れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

さあ、不器用に生きた20代のわたしを成仏させるとしよう。②


1週間待ちに待った休日に“どこにも行かない日”を

私は、いくつ喰らい尽くしてしまったのだろう。

 

ひたすら“退屈”でお腹を満たしたとて、

ちっとも“本物”になんか出会えないじゃないか。

こんなはずじゃないだろ?

 

とてもとても恥ずかしいけれど、

「30代が一番楽しい」という、いつかの誰かの言葉をまだ信じている自分がいる。

 

それなので信じられないくらいに月日が経ってしまっていたとしても、私は今日、20代のわたしを成仏させにきたよ。

 

 

 

どうせ、明け方の美しさを知らないのだろ

 

「夢?無いよそんなの」

きっと20代の頃の私なら、迷わずこう答えていただろう。

 

【願えば、叶う】なんか大嘘だ。

正解は【死ぬほどに努力さえすれば、叶うこともある】だ。

 

これは“後悔”とか“幻滅”とかをまだ知らない少年少女を

無駄に“その気”にさせるため、

大人というズルさが作った言葉だと思う。

 

それなのに、真っ直ぐに「信じてる」と言っている人を大人たちは嘲笑う。

 

「そうだね、信じていれば叶うもんね」と、

口角が上がった口元を手で隠し、絶対にそれを見られないように。

 

なら、それなら、全部教えてあげればいいのに。

 

【どのように願って、どのように叶えるのか】

丁寧に1から説明してあげたらいいのにと思うけれど、大人は、絶対にそれはしない。

 

それは未熟で、初心な人を見ていると安心するから。

「まだ自分は大丈夫」と思えるからだろう。

 

 

昔から「どうして?」と聞く癖がある私は、

いつも「どうして、夢は持たないといけないの?」とか何とか言って、ひたすら大人を困らしていた。

 

それは単純に、困った顔をしてくれる大人が好きだったから。

 

学生時代、私が宿題を一度も提出しなかったのは、

「なぜ、宿題をしないといけないのか」を誰も教えてくれなかったからだ。

 

学生時代、自分の夢を誰にも言えなかったのは、

「なぜ、それになりたいのか」を誰も聞いてくれなかったからだ。

 

私は、そのよく分からない大人特有の不合理さがどうしても気に食わなかった。

 

都合のいい時は、“理由”を告げず、

都合のいい時だけ、“理由”を知ろうとしてくる。

ダメな“理由”や、示す道が正解だという“理由”は、絶対に教えてはくれない。

 

挙げ句の果てには、

馬鹿みたいに、馬鹿を見るような目で、

「いつか分かるよ」と、何度も何度も馬鹿みたいに言ってきたりする。

 

本当にセコい生き物だな、と思っていた。睨んでいた。

 

 

そんな私も気が付けば、

30代に足を踏み入れてから約3年が経つのだけれど、

「いつか分かるよ」は、「確かにその通りだ」と思うようになってしまった。

 

まるで信じたくはないけれど、

あの日睨んでいた生き物に、しっかり寄り添えてしまう。

 

 

若い頃は、あまりにも知らないことが多すぎる。

 

あまりにも痛みを怖がりすぎているし、そのお陰様で強すぎている。

 

そして「何があっても大丈夫」だと思い込みすぎているし、無駄に時間を喰らった人間から見れば、

それは、あまりにも“危険”すぎている。

 

だから、とても無責任ではあるけれど、

「いつかきっと、その“理由”が分かるよ」と思ってしまう。

仕方ない、経験する幻滅の数があまりにも違いすぎるから。

 

そして、その“理由”は、

そのうち自分で見つけられることは概ね確信できているし、自分で見つけたからこそ“意味がある”ということも知っしまっている。

 

だから、仕方ない。仕方ないんだよ。

 

悔しいけれど、

私も大人に成り下がってしまったみたいだ。

 

 

気が付くと、誰かと夢を語る夜なんかすっかり無くなってしまっていて、

誰かの夢を聞いては、刺激みたいな動揺をすることも無くなってしまった。

 

