れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

りにゅーある。

⇩パソコンversion⇩

f:id:sarkorinko:20170709121537j:image

スマホversion⇩

 

f:id:sarkorinko:20170709121602j:image

 

以上、リニューアルしたので報告いたします。

 

他人はいつも優しい。

いつだって私が迷子になっても、誰も手を引いてくれなかったし

『その道は間違っているよ』も『おいで』とも暗闇から連れ出してくれる事もなかった。

私が何度も躓き、どうしたらいいの。と立ち止まり泣いていても

『自業自得だ』と冷たい視線で現実を突きつけてくれた。

そう、他人はとても優しい。

私が誰かを求め泣いている事も、悲劇のヒロインを演じ、頑張ることを諦めようとしているって事も

すべてはお見通しで、だからこそ誰も手を差し伸べてくれなかったのだろう。

他人は私に厳しく、そしてとても優しかった。

 

 

確かに私は何度も間違った。何度も逃げたし、何度も何度も自分を責めてしまっていた。

だから、いつまでも愛されないのなんて当たり前だった。

自分を愛してあげられていないから世界に愛されないのなんて当然で、

何かを責めているようじゃ、何も越えていけないのも当然。

知っているし、理解もしている。

ちゃんと歩んでいかないといけないって解ってる。

 

でもどうしてなんだろう

やっぱり私はおかしいのだろうか

 

いつの時も、暗闇が嫌だって迷子になるのが嫌だって何度も抜け出そうとするのに

知り尽くした道を歩いて、安心を手に入れてしまうと

物足りなくなってしまう。

 

誰かが私を連れ出して、キラキラとした明るい道をこの目に映してくれたとしても

『私には似合わない』って逃げようとしてしまう。

 

私には真っ暗闇で

迷子になりながらでも手探りで、間違いながら生きていくほうが合っているような気になってくる。

 

内心は『もう若くないんだから』の無責任な言葉にも

少しの焦りも感じていなかったり

『もうそろそろ落ち着きたいよね』の言葉には、なんとなくだけど

『あなたの落ち着くと私の落ち着くはきっと違うし』と斜めから睨んでいる。

自慢できるような人生を語る人を一度も羨ましいと思ったこともないし

私はいつだって捻くれていて、いつだって逸れていた。

だけどいつも同じを演じていたかった。救われてみたかった。

 

もうちゃんとは生きていけないのだろうか

他人が示す“幸せ”を一度も“幸せ”だと思えないのは

もう“正常”を諦めないといけないのだろうか

 

どうして私が誤っても、当たり前だ。って目で見るのだろう

そうして私が迷っていても、いつもの事だ。と目を反らすのだろう

どうして私が独りぼっちでも、私の目の前を塞いではくれないのだろう

どうして私が人と同じになろうとしていることを“かわいそう”だって慰めてはくれないのか

どうして私は強いと勘違いされていて

皆と同じでいれないのだろう

 

いつだって不思議だった。

道から逸れている私に、なんの違和感も感じていない。もう誰も。

あきれられていることだって、既に知っていたけれど

私は普通になりたかったよ。いつも。

普通にキラキラとした道を歩いて、安心に寄りかかっていたかったよ。それでよかったのに

全部『おかしい』で済ましてくれる。済まされてしまう。

やっぱり、他人はいつだって優しい。私を甘やかさないし、優しすぎるから悲しい。

 

そう、この人生は自業自得だよ。知ってる。

私が選んだ道なのだから、私が到着地点を定めなくちゃならないし

私が見つけなくちゃならない

この人生は私のだから、私が完結させないといけない。

もういい。私が好きなら、それでいい。

 

他人はいつも私を見放してくれる。私を自由にさせてくれる。

他人はとても優しいから、他人は私になんて興味がないから

もう自由に生きよう。

他人の優しさが、もう息苦しい

もう優しくしなくていい。

私は絶対に不幸せになんてならないから、甘やかしてくれていいよ。お願い。

感謝に色を塗るのだろう。

仕事で疲れて帰宅しても真っ暗な部屋には熱が篭っていてとても暑かった。

それは、まるで“誰もいない”を叩きつけられてるようで、悔しくて仕方がなくて

今にも溢れだしそうな孤独を殺すように、クーラーの電源ボタンを押して

部屋が熱を逃がす前に、さっさと買ってきた中食を電子レンジにほおり投げ、特においしくもない夜ご飯をテレビを見ながら胃の中にいれた。

 

