れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

さあ、不器用に生きた20代のわたしを成仏させるとしよう。②


1週間待ちに待った休日に“どこにも行かない日”を

私は、いくつ喰らい尽くしてしまったのだろう。

 

ひたすら“退屈”でお腹を満たしたとて、

ちっとも“本物”になんか出会えないじゃないか。

こんなはずじゃないだろ?

 

とてもとても恥ずかしいけれど、

「30代が一番楽しい」という、いつかの誰かの言葉をまだ信じている自分がいる。

 

それなので信じられないくらいに月日が経ってしまっていたとしても、私は今日、20代のわたしを成仏させにきたよ。

 

 

 

どうせ、明け方の美しさを知らないのだろ

 

「夢?無いよそんなの」

きっと20代の頃の私なら、迷わずこう答えていただろう。

 

【願えば、叶う】なんか大嘘だ。

正解は【死ぬほどに努力さえすれば、叶うこともある】だ。

 

これは“後悔”とか“幻滅”とかをまだ知らない少年少女を

無駄に“その気”にさせるため、

大人というズルさが作った言葉だと思う。

 

それなのに、真っ直ぐに「信じてる」と言っている人を大人たちは嘲笑う。

 

「そうだね、信じていれば叶うもんね」と、

口角が上がった口元を手で隠し、絶対にそれを見られないように。

 

なら、それなら、全部教えてあげればいいのに。

 

【どのように願って、どのように叶えるのか】

丁寧に1から説明してあげたらいいのにと思うけれど、大人は、絶対にそれはしない。

 

それは未熟で、初心な人を見ていると安心するから。

「まだ自分は大丈夫」と思えるからだろう。

 

 

昔から「どうして?」と聞く癖がある私は、

いつも「どうして、夢は持たないといけないの?」とか何とか言って、ひたすら大人を困らしていた。

 

それは単純に、困った顔をしてくれる大人が好きだったから。

 

学生時代、私が宿題を一度も提出しなかったのは、

「なぜ、宿題をしないといけないのか」を誰も教えてくれなかったからだ。

 

学生時代、自分の夢を誰にも言えなかったのは、

「なぜ、それになりたいのか」を誰も聞いてくれなかったからだ。

 

私は、そのよく分からない大人特有の不合理さがどうしても気に食わなかった。

 

都合のいい時は、“理由”を告げず、

都合のいい時だけ、“理由”を知ろうとしてくる。

ダメな“理由”や、示す道が正解だという“理由”は、絶対に教えてはくれない。

 

挙げ句の果てには、

馬鹿みたいに、馬鹿を見るような目で、

「いつか分かるよ」と、何度も何度も馬鹿みたいに言ってきたりする。

 

本当にセコい生き物だな、と思っていた。睨んでいた。

 

 

そんな私も気が付けば、

30代に足を踏み入れてから約3年が経つのだけれど、

「いつか分かるよ」は、「確かにその通りだ」と思うようになってしまった。

 

まるで信じたくはないけれど、

あの日睨んでいた生き物に、しっかり寄り添えてしまう。

 

 

若い頃は、あまりにも知らないことが多すぎる。

 

あまりにも痛みを怖がりすぎているし、そのお陰様で強すぎている。

 

そして「何があっても大丈夫」だと思い込みすぎているし、無駄に時間を喰らった人間から見れば、

それは、あまりにも“危険”すぎている。

 

だから、とても無責任ではあるけれど、

「いつかきっと、その“理由”が分かるよ」と思ってしまう。

仕方ない、経験する幻滅の数があまりにも違いすぎるから。

 

そして、その“理由”は、

そのうち自分で見つけられることは概ね確信できているし、自分で見つけたからこそ“意味がある”ということも知っしまっている。

 

だから、仕方ない。仕方ないんだよ。

 

悔しいけれど、

私も大人に成り下がってしまったみたいだ。

 

 

気が付くと、誰かと夢を語る夜なんかすっかり無くなってしまっていて、

誰かの夢を聞いては、刺激みたいな動揺をすることも無くなってしまった。

 

