も、立ち向かう強さなんてものも皆無だから

「幸せじゃないあの子にだけは奪われたくない」って思われてしまうのかもしれない。憎まれてしまうのかもしれない。

 

いつか『ここにいていいんだよ』

『これは君のものだから』と、撫でて貰える日はくるのだろうか。

私が“可哀想”を辞める事はできるのだろうか。

 

いくら涙を流しても、あの娘には敵わなかった。

私が失った場所をあの娘は埋めたし、あの娘は何度も彼の瞳に映るように笑ったのだろう。

声を出して、触れたりして、あの娘は「欲しい」を表したんだろう。

 

やっぱり似合わない

私には“幸せ”というアクセサリーは似合いそうにない。

 

キラキラとした世界を、この手で汚して

「ほら、濁ってる」と、安心するの。お見事、すごく敗者らしく出来上がってる。

 

だけどせめて

私が“可哀想”である事で誰かが“幸せ”になれるって

私が“可哀想”である事で誰かが満たされいる。とだけは教えていて

そして、私に言って

「君が可哀想だから、私は笑っていられる」

だから「ここにいて」と。

 

私が“可哀想”だから、私がここにいていい理由をあなたが創ってくれていい。