これまでの私はそんな風に“寂しい”を紛らわすように日々を喰っていて、

与えられたその“やるせなさ”を口にするのが何よりも嫌だった。

誰にも言わなかったし、言いたくなかった。意地でも。

その変わりに「帰りたくないなー」と口癖のように何度もボヤいた。

それに対して誰かは「なんで?」と聞いてくれたけれど、「家って落ち着くじゃん」と的外れな慰め方をしてくれた。

もう、どうしようもなかった。ただ流れるのを待つだけだった。

 

しかし今ではそれは少し前の過去の話であって、

懐かしい思い出として私は今日ここに残そうと思えたのである。

憎らしくて、厄介な私の中の“孤独”を刻み込んでやるんだ。

 

あの日までそんな“誰もいない”が“当たり前”だったはずなのに、

今では、帰宅すれば涼しい部屋が待っていて、部屋には必ず誰かがいて、もちろん部屋には嫌な熱は篭っていない。

玄関のドアが閉まる瞬間にはもう「ご飯は?」と声が聞こえてきて「いるー」と返事しながら、部屋着に着替える。

 

そんなみんなにとっての“当たり前”が今の私にはとても嬉しくて仕方がなく、

テレビを見ながら母の作った美味しいご飯を食べる時に「これが欲しかったんだ」と何となく欲しかったモノを思い出した気がした。そして、“孤独”が去った事を知ったのだ。

 

たしかにあの日“当たり前”は失われてしまったけれど

同時に、いつか消え失せてしまっていた“当たり前”をもう一度この手に戻す事もできたのだと気付いた。涙が出そうなくらい嬉しかった。

だけれど、そんな溢れ出る“感謝”をいつまでも途切れぬようにしようとすればするほど、

おっかなくも、日々、口に入れる全てのモノに突然“涙”が流れてしまいそうになる。

当たり前の“幸せ”というものは、こんなにも胸が熱くなって、愛おしくて仕方がないものなのか。と“当たり前”が零れ落ちないようにギュッと、私にしまい込んだりする。

 

悔しくて仕方がなかった「実家はいいなー」の言葉。

「みんなの実家とは少し違うんだよ」と下を向きながら返事をして、それ以上何も聞かれないように、

悟られないように、何も失わないように、私の中の“孤独”をねじ伏せ続けた感情。

 

しかし、今は違う

「実家なんだー。いいなー。」と投げかけられる言葉にも

「そうなんだよー、いいでしょー」と笑顔で返事する事ができている。

 

みんなとっては、そんな事なんて当たり前なのだろうし

当たり前すぎて可笑しくて、バカバカしいのだろうけれど、

でもみんなだって“当たり前”がいつ消えてしまうのかなんて解らない。

だからこそ、生活の中の“当たり前”に目を向けてみて欲しかった。

多分、有り難みなんて、失って気付くものなのだろうけれど、

もっと“当たり前”に感謝する瞬間が少しでもあったなら

あの日私に襲いかかった“後悔”はここまでじゃなかったのじゃないか。って感じるから。

 

 

夜に母がいて、ご飯を作ってくれたり、

夜に父と母がテレビを見ながら笑っていて、話し声が聞こえてきたり、

朝には弟の「いってきます」に、家族みんなの「行ってらっしゃい」がハモる事も

昼ごはんには弁当があるから近くのお店でご飯を食べなくていい事も、

全部

みんなには当然なのだろうし、感謝ができる瞬間では無いのだろうけれど

私にとっては格別だし、特別だからずっと抱きしめていたい瞬間なんだ。

 

もしも「今幸せ?」と問われたなら

私は迷わず「幸せ」と答えられる。

「どうして?」と聞かれれば、「家族が家族に戻れたんだ」と答えられる。

 

私がこの世界に産まれた瞬間から、父と母は私のそばにいた。

私が産まれてから3年経った頃には、そこに弟がいて

私達はそこからずっと家族だった。

“当たり前”だけど、ずっと家族だったんだ。

 

あと少しでやってくる8月7日には、私が家族を知ってから28年が経つようだ。

だから今年は「ありがとう」と言おうと決めた。

「私を産んでくれて、ありがとう」「私の家族でいてくれてありがとう」と。

 

もっと“感謝”を忘れない人でいたい。

これからは“当たり前”をちゃんと抱き締め続けられる人でありたい。

それは行動や、言葉で、形にする事で過去が報われるような気がするから。

もっと、もっと、大切な事をちゃんと覚え、感じ続けられる人になる為に生きようと思えた。

 

 