これを私は、とても悲しいことだと思う。

 

「信じれば」なんて言葉を簡単に口に出せなくなった今を、私はとても寂しいな。と思う。

 

「どんな風になりたい」とか「どうなりたいから今を生きている」とか、

きっと皆、何かを信じながら息をしているはずなのに、

「簡単に信じべからず」で埋め尽くされた脳みそが、

それ以上の思考を拒む。

 

それほどまでに私たちは、月日を喰らいすぎてしまった。

また、それは、簡単には生きられなくなってしまったということでもある。

 

きっとこれが大人だろうし、

とても生き辛い生き物だった。大人は。

 

無駄に空っぽを信じていられた頃の方が、

よっぽど幸せだったな。あっけないな。

 

 

普通の人と違う時間に起き、

普通の人が寝静まる時間に息をする生活をして、約1年半が経った。

 

「何の為に頑張っているの?」

「どうなる為に、今踏ん張っているの?」

「いつかは普通の時間の生活に戻りたいと思うの?」

「将来的には、どうなっていたい?」

 

そんなの全部、当たり前に分かるはずがなくて、

どれにも向き合いたくもないし、答えたくもないけれど、

 

それには「明け方の空って、すごく綺麗だってこと知ってた?」と適当に返事をして、

私はいつかの自分を“信じて”いたいと思っている。

 

本当にまだまだ沢山沢山、夢があるから、

だから、まだしばらくは、夢を見せ続けていて欲しい。

 

失敗の数に惑わされない選択した私たちを失敗だと笑おう

 

まず1回目は、失敗を指さした私の失敗だった。

 

知らなくて良いはずのことを知りすぎてしまったことを失敗だとして、

自身の好奇心をひたすら恨んでさえいれば、

とにかく落ち着いていられたからまだ良かった。

私は、この好奇心に救われていた。

 

2回目は「もう一度」と願ってしまった相手の方だったと思う。

 

「元気?」への返事など、きっと何の興味はなかったはずだけれど、

“今の私が元気か、元気じゃないのか”をスラスラと語らせてしまった相手側の失敗だろう。

 

3回目は、もう一度触れたいと思ってしまった私の失敗。

4回目は、「一生今日が続く」と勘違いしてしまった私達の失敗。

 

5回目、6回目、7回目のことは、細かくは思い出せないけれど、

とにかく、お互いを知りすぎてしまったことの失敗だった。

 

8回目は、普通を捨てられなかった私の失敗。

諦めきれなかった、私の失敗。

7回目までの失敗を、すっかり忘れてしまっていた私の失敗だ。

 

この失敗の数字は、正確ではないかもしれないけれど、

私たちは、何度も何度も失敗を繰り返していても尚、

「大丈夫だ」と何の根拠もない理由を探して、飽きるほどの“もう一度”をしてきた。

 

そう、いつも同じ。

『失敗をした』ということよりも『ちゃんとできなかった』ことを悔しいと思った。

 

「今の私たちなら大丈夫だと思う?」と質問したら、きっと私たちは同じ答え方をすると思う。

 

「失敗を怖がらずにいれるのはここだけだから」と。

 

それがどんなに安心していられる空間か、人は考えもしないだろう。

 

でも別にそれでいい。その方が咎められずに済む。

まだここにいる理由になるから。

 

確信できることは、

これは依存とは違うが、執着だということだ。

 

それが失敗への執着なのか、成功への執着なのかはよく分からないけれど、

どこかで私たちは「何度だってやり直せる」と思い込んでしまう。

 

これは、今だから言えるけれど、

全部、出会ってしまったあの時に決まっていたのだと思う。

 

それは、出会ったこと自体が失敗なのではなく、

何度も何度も「失敗を繰り返してしまう相手」だと気が付けなかった私の失敗。

 

そして、それを今「これが一番の幸せ」だと思ってしまうような人生を過ごしてきてしまった私の失敗にしていたい。

 

「馬鹿だ」と笑われても「無駄だ」と言われても、

「これが私だから」と胸を張れてしまう生き方をした私の失敗にさせていてほしい。

 