これを私は、とても悲しいことだと思う。

 

「信じれば」なんて言葉を簡単に口に出せなくなった今を、私はとても寂しいな。と思う。

 

「どんな風になりたい」とか「どうなりたいから今を生きている」とか、

きっと皆、何かを信じながら息をしているはずなのに、

「簡単に信じべからず」で埋め尽くされた脳みそが、

それ以上の思考を拒む。

 

それほどまでに私たちは、月日を喰らいすぎてしまった。

また、それは、簡単には生きられなくなってしまったということでもある。

 

きっとこれが大人だろうし、

とても生き辛い生き物だった。大人は。

 

無駄に空っぽを信じていられた頃の方が、

よっぽど幸せだったな。あっけないな。

 

 

普通の人と違う時間に起き、

普通の人が寝静まる時間に息をする生活をして、約1年半が経った。

 

「何の為に頑張っているの?」

「どうなる為に、今踏ん張っているの?」

「いつかは普通の時間の生活に戻りたいと思うの?」

「将来的には、どうなっていたい?」

 

そんなの全部、当たり前に分かるはずがなくて、

どれにも向き合いたくもないし、答えたくもないけれど、

 

それには「明け方の空って、すごく綺麗だってこと知ってた?」と適当に返事をして、

私はいつかの自分を“信じて”いたいと思っている。

 

本当にまだまだ沢山沢山、夢があるから、

だから、まだしばらくは、夢を見せ続けていて欲しい。

 

失敗の数に惑わされない選択した私たちを失敗だと笑おう

 

まず1回目は、失敗を指さした私の失敗だった。

 

知らなくて良いはずのことを知りすぎてしまったことを失敗だとして、

自身の好奇心をひたすら恨んでさえいれば、

とにかく落ち着いていられたからまだ良かった。

私は、この好奇心に救われていた。

 

2回目は「もう一度」と願ってしまった相手の方だったと思う。

 

「元気?」への返事など、きっと何の興味はなかったはずだけれど、

“今の私が元気か、元気じゃないのか”をスラスラと語らせてしまった相手側の失敗だろう。

 

3回目は、もう一度触れたいと思ってしまった私の失敗。

4回目は、「一生今日が続く」と勘違いしてしまった私達の失敗。

 

5回目、6回目、7回目のことは、細かくは思い出せないけれど、

とにかく、お互いを知りすぎてしまったことの失敗だった。

 

8回目は、普通を捨てられなかった私の失敗。

諦めきれなかった、私の失敗。

7回目までの失敗を、すっかり忘れてしまっていた私の失敗だ。

 

この失敗の数字は、正確ではないかもしれないけれど、

私たちは、何度も何度も失敗を繰り返していても尚、

「大丈夫だ」と何の根拠もない理由を探して、飽きるほどの“もう一度”をしてきた。

 

そう、いつも同じ。

『失敗をした』ということよりも『ちゃんとできなかった』ことを悔しいと思った。

 

「今の私たちなら大丈夫だと思う?」と質問したら、きっと私たちは同じ答え方をすると思う。

 

「失敗を怖がらずにいれるのはここだけだから」と。

 

それがどんなに安心していられる空間か、人は考えもしないだろう。

 

でも別にそれでいい。その方が咎められずに済む。

まだここにいる理由になるから。

 

確信できることは、

これは依存とは違うが、執着だということだ。

 

それが失敗への執着なのか、成功への執着なのかはよく分からないけれど、

どこかで私たちは「何度だってやり直せる」と思い込んでしまう。

 

これは、今だから言えるけれど、

全部、出会ってしまったあの時に決まっていたのだと思う。

 

それは、出会ったこと自体が失敗なのではなく、

何度も何度も「失敗を繰り返してしまう相手」だと気が付けなかった私の失敗。

 

そして、それを今「これが一番の幸せ」だと思ってしまうような人生を過ごしてきてしまった私の失敗にしていたい。

 

「馬鹿だ」と笑われても「無駄だ」と言われても、

「これが私だから」と胸を張れてしまう生き方をした私の失敗にさせていてほしい。

 