「ありがとう」をちゃんと口に出して、“感謝”に色を塗るんだ。

私はこれから、しっかりと生きてる人になるんだ。

 

ツマラナイならウメル。

生きることが下手くそな私は「愛」を学ぶまでには、相当な時間がかかった。

 

なんとなく息をして、なんとなく時計の針が1周するのをずっと眺めて

「すべてに意味があるのかな」と小さく呟いたりしてた。

 

嫌を楽しいで塗りつぶし、下唇噛みながら必死に生きようとしてる人を

「この人はどうしてこんなに頑張れるんだろう」と傍観的に眺めて、

私の魂なんて、いつでも誰かに預けられるような

そんな無気力な日々を過ごしてきた。無様にも、我を殺し続けた。

 

でも

ある日、見るもの全ての色を奪われたり

ある日、突然当たり前が一瞬で無くなったり

ある日、急に「自立」を願わない自分が怖くなったりして

やっと、ここまで辿り着いた。

 

その場所には、取り零した「愛」が沢山あって、心に愛を埋めるスペースを綺麗に空けていた自分の貪欲さに気付いた時、私は探し続けてた何かを手に入れた気がした。

 

そこに溜まっていた、沢山の人からの「愛」は、すべてに色があって、形があって、感触があった。

そして温度があった。悔しいほどにしっかりと。

 

私はその日、「愛」を貰い続けていた事実を抱きしめ大量の涙を流して刻んだ。

そしてそれは「生きたい」という言葉になった。

 

私は必死に捨てたはずの日々を、今と縫い合わせながら

「失くしたモノ」が落とした秒針の音を何度も何度も何度も耳に流しみ続けた

そして、

その瞬間の心音を誰かに聞かせたい。と初めて思った。

私が「生きたい」と抱いている時のエネルギーは半端ない。と、教えたかったし、

「あの時とは違う」と知って欲しくなった。

 

なんとなくでいい、たぶんそうなんじゃないかな。でも、勘違いでもいい。

馬鹿らしいって笑ってくれたっていい。

 

待ち合わせの時間にちゃんと間に合うように、無意識に小走りになる私の事は

べつに知らなくてもいい。

だけど、私が真っ直ぐにここに生きていて

ここで息をしてて

ここで未来を思い浮かべて少し微笑んだりしちゃうんだってことを、目に入れて欲しかっただけ。

 

少しだけ時間を奪いたかっただけ。

 

「愛」を知った途端、「愛」がどんどん欲しくなる。

 

でもそれでいいんだって

それがいいんだって思う。

 

だって君は笑って受け止めてくれる事を知ってるし

私がどんなに遠回りしたって

待っていてくれて、私に懲りずに愛を流し込み続けてくれた人達がいるなら

私は怖くない。

 

明日も明後日もいかなる試練だって越えていける

何かを学ぶまでは、潰し続けてだっていける。

嫌を楽しいで塗りつぶし続けてみる。

 

 

深呼吸をして、触った未来が確かなら

そこに行くしかないんだもの。

 

迷わない愛なんて、私は知らなくていいし

痛くない人生なんて、もういらない。

“可哀想”だから、ここにいていい理由にはならないのか。

f:id:sarkorinko:20170613115747j:image

『ここにいていいんだよ』

この言葉さえ聞けたなら、私はもっと自分が好きになれるのだろう。

例え、欲しい。と言えば、手に入るものだったとしても

私が欲しい物は、どれも私には似合わない。

だから、いつも素っ気ない振りをして

いらない事にしてやる。

全部、「いらない」って言ってやる。

 

でもね、

本当は、この世には沢山の私が欲しい物で溢れていてね

キラキラしていて、楽しそうで、

欲望をさらけ出せば、全部手に入れたくて仕方ないんだよ。

 

なんでなんだろう。いつからだろうね

私は自ら“可哀想”を装って、私が“可哀想”である事でこの世が成り立ってるような気になってた。

悲観的に世界を眺めるようになって、もう、いつからなのかも忘れちゃった。

「この世なんて」と話し始めることで、勝った気になって、満たされてしまってる。

 

逆にあの娘ならもっと貪欲なのだろうな

いつも、この世が好きそうだし、沢山愛していられてる、

いつだって沢山涙を流して、沢山の感情を表して

「欲しいから」と言って、全部取られないように守ってる。

 

いつか行った私の好きな場所は、今はもう跡形も無くなっていたし

いずれ、思い出なんて全部奪われてしまって

私は独りぼっちになってしまうのかもしれない。

“可哀想”だから。

私が選んだ、“可哀想”である為に

「仕方ない私は可哀想だもの」と笑うんだろう。

 