ラストは、この山積みになった“失敗”を綺麗に消してしまえばいい。

 

この“失敗”は、どう足掻いても“成功”にはならないかもしれないけれど、

それらを全消しした日、私たちがそこで大爆笑できるのであれば、私はそれでいい。いや、それが良いんだ。

 

 

ああ、生きた、生きた。

 

暴力的な映画を見た後、優しい音楽を聴いて、

通知から「今日のニュース」を読んでいる時、

ふと「今日かも」と思った。

 

20代前半の私は、毎日毎日「死にたい」を抱えながら生きていた。

 

決して幸せじゃなかった訳じゃないけれど、

ずっと幸せがよく分からなかった。

 

“幸せ”を簡単に形に表せるような感覚たちとのズレが、とにかく苦しかった。

 

他人の幸福論を目に映すたびに、疑問が生まれ、

他人からその幸福論で話を進められたとき、嫌悪が生まれた。

 

私にとっての幸せは、

「今を生きようと思えること」それだけだというのに、

他人は「お金を稼ぐこと」「結婚をすること」をダンボールの裏に書き、私に見せつけては、ご親切に「人として」まで諭してくれた。

 

そこに鳴り響いていた秒針の音も、太陽の光も、コーヒーの香りも、

とにかく全部が、うっとおしくて仕方がなかった。

 

そんな風に「死にたい」を抱いたまま過ごしている内に

いつしか「死にたい」をすべて喰らい尽くせるようになってしまっていた。

 

だけど、きっとそれは「死にたい」が無くなった訳ではなくて、

自分流の「死にたい」の食べ方を覚えただけだと思う。

 

兎にも角にも、私は、

私を今日まで生かしてくれた人たちを心の底から大事に想っているし、

上手に今日を生きられている私自身を素直に「素敵だ」とも思える。

 

そして、私は「死にたい」を始めて食べた日に、

「本当に幸せだと思えた日に死のう」と決意したから、今日までを生きてこられた。

 

そう、それが「今日だ」と思ったという話に繋がる訳で。

 

その日は、なんてことないいつも通りの1日だった。

 

それに私は今、とても幸せだと胸を張って言えるし、

あの日、欲しいと思ったすべてが、今手に入っている自信もある。

 

だけどどうしても、

明日を生きることだけは、愚直に怖いと思ってしまっていた。

 

「いつ死ぬか分からない」という恐怖。

「この幸せが、いつまで続くか分からない」という恐怖。

「いつかまた戻ってしまうかもしれない」という恐怖。

「老いてしまう」ことへの恐怖。

「何も願えない」ことへの恐怖。

 

今が一番幸せだと言える今日、

この恐怖ごと全部、終わらせてしまいたかった。

 

だけど、その時、脳裏によぎったのは、

家族が涙する顔や、

空いた穴を塞いで生きていく必要がある恋人のこと、

それに“生”ということに執着している人たちが不安がるだろうということだった。

 

一瞬で“誰か“だけで埋め尽くされた脳裏。

 

正常な熱を思い出させてくれたのは、

私と今日まで生きてくれた“誰か”だった。

 

そして私はその時に、

ずっと“誰か”と、今日まで生きてきたことを思い知らされてしまった。

 

「だれにもバレないように」など、

不可能だということを思い知らされてしまった。

 

そして何よりも、

私自身が冷たい人間だった。ということを思い知らされてしまったのだった。

 

これでもう私自身とのあの約束は、一生果たせなくなってしまったみたい。

 

なら、もういいや。もう、抗わないでいよう。

生きることが許されている最大の時間まで、

どんな形であってもいい、刻み続けるとしよう。

 

だから私は今日、

いつか突然死んでしまう私の為に「20代の私を成仏」したいと思う。

 

きっと死ぬときは、一瞬だ。

それに終わりは、きっと呆気ない。

 

それでも私は、この人生が幸せだと知っていたい。

いつまでも、この人生をしっかりと覚えていたいから。

 

 

sarkorinko.hateblo.jp

 

