れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

捕食を何として。篇

「なんでお昼1人で食べてるんですか?」

「お昼とかどうしてみんな一緒に食べないの?」

 

本日、私に投げかけられたこの“お昼ご飯問題”で、私は、今日を25%くらいかき乱されたのだった。

 

お昼ご飯

なんでかといった理由とかは全然解らないけれど、私は人前でご飯を食べるのが大嫌いだ。

 

例えば、心を許していない人が目の前で、食べてる私をずっとガン見するシーンがあるとすれば

私は怒り狂うか、ストレスを溜め込んで泣き出すかのどちらかだと思う。

 

まあこれまでの人生、目の前に座った人間が食べてる私をガン見するなんてシーンは未だかつて無いので、

まだ怒り狂いながら泣き出した事は1度もない。有難いことに、感情的になった事も1度もない。

 

まあ、でも、

それくらい食べてる所を誰かに見られるのが死ぬほど嫌なので、ご飯は気を許した人間とじゃないと行きたくない。そう、私は結構めんどくさい人間だ。

 

「それくらい繊細な人間なのだね」と笑ってくれるのならまだマシだけど、

こんな“どうしようもなさ”をさらけ出す事で引かれてしまう事は、目に見えてるので、

できるだけ誰にも言わないように過ごしてきた。

 

私の食べ方がもしもヤギみたいなクセのある食べ方だったとしても、

魔物が人間を喰らう時みたいな邪悪な食べ方だったとしても、

とりあえずどんな食べ方だったとしても、

 

「この人は許してくれる」「すべてを受け止めてくれる」

という確信ができない限り、私が捕食する姿は本当に誰にも見られたくない。

 

だからできるだけ、避けて通ってきたつもりだった。

 

私のお昼ご飯は、

みんなが食べている所とは別の部屋で1人で食べるのが日課になっていて、それが唯一許される、許されないと困るワガママな逃避だった。どうしても譲れないものだった。

 

だけど今日、それは一気に崩れてしまったのだ。

 

部屋から出てくる私を目撃した先輩は、可哀想な人を見るような目をして、私を目一杯哀れんでくれた。

 

「違うんです。これが私の幸せなんです」

なんて言えたなら良かったのだけど、そんな勇気が私にあるわけなくて

何故か「ごめんなさい」と咄嗟に謝ってしまっていた。

 

何に謝ったのか解らなくて、きっと先輩は戸惑っただろう。

 

だけど、私は「今度から一緒に食べようね」のセリフが飛んでくるかもしれない事を、それはそれは酷く怯えていた。

 

そんな恐怖をスっと交わしたつもりで1日を終えようとした時、

面談しよう。というメッセージが上司から届く。

 

「ふぁー」「ぐぉー」「とりゃー」

と、意味のわからない奇声を心の中で何度も発したけれど、誰に伝わる訳でも無く、

面談をする為、いつも1人でお昼ご飯を食べている部屋をノックし、入室した。

 

 

「何か人間関係で悩んでることある?」

よっ待ってました!と私の中の私が、合いの手を入れたりして調子に乗り出したのを感じる。

 

「それが、全く何も無いです。むしろ、私皆さんのこと好きなんですよ」

 

「女性の友情とか解らないけれど、結構それぞれ一匹狼みたいなところある?もしかして」

 

「はい、たぶんみんな同じようなタイプだと思います。ひとりにしてほしいときは、自分のテリトリー守りながらやってる感じします。でも私逆にそれが楽なんです。」

 

「そっかー良かった。なら良かったよ。」

 

と、上司は目元をクシャとさせて微笑んでくれた。

 

私は、その笑顔にホッとしたかと言うと、そういう感じは一切無く

むしろ、これを恐れていたんだな。と、反省していた。

 

私がどうして、ここまでひとり飯を知られないように、わかられないように、触れられないようにしてきたのか。

お昼ご飯問題から逃避してたのか。というと、

「私たちに問題あるのかな?」「なんか思ってるのかな」

と、周りにいる優しい人達に無駄な心配をかけるのが嫌だったからだ。

 

こんな私を快く受け止めてくれている人達の優しさを踏みにじるような感じがして嫌だったからだった。

 

私は、結構まあまあ、だいぶ、相当、いくぶん、割かし、

今回のお昼ご飯問題には、めちゃくちゃ反省している。

 

私がもっと美しい人間で、食べ方にも自信があって、もっとみんなに見てほしいって生きてるモデル志望の女だったなら。

 

私がもっと人に嫌われる事など怖くなくて、嫌な思いをさせる事に神経質な微細な人間じゃなかったなら。

私がもっと社会適合者だったのなら。

と、ひたすら自分を責めたりもしたけれど

 

「さあこさんって結構色々考えるタイプ?気にしいなタイプだよね?」

と投げかけてくれた事に、なんかすごく心が軽くなっていく。

 

別に私が認められた訳じゃないけど、意地悪だと思っていた社会が“私”を受け止めてくれた瞬間のように感じたから。

 

なんだか「こんな私でも?え?良かった?って?ことですか?」と焦りながら何度も気が済むまで問いかけたい気分だった。

 

と、まあ、今回のお昼ご飯問題で、

私は己のちっぽけさを知り、空っぽさを知り、長年満たされなかった“承認欲求”が、今になって満杯に注がれていくような感覚になったのでした。

 