 

いつか幸せになりたい。なんて空虚すぎる取り留めのないセリフは、口にするだけでも

「もしかすると幸せになれるのかもしれない」といった少しの期待まで壊されてしまうような気になる。

私は、いつも怖い。

いつか誰かに全部取られてしまうような気がしてる。

だって私には守る事も、立ち向かう強さなんてものも皆無だから

「幸せじゃないあの子にだけは奪われたくない」って思われてしまうのかもしれない。憎まれてしまうのかもしれない。

 

いつか『ここにいていいんだよ』

『これは君のものだから』と、撫でて貰える日はくるのだろうか。

私が“可哀想”を辞める事はできるのだろうか。

 

いくら涙を流しても、あの娘には敵わなかった。

私が失った場所をあの娘は埋めたし、あの娘は何度も彼の瞳に映るように笑ったのだろう。

声を出して、触れたりして、あの娘は「欲しい」を表したんだろう。

 

やっぱり似合わない

私には“幸せ”というアクセサリーは似合いそうにない。

 

キラキラとした世界を、この手で汚して

「ほら、濁ってる」と、安心するの。お見事、すごく敗者らしく出来上がってる。

 

だけどせめて

私が“可哀想”である事で誰かが“幸せ”になれるって

私が“可哀想”である事で誰かが満たされいる。とだけは教えていて

そして、私に言って

「君が可哀想だから、私は笑っていられる」

だから「ここにいて」と。

 

私が“可哀想”だから、私がここにいていい理由をあなたが創ってくれていい。

 

何かの能力が私をその気にさせるうちに。

4月後半

“後悔”を題材にした記事を何故か更新していた私は

もしかして何かを察知する事ができていたのかもしれない。

 

でもどうしてそれを“当たり前”に投げ捨ててしまったのだろうか。

きっとたぶんこれまでの人生にも幾度と沢山の“報せ”を察していたはずなのに

何も得ず、無駄にしてきたのだろうな。と思った。

 

5月17日

朝起きて、夢占いのサイトで今日見た夢を調べた。

[運気上昇]と書かれたその結果を信じる事にして1日をスタートさせた。

 

近頃、胸騒ぎがするというか、もどかしい。

ウズウズとしているというか、胸の奥で何かがフツフツとしている。

この理由を私はまた無駄にさせるわけににはいかない。と

おもむろに、求人サイトを開いた。

 

別に今の自分を否定したい訳じゃなかったけれど

「このままじゃいけない」気がした。

「自分を信じてみる」事が必要な気がした。

 

ある人を見て「羨ましいなぁ」と思ったりはしないけれど

ある人を見ては「強いなぁ」と思う事が増えた。

それがどんな小さな努力だろうが、

「前に進んでいる」が見えるようになった。

 

呆然と生きたりして、ただ漠然と死のうしていた私には

息を吐いて、靴を履いて、自分の進むべき道のゴミを掃いて進んでいく。

それが物凄く「美しく」「逞しく」見えた。

 

どうして生きているんだろう。では無い

生きている理由を知る為に生きるのだ。

きっとそれは最後にも、解らないのだろうけれど

「どれだけ知ることができたか」で、自分の人生に満足することができるのだろう。

「ああ、生きた。生きた。」と感じながら終わる事がどれほど幸せなのかと思った。

 

どうしてこんな単純な事を気づけなかったのだろう。

 

疑問だけを抱き、不満を垂れ、生まれてきた事を責め

立ち止まる事で、終わりを迎えようとしていた事の怖さが今なら解る。

近頃の胸の内から湧き出る、よくわからない謎のフツフツは

きっと、「もっと知りたい」からだろう。

立ち止まっていた時間に存在し続ける事の焦りだろう。

 

ちゃんと生きたいわけでは無い

ちゃんと死にたいだけだ。

 

親に微笑んでもらえる人生で、家族にも、友達にも私の持つ愛をすべて注ぎ込める人生で

私は私を褒めてあげられる人生にしたい。

 

ある人が言った

『一緒に』という言葉の心強さ。

ある人が指摘してくれた私の欠点

私の存在を認めてくれた。

 

一緒に乗り越えていく誰かが今日も明日も自分を愛してあげられますように。

 

気休めの夢占いの“運気上昇”の文字が私を包み込む間に

チャンスの神様の前髪を掴んで笑おう。

1日に一歩でいい。ちゃんと前に進んだ印を、刻んでいこう。

 