私が愛した街にお別れを。

気が付いた時には、この街にいて、

気が付いた時には、この街のことが好きになっていて、

気が付いた時には、この街を愛してしまっていた。

 

13年間はあまりにも長かった

 

12年前「大阪なんて大嫌いだ」と、

当時落ち着きのなかった私は、突然家を飛び出した。

 

そこからしばらく経って、

大阪に戻ってきた時には、見知らぬ街が最寄り駅になっていた。

 

その時のことを今でも鮮明に覚えている。

 

東京から大阪に帰ってくる最中、

地図を見て、自分の帰るはずの駅を指でなぞりながら、

なんだか寂しい気持ちになったことを。

 

最寄り駅から『家』だと指定される場所に向かう道で、

「私の居場所なんかどこにもないんだ」と涙目になってたことを。

 

自分で選んだ訳でもない、

よく分からない街にしばらく慣れないまま過ごしていたんだっけな。

なかなか好きになれなかった。

 

そこから13年間、沢山のことがあった。

思い出したくもないほどに苦しい日々も、悲しみで壊れそうになった時も、

全部、この家で、全部、この街だった。

 

そして、私はもうすぐこの街を離れる。

 

13年前の私がどんな気持ちでこの家に帰ってきていたのかなんて覚えていないけれど、

夜の街で朝まで働いて、眠い目をこすりながら帰ってきたのも、

冷たいご飯を一人涙を流しながら食べたり、いつだって帰りたくなかったことも、

突然、母親が働けない身体になって、必死で自分を責めた時も、

ある日、前が見えなくなって、ご飯の味がしなくなって、世界から色が消えて、

生きる意味を必死で見つけようとしたのも、

もう一度人間らしく生きてみようと、

ここで仕事をしてみようと再起できたのも、

全部、この家だった。

今日まで誇りに思うことがなかった、この家だった。

 

たぶん私はこの街が大好きだった。

 

 

「また帰ってくるからね」

 

住み慣れた街を歩きながら、離れる決心をしようと思った。

夜に生きる私を包みこむように、静寂が雑念を洗い流してくれた。

 

この街の良いところは、夜が静かすぎることだ。

 

世界から誰もいなくなったみたいに、ぐっすりと眠りすぎてしまうところだ。

 

あの日涙を流しながら話した桜の木の前で、「ありがとう」と言った。

噓でも綺麗とは言えない白に近いピンク色に、うっすら緑色が混じってる。

もうすぐ春が終わる。

 

一番綺麗な時に別れを告げれなかったことを後悔しながら、

「また帰ってくるからね」と、昔のように写真を一枚撮った。

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どこで暮らしても、私は私だし、

どの街にも、きっと桜は咲く。

 

だけど、ここで生きてこれたことを私は誇りに思う。

 

明日太陽が昇らなくても、

ここで生きた私のことを、初めて最高に幸せだと思えた。

 

 

sarkorinko.hateblo.jp

 

たとえ生きる場所が違うとしても

 

ゆっくり時間をかけて私の中に落ちていく決意は、

すぐにエネルギーへと変わっていた。

 

私は、私として今日までと同じように苦い空気を吸いながら、

ゆっくりと生きていくはずだ。

 

“新しい”が何よりも好きだったはずの私が、

今“新しい”を受け止められないのは、大人になったからなんかじゃない。

 

誰よりも過去を愛しすぎているからだ。

それはいつだって同じだろう。

 

ひとつひとつ過去を捨てながら今日までやってこれた。

愛しているものをいくつも手放してきたはずで、

そうやってやってこれたはずだ。

 

できないわけがない。さよならができないはずがない。

明日に行けないはずがない。

 

たとえ生きていく場所が変わっても、私は私だ。

 

今日までの私をちゃんと活かしてあげられるに決まってる。

 

大好きだった。でいい。ずっと愛している。で、いい。

 

 

sarkorinko.hateblo.jp

次は愛しているから始めよう。

 

今の私は、きっとあの頃の私より幾分かは強い。

あの頃の私が驚くくらいには成長できているはずだ。よく分からないけれど自信がある。

 

