れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

感謝に色を塗るのだろう。

仕事で疲れて帰宅しても真っ暗な部屋には熱が篭っていてとても暑かった。

それは、まるで“誰もいない”を叩きつけられてるようで、悔しくて仕方がなくて

今にも溢れだしそうな孤独を殺すように、クーラーの電源ボタンを押して

部屋が熱を逃がす前に、さっさと買ってきた中食を電子レンジにほおり投げ、特においしくもない夜ご飯をテレビを見ながら胃の中にいれた。

 

これまでの私はそんな風に“寂しい”を紛らわすように日々を喰っていて、

与えられたその“やるせなさ”を口にするのが何よりも嫌だった。

誰にも言わなかったし、言いたくなかった。意地でも。

その変わりに「帰りたくないなー」と口癖のように何度もボヤいた。

それに対して誰かは「なんで?」と聞いてくれたけれど、「家って落ち着くじゃん」と的外れな慰め方をしてくれた。

もう、どうしようもなかった。ただ流れるのを待つだけだった。

 

しかし今ではそれは少し前の過去の話であって、

懐かしい思い出として私は今日ここに残そうと思えたのである。

憎らしくて、厄介な私の中の“孤独”を刻み込んでやるんだ。

 

あの日までそんな“誰もいない”が“当たり前”だったはずなのに、

今では、帰宅すれば涼しい部屋が待っていて、部屋には必ず誰かがいて、もちろん部屋には嫌な熱は篭っていない。

玄関のドアが閉まる瞬間にはもう「ご飯は?」と声が聞こえてきて「いるー」と返事しながら、部屋着に着替える。

 

そんなみんなにとっての“当たり前”が今の私にはとても嬉しくて仕方がなく、

テレビを見ながら母の作った美味しいご飯を食べる時に「これが欲しかったんだ」と何となく欲しかったモノを思い出した気がした。そして、“孤独”が去った事を知ったのだ。

 

たしかにあの日“当たり前”は失われてしまったけれど

同時に、いつか消え失せてしまっていた“当たり前”をもう一度この手に戻す事もできたのだと気付いた。涙が出そうなくらい嬉しかった。

だけれど、そんな溢れ出る“感謝”をいつまでも途切れぬようにしようとすればするほど、

おっかなくも、日々、口に入れる全てのモノに突然“涙”が流れてしまいそうになる。

当たり前の“幸せ”というものは、こんなにも胸が熱くなって、愛おしくて仕方がないものなのか。と“当たり前”が零れ落ちないようにギュッと、私にしまい込んだりする。

 

悔しくて仕方がなかった「実家はいいなー」の言葉。

「みんなの実家とは少し違うんだよ」と下を向きながら返事をして、それ以上何も聞かれないように、

悟られないように、何も失わないように、私の中の“孤独”をねじ伏せ続けた感情。

 

しかし、今は違う

「実家なんだー。いいなー。」と投げかけられる言葉にも

「そうなんだよー、いいでしょー」と笑顔で返事する事ができている。

 

みんなとっては、そんな事なんて当たり前なのだろうし

当たり前すぎて可笑しくて、バカバカしいのだろうけれど、

でもみんなだって“当たり前”がいつ消えてしまうのかなんて解らない。

だからこそ、生活の中の“当たり前”に目を向けてみて欲しかった。

多分、有り難みなんて、失って気付くものなのだろうけれど、

もっと“当たり前”に感謝する瞬間が少しでもあったなら

あの日私に襲いかかった“後悔”はここまでじゃなかったのじゃないか。って感じるから。

 

 

夜に母がいて、ご飯を作ってくれたり、

夜に父と母がテレビを見ながら笑っていて、話し声が聞こえてきたり、

朝には弟の「いってきます」に、家族みんなの「行ってらっしゃい」がハモる事も

昼ごはんには弁当があるから近くのお店でご飯を食べなくていい事も、

全部

みんなには当然なのだろうし、感謝ができる瞬間では無いのだろうけれど

私にとっては格別だし、特別だからずっと抱きしめていたい瞬間なんだ。

 

もしも「今幸せ?」と問われたなら

私は迷わず「幸せ」と答えられる。

「どうして?」と聞かれれば、「家族が家族に戻れたんだ」と答えられる。

 

私がこの世界に産まれた瞬間から、父と母は私のそばにいた。

私が産まれてから3年経った頃には、そこに弟がいて

私達はそこからずっと家族だった。

“当たり前”だけど、ずっと家族だったんだ。

 

あと少しでやってくる8月7日には、私が家族を知ってから28年が経つようだ。

だから今年は「ありがとう」と言おうと決めた。

「私を産んでくれて、ありがとう」「私の家族でいてくれてありがとう」と。

 

もっと“感謝”を忘れない人でいたい。

これからは“当たり前”をちゃんと抱き締め続けられる人でありたい。

それは行動や、言葉で、形にする事で過去が報われるような気がするから。

もっと、もっと、大切な事をちゃんと覚え、感じ続けられる人になる為に生きようと思えた。

 

 

「ありがとう」をちゃんと口に出して、“感謝”に色を塗るんだ。

私はこれから、しっかりと生きてる人になるんだ。