ツマラナイならウメル。
生きることが下手くそな私は「愛」を学ぶまでには、相当な時間がかかった。
なんとなく息をして、なんとなく時計の針が1周するのをずっと眺めて
「すべてに意味があるのかな」と小さく呟いたりしてた。
嫌を楽しいで塗りつぶし、下唇噛みながら必死に生きようとしてる人を
「この人はどうしてこんなに頑張れるんだろう」と傍観的に眺めて、
私の魂なんて、いつでも誰かに預けられるような
そんな無気力な日々を過ごしてきた。無様にも、我を殺し続けた。
でも
ある日、見るもの全ての色を奪われたり
ある日、突然当たり前が一瞬で無くなったり
ある日、急に「自立」を願わない自分が怖くなったりして
やっと、ここまで辿り着いた。
その場所には、取り零した「愛」が沢山あって、心に愛を埋めるスペースを綺麗に空けていた自分の貪欲さに気付いた時、私は探し続けてた何かを手に入れた気がした。
そこに溜まっていた、沢山の人からの「愛」は、すべてに色があって、形があって、感触があった。
そして温度があった。悔しいほどにしっかりと。
私はその日、「愛」を貰い続けていた事実を抱きしめ大量の涙を流して刻んだ。
そしてそれは「生きたい」という言葉になった。
私は必死に捨てたはずの日々を、今と縫い合わせながら
「失くしたモノ」が落とした秒針の音を何度も何度も何度も耳に流しみ続けた
そして、
その瞬間の心音を誰かに聞かせたい。と初めて思った。
私が「生きたい」と抱いている時のエネルギーは半端ない。と、教えたかったし、
「あの時とは違う」と知って欲しくなった。
なんとなくでいい、たぶんそうなんじゃないかな。でも、勘違いでもいい。
馬鹿らしいって笑ってくれたっていい。
待ち合わせの時間にちゃんと間に合うように、無意識に小走りになる私の事は
べつに知らなくてもいい。
だけど、私が真っ直ぐにここに生きていて
ここで息をしてて
ここで未来を思い浮かべて少し微笑んだりしちゃうんだってことを、目に入れて欲しかっただけ。
少しだけ時間を奪いたかっただけ。
「愛」を知った途端、「愛」がどんどん欲しくなる。
でもそれでいいんだって
それがいいんだって思う。
だって君は笑って受け止めてくれる事を知ってるし
私がどんなに遠回りしたって
待っていてくれて、私に懲りずに愛を流し込み続けてくれた人達がいるなら
私は怖くない。
明日も明後日もいかなる試練だって越えていける
何かを学ぶまでは、潰し続けてだっていける。
嫌を楽しいで塗りつぶし続けてみる。
深呼吸をして、触った未来が確かなら
そこに行くしかないんだもの。
迷わない愛なんて、私は知らなくていいし
痛くない人生なんて、もういらない。