だから次は、最初から好きになる努力をしようと思う。

好きから始めようと思う。

それが、今ならできる気がする。よくわからないけれど。

 

だから、言える。

 

さよなら。ありがとう。

 

いつか、また会おうね。ばいばい。

 

序章「さあ、不器用に生きた20代のわたしを成立させるとしよう」

 



わたしは不器用な20代のわたしを救いたいと思った

1年以上更新できなかったブログで、“若い”が剥がされた“ギリアラサー”が突然「過去の自分を救いたい」と言い出したら、

私だったら「ついに、狂ったのか」と思うだろう。

 

ついこないだ読んだ本の一文

「余裕を持ってからでは遅かった。思ったその瞬間動いておけばよかった。いつかはこない。」

これを読んだ時、わたしはとても怖くなった。

 

思い返せば20代のわたしは、

「まだ余裕がないし」「まだ未熟だし」「まだ準備できていないし」そんなくだらない言い訳で数々の「やりたい」を見逃し、諦めてきた。

 

30歳になった時、20代を捨てる時、

「もう二度と思い出したくないな」と思った。

これまでの10年間に、忸怩たる思いでいっぱいだった。

 

ただ、30代を1年過ごしてみて感じたことは「まだよくわからないけど、たぶん30代の方が良い」ということだった。

我ながら、これにはとても驚いた。

 

肉体は確実に老いを感じているのだけれど、明らかに精神面が20代より楽。

毎日色んな感情でしんどくなることなんてない。

嫌だったはずのことも「まあできるでしょう」と楽観的に容認できる。

「幸せ」と感じることが多くなった。

 

あげだすとキリがないので、その他は後述するとして、とにかく毎日が楽しくなったということだけ伝われば良いや。

 

つまり、わたしには余裕ができたのだ。

 

なのでわたしは“悲しみ”で溺れた20代を

わたしの大切な20代を救ってあげようと思ったのです。

 

わたしがやらなければ、20代のわたしは息ができなくて死んでしまう。死なせたくないと思う。

とにかく、わたしはわたしを生かしてあげたい。

 

ただそれだけのことだけど、みんなと“平等”になりたいと思った。

 

「おねえちゃん」から「おねえさん」に変わった日

 

美容院の勧誘、脱毛サロン・エステの勧誘、NEW OPENした居酒屋の勧誘、宗教のすすめ、道に迷った可哀想な人、物を探している可哀想な人、出会いに飢えたお兄さん、ただSEXがしたいだけの脳内精巣男

 

そんな人たちに街なかで話しかけられる時の第一声が「おねえちゃん」から「おねえさん」になった時、自分がちゃんと30代になったことを思い知るのだ。

ううん、現実を叩きつけられるのだ。

 

27歳くらいまで年齢確認をされていた私は、28歳になった瞬間に年齢確認をされなくなった。

 

私自身は、何も変わっていないのに、それはとても突然だった。

 

考えてみれば「あれ?年齢確認は?」と唖然としている28歳なんて、私は大嫌いだ。鬱陶しい。

 

「最近、年齢確認されなくなってさ~ちょっとショックだったんだ~」と友達に話した時、

「は?私なんて20歳からされてないけど?」と少し怒られた事があった。

 

確かにそうだ。

 

“見た目が若い”にかまけて、それを“当たり前”にしてきたことのツケが、この胸のモヤモヤとして返ってきているだけだ。

 

痛みだと認識しているものは、ただの勘違いだ。

 

本当に若くてピチピチな20歳の少年少女に「痛いばばあ」と悪口を言われても仕方ないと思う。

 

だけど未だに「おねえさん」と呼ばれるたびに、私の中の“若さ”が少しづつ削られていく気がして、一点を見つめボーっとしてしまう。

 

30歳にかける「若く見えますね」は、社交辞令だという。

30歳が問う「何歳に見えますか?」は、迷惑行為だという。

30歳が抱く「若くなりたい」は、生きづらさだと思う。

 

あいにく、まだ年齢を言うと「え?」と本当に驚いた表情で「信じられない」と言ってもらえる。

 

