“可哀想”だから、ここにいていい理由にはならないのか。
『ここにいていいんだよ』
この言葉さえ聞けたなら、私はもっと自分が好きになれるのだろう。
例え、欲しい。と言えば、手に入るものだったとしても
私が欲しい物は、どれも私には似合わない。
だから、いつも素っ気ない振りをして
いらない事にしてやる。
全部、「いらない」って言ってやる。
でもね、
本当は、この世には沢山の私が欲しい物で溢れていてね
キラキラしていて、楽しそうで、
欲望をさらけ出せば、全部手に入れたくて仕方ないんだよ。
なんでなんだろう。いつからだろうね
私は自ら“可哀想”を装って、私が“可哀想”である事でこの世が成り立ってるような気になってた。
悲観的に世界を眺めるようになって、もう、いつからなのかも忘れちゃった。
「この世なんて」と話し始めることで、勝った気になって、満たされてしまってる。
逆にあの娘ならもっと貪欲なのだろうな
いつも、この世が好きそうだし、沢山愛していられてる、
いつだって沢山涙を流して、沢山の感情を表して
「欲しいから」と言って、全部取られないように守ってる。
いつか行った私の好きな場所は、今はもう跡形も無くなっていたし
いずれ、思い出なんて全部奪われてしまって
私は独りぼっちになってしまうのかもしれない。
“可哀想”だから。
私が選んだ、“可哀想”である為に
「仕方ない私は可哀想だもの」と笑うんだろう。
いつか幸せになりたい。なんて空虚すぎる取り留めのないセリフは、口にするだけでも
「もしかすると幸せになれるのかもしれない」といった少しの期待まで壊されてしまうような気になる。
私は、いつも怖い。
いつか誰かに全部取られてしまうような気がしてる。
だって私には守る事も、立ち向かう強さなんてものも皆無だから
「幸せじゃないあの子にだけは奪われたくない」って思われてしまうのかもしれない。憎まれてしまうのかもしれない。
いつか『ここにいていいんだよ』
『これは君のものだから』と、撫でて貰える日はくるのだろうか。
私が“可哀想”を辞める事はできるのだろうか。
いくら涙を流しても、あの娘には敵わなかった。
私が失った場所をあの娘は埋めたし、あの娘は何度も彼の瞳に映るように笑ったのだろう。
声を出して、触れたりして、あの娘は「欲しい」を表したんだろう。
やっぱり似合わない
私には“幸せ”というアクセサリーは似合いそうにない。
キラキラとした世界を、この手で汚して
「ほら、濁ってる」と、安心するの。お見事、すごく敗者らしく出来上がってる。
だけどせめて
私が“可哀想”である事で誰かが“幸せ”になれるって
私が“可哀想”である事で誰かが満たされいる。とだけは教えていて
そして、私に言って
「君が可哀想だから、私は笑っていられる」
だから「ここにいて」と。
私が“可哀想”だから、私がここにいていい理由をあなたが創ってくれていい。