 

見えない物だって信じてるし、触れられない物だってココでは触れられるから

 

 

親が与えてくれる偉大なる愛を抱きながら。

何日も何日も、“何かについて”を書くのだけれど

すべて下書きに放り込んで、「言うまでもない」と諦めていた。

が、今日抱いた感情や、昨日抱いた感情を無駄にしたくない。と急激に感じたので

どんな乱文であっても、文字として形で示す事によって自分の心に刻みつけようと思った。

ただただ書き綴っていこうと決めた。

 

ある日、私の中の“当たり前”が一瞬にして無くなった。

 

母が入院した日の夜、怖くて怖くて震えが止まらなかった。

「嫌だ、嫌だ。怖い。」と、心の叫びを抑えるのに必死で、「明日」を迎えるのが恐怖だった。

 

そして、その時初めて私の中の「親の存在」がどれほど大きかったのかを気付く。

 

産まれた時から私はいつも何故か“孤独”と共に生きて、自分の弱さに勝とうとはしなかった。

“他人と比べられる”事に異常に反応し、“他人と自分との違い”を、指折り数えては溢れ出る劣等感に負けていた。

いつの日かそれを“仕方ない”で済ませるようになってて、“弱い”を見逃すようになっていた。

母が、父が、身近な人が愛情で投げてくれる言霊さえも、すべてこの手で潰して無駄にしてきたのだろう。

私は本当の愛を見る事ができていなかった。

 

自分自身にも、恵まれたこの環境にも甘ったれていて、

近くの“当たり前”に寄りかかり、いつか来るだろう“変わるきっかけ”を待っているだけの、

情けない受け身の人生だった。

 

そんな自分自身を最初は酷く責めた

「どうしてもっと早く気付かなかったんだ」と。

 

でも毎日、母に会いに行く度

母は笑っていて、母はいつも私に「ありがとね」と言ってくれる。抱きしめてくれる。

生きている母を見ると、心はいつも温かくなった。

“当たり前”の有り難さを毎日のように感じさせてくれるから。

 

眠る前、毎晩のように沢山の“考え”と“心”をリンクさせ、“私のやるべき事を”呼び起こす作業に集中する事にした。

 

そして気付いた

母の愛は、父の愛はいつも、いつまでも偉大なのだ。と

 

幼い私が抱いていた“孤独”と、27年間過ごしてきたとしても、

不思議にもそんな事どうでもよくなった。

むしろ「気付かなくてごめんなさい」と懺悔した。

 

何故なら、この不安は「私が親と過ごした思い出や、親から頂いた愛情」の現れなのだと理解したからだった。

 

少し愛情表現が不器用な親なのだろうけれど、

紛れも無く、これまでちゃんと傍にいてくれて、ちゃんと私を見守ってくれていた。と気付く。

いや、気付かしてくれたんだ。と。

 

それもこれも、母のお陰だ。

そして「恐怖」が「感謝」に変わった。

 

私が今できる精一杯の事は

「毎日、母の温度を確かめる事」と、「母を励ます事」と「頑張ってる家族を支える事」

そして

「幸せな姿を見せる事」だった。

そう、私は初めて、ホントに初めて

自分の“弱さ”に勝つための旅に出たのだ。

 

母は私を見て「頑張ったね」といつも褒めてくれる。

母は私に腕の血管の音を聞かせてくれて「生きてる」を知らせてくれる。

母は私に「希望」と「猶予」を与えてくれた。

 

親孝行とは何か。を行動にする為の期間と

母の笑顔から「生きる事」を教えてくれる。

 

父は精一杯、頑張ってくれる。

弟も精一杯、何かを教えてくれる。

私は想う、「この家族で良かった」と毎日のように。

 

少し遅いけれど、大切な何かを毎日毎日拾い集めて

必ず乗り越えてみせる。

今日の想いも、昨日の想いも絶対に忘れたくない。

 

“当たり前”への感謝や、“生かされている”事を。

“大切な思い出”を絶対に。

 

母よ父よ

必ず貰った愛情は愛情で返します。

だから笑っていてね、ずっと傍で。私の瞳の中で生きていてね。

 

こんなにも大切な想いを思い出させてくれて、ありがとう。

これを絶対に無駄にはしないし、絶対に忘れないで越えていく。見てて。

 

私が私と歩き出した日

零れ落ちた水滴を拾いあげ、私は本当の「生きる」を誓った。

そして、「愛してる」と何度も口に出して歩いていこうと決めたのだった。