真実と嘘を吐く時の差は、ある程度20代に学んできたつもりで、

人間は表情だけは上手に偽れない生き物だと、私はずっと信じている。

 

「まだ大丈夫」というよくわからない安心感だけはある。

 

私達は、老いには逆らえない。

 

毎日「わたしなんておばさんだから」という感情で街を歩くことを20代には想像もできなかった。

 

次の日のことを考えて焼き肉を食べることも、

 鏡を見て「今日は若く見える」とニッコリとすることも、

年齢を言う時にサバを読みたくなる感情も、高めの化粧品を買うことも、意識して野菜を多めに取ることも

全部、20代にはなかった。

 

人生は歳を重ねるごとに“新しい”が無くなってくものだと思っていたけれど、

実際は、30代は20代にはなかった新しい感情で満たされる日が確かに存在する。

 

30代の方が良いと感じているのは、

生まれ変わったみたいで、楽しいからなのかもしれない。

 

あたりを見渡せば、私だけ私のために生きていた

 

「あー今日も生きた」と、布団の中で今日を終える。

 

そんなある日のこと

わたしは「あ、私は私のためだけに今日を生きて、今日を終えるんだ」と思った。

「それは、とても悲しいな」と、少し泣くのであった。

 

人はないものねだりだから、そんなわたしの自由を贅沢だと誰かは羨ましがるだろう。

 

小学生から仲のいい友達は、みんな結婚した。

子供はいないが、大好きな旦那と同じ部屋で生活をして、大好きな旦那のために毎日ご飯を作っている。

 

それに同年代の人に出会った時は、ほとんどの確率で家族がいる。

 

彼らは「旦那が~」「嫁が~」「子供が~」と話し始める。

 

私みたいに「今日の競馬が~」とか「あのアニメが~」などといった話はしない。

 

コンビニよりスーパーに行く。

休日は長い商店街に行くよりも、ショッピングモールに行く。

携帯会社は大手キャリアじゃなくて、格安シムを使っているし、

まとまった休みには、ノープラン旅行なんてしないで、コストコに行く。

 

ふと周りを見渡すと皆は、わたしとはまるっきり違う毎日を過ごしていて、違う喜びと幸せを感じていた。

 

ただ誰かのために生きることを特別「羨ましい」とも思わないし、自由なわたしを「羨ましい」と思っても欲しくない。

 

たぶんそんな性格だからこそ、これまでも「自由」を選択して、幸せを見出してきたのだろうけれど。

 

何時しか、自分のためだけに今日を生きていることが、恥ずかしいと感じるようになってた。

 

30年も生きてきて、未だに自分だけのためにお金を使って、自分のためだけに時間をつぶし、自分のためにだけに息をして、自分のためだけに眠りにつくのが、ただシンプルに格好悪いと感じるようになってた。

 

そろそろわたしも、誰かのため今日を生きていかないといけないのだと突如焦り出す。

 

かわいい我が子の成長に涙を流して、

かわいい我が子の為に早起きをして、かわいい我が子の為に「まだ死ねない」と思う。

 

愛する人のために毎日台所に立って、

愛する人のためだけに、人生の最後までを真っ当する。

 

誰かのために生きることができたとき、人は初めて「人生」を語ることができるのかもしれない。

 

すると途端に、

自分の父と母が愛おしく感じる。

 

わたしをこの世に産み落とし、わたしのために生きてくれている両親への感謝がうまれてくる。

 

だけど不思議だなと感じるのは、

わたしがどれだけ愛おしいと両親のために生きることを選んだとしても、それを両親は決して望まないことだ。

 

両親はいつだって、我が子が誰かのために生きていくことを望んでいる。

他人と幸せになってくれることを望んでいる。

 

なら、親孝行とはなんなんだろう。

 

それはきっと「わたしがあなたのために生きていけなくなっても、安心だな」と思ってもらうことのような気がする。

 

誰かのために生きてきた人は、誰かのために絶対に死ねなくて、

誰かのために生きていくことを選んだ人の強さを誰よりも知っているだろうから。

 