それと、もう1回、明日からの生き方を考えようと思えたのであったのでした。

 

男の言ういい女

今朝、見てもない録画を流してあるテレビから

「男の言ういい女は、その一瞬をどれだけ濃厚に過ごしてくれるかで判断するでしょ?」

「だけど、女の言ういい男は、一生をどれだけ過ごしたいと思えたかで判断しているから」

というセリフが聞こえてきた。

 

蛍光マーカーで線引かれたような、そのインパクトのある名言は、私の心にダイレクトにダイブしてきて、

なんか別に悪くない心地良い痛みを残したまま、今日に居座っていた。

 

私は、男の言う“いい女”になりたがった事も過去にあったし、

「お前はいい女だよ」なんて言われた日には、ジャンプして家路を辿る単純女だった。これまでは。

いや、2月26日の朝までは。

 

何よりそれを褒め言葉だと、ここまでを平気で過ごしてきたはずなのに、そんな朝の一瞬で、

正解?不正解?と自問自答する事も無く、ズタズタズタズタと崩れ落ちていくものを、無条件に受け止めてしまっていたのだ。

 

私がこれまで「いい男」と言ってきた男は確かに

「一生を共にしてくれそう」「一生一緒にいても苦じゃなさそう」

で、切り分けてきたし、本当にその通りだったから。

 

だから、私は痛いほど納得させられていたのだと思う。

 

これからの私は「いい女だね」と男に言われてもきっと喜ぶ事は無くなってしまったのだろう。

そして私の中の“純粋”な部分がまたひとつ失われてしまったのであろう。

 

「君は悪い女だね」「君はいい女ではないけど、楽しい女だよ」

「君は俺を幸せにできる女なのかもしれない」

 

私は少し笑顔で、胸に残る蟠りみたいな氷の塊にそっとキスをし、優しく溶かしてあげた。

そして騒がしい何かを、そっと寝かしつけてあげたのだった。

 

夜ご飯問題

「今日何食べたの?」

私は毎日このセリフを口にして、誰かの夜ご飯のメニューに温まるのが習慣になっている。

 

だけど別に、食べたものを聞きたい訳ではなくて、多くの中から彼が選んだものが聞きたいだけ。

 

何を食べたかなんてどうでもよくて、何に満たされたかが聞きたいだけ。

 

私は、ご飯を美味しそうに食べる人が好きだ。

そして、ご飯を食べてる自分を見られるのが、好きな人が好きである。

 

見出し1の「お昼ご飯問題」を思い出してみてくれたら解るだろうけれど、

 

私は、自分自身の欠点を補ってくれるような人を好きになる事が多くて、

私の多すぎて数えきれないコンプレックス達を文句も言わさず黙らせ、沈めてくれる人が好きだ。

 

「今日、何食べた?」

「唐揚げ」

「美味しかった?」

「普通」

「そっかぁ幸せじゃなかったのかぁ」

 

そんな風に落ち込む私を知っているせいか、彼はいつも美味しそうに食べる姿をわざわざ私に見せてくれる。

 

そして「幸せ?」と決まって聞く私に、

いつも「幸せ」を0か100かで見せてくれる。

 

「私は君が何かを食べている時が1番好き」

「なんで?」

「幸せがどんなものかが、目で解るから」

「ほぅ」

「あと、幸せな時、本当に幸せそうに何かを食べて見せてくれるから」

「確かに、食べている時が1番感情的かもね」

 

何かを喰らう時、彼はこの世を隠してくれるし、

私がここにいる意味を思い知らせてくれる。

私に“理由”を与えてくれる。

 

彼の大好物になりたい。

という夢は、まだ果たせそうにはないけれど、

 

「ねぇ、君は今日何食べたい?」

 

 

昼朝夜の大好物

食べ物の味が無くなった時の事を私はもう覚えていない。思い出せなくなった。

 

毎日のように「あれ食べたい」「これ食べたい」と、舌のベクトルを欲望に合わせて、自分がまだ大丈夫かどうかを確かめる。

 

「やりたいこと」が無かった頃に比べて、「すべき事」がハッキリしている今、

「私には何が向いているのか」に殺される事も無くなった。

 

涙を流す事を忘れてしまったのだろうか、と不安になる夜は、

そっと過去を思い出して涙を流さしてあげる。

 

それくらい自分をコントロールしながら生きれるようになった。やっと。

 

うつの人は決まって同じような文章を書く。

という記事を読んだ時は、足の先からゾワゾワと得体の知れない何かが体中を駆け回る感覚があって、一瞬「やばい」と、思ったけれど、またちゃんと戻ってこれた。

 

きっと、確実に時計の針が進んでいることを私は自覚していて、

“今日の自分”をいちいち愛でながら毎日を過ごしている。だから戻すのも上手になったのだろうと思う。

 

いつだって、私が悲しみに導かれて逃げ出さないようにする為に、必死なんだと思う。

 

いつかお腹いっぱいになるまで、私に残る過去の悲しみを食べ尽くしてやりたい。

 

そう、忘れないように、忘れっぽい私に

“決意”だけを上手に残しながら捕食できるようにしてやりたい。

 

そして私の大好物は、私の“弱さ”だと胸を張って言えるようにしてやりたい。

 

と、今日はいつもよりお腹いっぱいになる、そんな1日だった。