れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

他人はいつも優しい。

いつだって私が迷子になっても、誰も手を引いてくれなかったし

『その道は間違っているよ』も『おいで』とも暗闇から連れ出してくれる事もなかった。

私が何度も躓き、どうしたらいいの。と立ち止まり泣いていても

『自業自得だ』と冷たい視線で現実を突きつけてくれた。

そう、他人はとても優しい。

私が誰かを求め泣いている事も、悲劇のヒロインを演じ、頑張ることを諦めようとしているって事も

すべてはお見通しで、だからこそ誰も手を差し伸べてくれなかったのだろう。

他人は私に厳しく、そしてとても優しかった。

 

 

確かに私は何度も間違った。何度も逃げたし、何度も何度も自分を責めてしまっていた。

だから、いつまでも愛されないのなんて当たり前だった。

自分を愛してあげられていないから世界に愛されないのなんて当然で、

何かを責めているようじゃ、何も越えていけないのも当然。

知っているし、理解もしている。

ちゃんと歩んでいかないといけないって解ってる。

 

でもどうしてなんだろう

やっぱり私はおかしいのだろうか

 

いつの時も、暗闇が嫌だって迷子になるのが嫌だって何度も抜け出そうとするのに

知り尽くした道を歩いて、安心を手に入れてしまうと

物足りなくなってしまう。

 

誰かが私を連れ出して、キラキラとした明るい道をこの目に映してくれたとしても

『私には似合わない』って逃げようとしてしまう。

 

私には真っ暗闇で

迷子になりながらでも手探りで、間違いながら生きていくほうが合っているような気になってくる。

 

内心は『もう若くないんだから』の無責任な言葉にも

少しの焦りも感じていなかったり

『もうそろそろ落ち着きたいよね』の言葉には、なんとなくだけど

『あなたの落ち着くと私の落ち着くはきっと違うし』と斜めから睨んでいる。

自慢できるような人生を語る人を一度も羨ましいと思ったこともないし

私はいつだって捻くれていて、いつだって逸れていた。

だけどいつも同じを演じていたかった。救われてみたかった。

 

もうちゃんとは生きていけないのだろうか

他人が示す“幸せ”を一度も“幸せ”だと思えないのは

もう“正常”を諦めないといけないのだろうか

 

どうして私が誤っても、当たり前だ。って目で見るのだろう

そうして私が迷っていても、いつもの事だ。と目を反らすのだろう

どうして私が独りぼっちでも、私の目の前を塞いではくれないのだろう

どうして私が人と同じになろうとしていることを“かわいそう”だって慰めてはくれないのか

どうして私は強いと勘違いされていて

皆と同じでいれないのだろう

 

いつだって不思議だった。

道から逸れている私に、なんの違和感も感じていない。もう誰も。

あきれられていることだって、既に知っていたけれど

私は普通になりたかったよ。いつも。

普通にキラキラとした道を歩いて、安心に寄りかかっていたかったよ。それでよかったのに

全部『おかしい』で済ましてくれる。済まされてしまう。

やっぱり、他人はいつだって優しい。私を甘やかさないし、優しすぎるから悲しい。

 

そう、この人生は自業自得だよ。知ってる。

私が選んだ道なのだから、私が到着地点を定めなくちゃならないし

私が見つけなくちゃならない

この人生は私のだから、私が完結させないといけない。

もういい。私が好きなら、それでいい。

 

他人はいつも私を見放してくれる。私を自由にさせてくれる。

他人はとても優しいから、他人は私になんて興味がないから

もう自由に生きよう。

他人の優しさが、もう息苦しい

もう優しくしなくていい。

私は絶対に不幸せになんてならないから、甘やかしてくれていいよ。お願い。