うーん、自分のために生きているうちは、まだまだわたしは親不孝ものだな。

 

眠れない夜に少し遠回りして、拾える気付きがある。

 

今日は生きた。ちゃんと生きたな。と満足して、自画自賛する日だってある。

 

わたしがわたしのために生きてきたからこそ、大切なことに気付くことなんて沢山ある。

 

死にたかった夜は永遠には続かない

 

永遠なんてないと思っていた20代のわたしは、永遠を語る人が嫌いだった。

それが大人ならもっと嫌いだった。

 

汚い部分を綺麗に見せるのが大人だと思っていたし、永遠を口にする人ほど、平気で突然いなくなったりする。

 

わたしが覚えている一番最初の挫折は、小学生の頃だと思う。

 

幼稚園の頃は、いつも誰かが「さきちゃん何する?」と寄ってきてくれた。

さきちゃんが提案することはいつも楽しい」と喜んでくれた。

 

だけど、お友達のお家にお邪魔した時、お友達のお母さんから嫌味を言われたりした。

 

「あなたのせいで、わたしの娘は悲しんでいる」と、お家から持ってきたお気に入りのおもちゃを取り上げられた。

 

確かに思い返せば、わたしはいつも目立っていたと思う。

先生からも好かれていたし、お遊戯会は主人公役をさせてもらっていた。

いつも笑っていたと思う。

 

だけどその影で、わたしのせいで意見を言えなかった子がいた。

わたしのせいで、先生に褒められなかった子がいた。

 

幼いながらに、その頃から1つ1つわたしの中の何かをすり潰して生きるようになっていった。

 

小学生になった初めての登校日、いつもわたしの後ろを付いてきては「さきちゃんがやりたいことをしよう」と言ってくれた子は誰もいなかった。

 

違う子の後ろで「友達は〇〇ちゃんだけ」と言っていたのを目にした時、人は簡単に嘘をつき、現実は甘くない事を知った。

 

そこから、どんどんわたしは自分を出せなくなった。

 

「あなたは何をしたいのか言いなさい」と担任の先生に問われた時、「何もしたくありません」と反抗した。

 

それがきっかけとなり、担任の先生から目をつけられるようになった。

 

母親には「さきちゃんは、全く言うことを聞かない」と、チクってもくれた。

 

幼稚園の頃の天真爛漫なわたしなど、もうどこにもいなくなっていて、

「いってきまーす」の声もだんだん小さくなっていった。

 

そんな小学1年生の2学期に、わたしは学校に行きたくないと玄関で泣くようになった。

 

それが、わたしの最初の挫折だったと思う。

 

日に日に何もかもうまくいかなくなっていった。

言いたいことが言えなくなっていった。

わたしはわたしを殺すようになっていった。

寂しいのに、寂しいと言えなくなった。

苦しいのに、悔しいのに、何も言葉にできなくなってた。

 

そんな1ヶ月の不登校期間中、わたしは何故か塾にだけは通っていて、

そこで出会う知らない転校生が、今の親友だ。

 

同じマンションから通う知らない女の子と塾で初めて話したとき、

「同じ学校のはずなのになぜ知らないんだろうね」と、笑い合ったシーンを鮮明に覚えている。

 

彼女は、わたしが学校に行っていない間に同じクラスに転校してきた子だったので、お互い知るはずもなかった。

 

初めての出会いが大嫌いな学校じゃなかったから、逆に良かったのかもしれない。

 

すれ違いが生んだ、運命のような良い出会いがそこに存在した。

 

と、そんなよくわからない転校生のおかげで、わたしはまた学校へ行くことができたのであった。

 

それからは毎日2人で同じマンションまで下校し、

放課後は一緒に塾に行った。

寄り道をして沢山笑った。

 

おばあちゃんに、わたしの1番の友達だと紹介したりもした。

 

そんなわたしの不登校生活は、たった1ヶ月間だけだったけれど、

今になって思うのは、

「あの時、不登校になっていなかったら彼女と仲良くなることはなかったのではないか・・・」といういことである。

 

考えるだけでも身体が震える。

 