ラストは、この山積みになった“失敗”を綺麗に消してしまえばいい。

 

この“失敗”は、どう足掻いても“成功”にはならないかもしれないけれど、

それらを全消しした日、私たちがそこで大爆笑できるのであれば、私はそれでいい。いや、それが良いんだ。

 

 

ああ、生きた、生きた。

 

暴力的な映画を見た後、優しい音楽を聴いて、

通知から「今日のニュース」を読んでいる時、

ふと「今日かも」と思った。

 

20代前半の私は、毎日毎日「死にたい」を抱えながら生きていた。

 

決して幸せじゃなかった訳じゃないけれど、

ずっと幸せがよく分からなかった。

 

“幸せ”を簡単に形に表せるような感覚たちとのズレが、とにかく苦しかった。

 

他人の幸福論を目に映すたびに、疑問が生まれ、

他人からその幸福論で話を進められたとき、嫌悪が生まれた。

 

私にとっての幸せは、

「今を生きようと思えること」それだけだというのに、

他人は「お金を稼ぐこと」「結婚をすること」をダンボールの裏に書き、私に見せつけては、ご親切に「人として」まで諭してくれた。

 

そこに鳴り響いていた秒針の音も、太陽の光も、コーヒーの香りも、

とにかく全部が、うっとおしくて仕方がなかった。

 

そんな風に「死にたい」を抱いたまま過ごしている内に

いつしか「死にたい」をすべて喰らい尽くせるようになってしまっていた。

 

だけど、きっとそれは「死にたい」が無くなった訳ではなくて、

自分流の「死にたい」の食べ方を覚えただけだと思う。

 

兎にも角にも、私は、

私を今日まで生かしてくれた人たちを心の底から大事に想っているし、

上手に今日を生きられている私自身を素直に「素敵だ」とも思える。

 

そして、私は「死にたい」を始めて食べた日に、

「本当に幸せだと思えた日に死のう」と決意したから、今日までを生きてこられた。

 

そう、それが「今日だ」と思ったという話に繋がる訳で。

 

その日は、なんてことないいつも通りの1日だった。

 

それに私は今、とても幸せだと胸を張って言えるし、

あの日、欲しいと思ったすべてが、今手に入っている自信もある。

 

だけどどうしても、

明日を生きることだけは、愚直に怖いと思ってしまっていた。

 

「いつ死ぬか分からない」という恐怖。

「この幸せが、いつまで続くか分からない」という恐怖。

「いつかまた戻ってしまうかもしれない」という恐怖。

「老いてしまう」ことへの恐怖。

「何も願えない」ことへの恐怖。

 

今が一番幸せだと言える今日、

この恐怖ごと全部、終わらせてしまいたかった。

 

だけど、その時、脳裏によぎったのは、

家族が涙する顔や、

空いた穴を塞いで生きていく必要がある恋人のこと、

それに“生”ということに執着している人たちが不安がるだろうということだった。

 

一瞬で“誰か“だけで埋め尽くされた脳裏。

 

正常な熱を思い出させてくれたのは、

私と今日まで生きてくれた“誰か”だった。

 

そして私はその時に、

ずっと“誰か”と、今日まで生きてきたことを思い知らされてしまった。

 

「だれにもバレないように」など、

不可能だということを思い知らされてしまった。

 

そして何よりも、

私自身が冷たい人間だった。ということを思い知らされてしまったのだった。

 

これでもう私自身とのあの約束は、一生果たせなくなってしまったみたい。

 

なら、もういいや。もう、抗わないでいよう。

生きることが許されている最大の時間まで、

どんな形であってもいい、刻み続けるとしよう。

 

だから私は今日、

いつか突然死んでしまう私の為に「20代の私を成仏」したいと思う。

 

きっと死ぬときは、一瞬だ。

それに終わりは、きっと呆気ない。

 

それでも私は、この人生が幸せだと知っていたい。

いつまでも、この人生をしっかりと覚えていたいから。

 

 

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