真っ黒いコーヒーに溺れて。
コーヒーに溺れてしまいたくなる時があっても別にいい。
「そんな言い訳、もう聞きたくない!」
私は私に、怒鳴りつけた。
大好きなものには、知らず知らずに溺れてしまうもので、息ができなくなって初めて
「あ、溺れてしまっていた」と気付く。
そこで私はいつも、
「わたしを溺れさせたんだから、最後まで責任取ってもらわなきゃ」と、溺れるまで愛したものに、異常なまでの執着をしてしまう。
しかしながら
これは、私の人生を左右してきたくらいの悪い癖だから、堂々と語るような内容では無い。
が、短所こそ晒し、憎むべき私の過去を成敗するべきだと思ったので今日は自分の首を締めようと思う。
キーワード依存性。
私は自分を極度の依存体質だと自負していて
人はもちろん、物や、音であっても、
「これがないと生きていけない」と、無意識に自分にそう思い込ませてしまう。
依存とは、“辛さ”から気をそらす為の逃避。
依存先で得た安堵感に喜びを感じ、
いずれそれは「もっと強いのが欲しい」「もっと、もっと」と、さらに依存を加速させていく。
つまり最終的には、悪循環に苦しんで泣いているだけ。
何度も、こんな自分じゃ嫌だ。って克服を試みたが、
結局、何かのせいにして自分を甘やかし、元の位置に戻ってきてしまう。
そして、何も進めてなかったんだ…と肩を落として
また泣くだけだった。
そういった過去のそれらは、現在の私に重くのしかかるが、
「依存症」という言葉で、後悔を誤魔化すようになってしまった。
戻れなくなって、抜け出せなくなって
私はどんどん自分を嫌いになっていくのに、ずっと勝とうとしなかった。
コーヒーだって、1日1杯飲まないと気が済まないし
タバコにだって、誰かにだって頼りすぎている。
情けないほどに、委ねすぎている。
でも、ここから少しでも変えていかないことには、
自分の甘さを懲らしめない事には、何も得てはいけないのだろう。そんなの嫌だ。
「全てが欲しい。なんて甘ったれんな!」
そう言って、半分以上残ったコーヒーを捨てた。
溺れて急に息ができなくなった。
嫌だ!もう、抜け出したい。と、私はコーヒーを全部捨てた。
私は今の自分が大嫌いだ。
自分の好きな所なんて見つけようとするだけ無駄だと諦めてしまうくらい自分が嫌い。自分を愛してあげれない自分が大嫌い。
だから、まずは「依存性」の自分に依存するのをやめよう。
まずは、自分を愛してあげる努力をしよう。
「自分が好きじゃない自分を誰かに進めるなんて、すごくおこがましいと思いませんか?」
そう、
自信を持って誰かに愛してもらえる自分にならないといけないんだと気付いた。
真っ黒いコーヒーが私を睨み、大好きが、大嫌いを知らせてくれた。
ありがとう、これまでの私。
信じよう、これからの私を。