一見、後悔のように見えるけれど、

実は意味がある出来事が人生には沢山あるように思う。

 

悲しみや苦しみがあるからこそ、見えるもの。

出会える人。手にできる感情。気付き。

 

転校生の彼女とは今もずっと親友ではあるけれど、

小学生の仲良かった期間は、小学1年生の半年間だけだ。

 

それもまた不思議。

 

「なんでまた仲良くなったの?」「どうして今も親友なの?」と、疑問に感じるかもしれないけれど、それはまた後ほど。

 

ただ、彼女はこの小学生の頃の記憶をあまり覚えていないらしく、

その後に起こる数々の試練(親友になった真実のきっかけ)の記憶だけで「わたしに救われた」と言う。

 

それよりも先にわたしの方が彼女に救われていることを、わたしだけはちゃんと覚えている。

 

「転校生の彼女のおかげて不登校生活を脱出できたこと」をわたしは一生忘れないし、

「永遠なんてものは無いが、真実はある」を教えてくれたことも、決して忘れないだろう。

 

20代の死にたかった夜のことをわたしはすべて覚えているけれど、

いつもわたしを信じ続けてくれた人がいたことも、ちゃんと忘れないでいる。

 

「あなたは死なない」と言ってくれた

「あなたを死なせない」と言ってくれた

いつもわたしの手を握って、生かし続けてくれた人。

 

 

死にたい夜は、永遠には続かない。

 

いつか今日のように

死にたくなる夜より、死にたくない夜の方が多くなる。

死ぬことが怖くて、生きることに一生懸命になる。

 

仮に永遠のようなものがあるとするならば、

永遠の苦しみなど、永遠の愛でねじ伏せることができる。

 

20代のわたしよ、よく聞け。

すべてに幻滅しても、何かを愛することだけ辞めなければいい。

 

それだけで必ず救われる。それだけで必ず生きていけるよ。

 

“劇的”までの一歩が難しい

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「これ、火が通ってんのか」

 

突如、店内に響き渡る男性の大きな怒鳴り声

恐らくプロのクレーマーだと思う。

 

書き物を始めよう!とパソコンを眺めていたはずの目線は、

完全にクレーマーから外すことができなくなってしまった。

 

「いけない・・・」と心では分かっているのだけれど

野生ライオンの捕食シーンなんぞ好奇心を奪われるに決まっているじゃないか。

ゴックンするまでは、見届けたいに決まっているじゃないか。

 

クレーマーライオンは、若いアルバイトの女の子から本部の連絡先を聞き、

それでもまだ「ホウレンソウに熱が通ってなかった」と、まるで壊れたロボットみたいに何度も何度も同じセリフをループしている。

 

「誠に申し訳ございません」

アルバイトの女の子も壊れたロボットみたいに何度も何度も頭を下げている。

 

それにクレーマーライオンが所々に挟む「わしもレストランをしているからな」という無意味な報告がなんか笑ける。

こうやって第三者は、吞気に笑っていられる。いい気味だ。

 

しかし、ライオンがその場で獲物を喰らうことは無かった。

 

最終的に、後で本部に連絡をするということで店を去っていった。

 

私は、心底ガッカリした。つまんないな。

 

ま、落胆したところで

久しぶりの「れしをそう」を始めましょうか。

 

お金を煙に変え続けた日々にありがとう

最初に私が紙たばこを吸い始めた頃のことは、

なんか色々と面倒くさいので伏せておくとして、

紙たばこから電子タバコ「アイコス」へチェンジしてから気が付いたら早2年が経ってしまった。

 

最初は「煙が嫌」という理由からで、

「そのままやめれたらいいな」という、ぼんやりとした期待を抱き私はアイコスユーザーになった。

 

当初の想像では、半年間でアイコスをやめて、

全席禁煙の綺麗な空気の中で、何不自由なく優雅に美味しいコーヒーを飲んでいるはずだった。

 

はずだったのに・・・

気が付いたら2年間も私は、

カフェや飲食店を探す時には「喫煙OK」に踊らされ続けて、煙たい密室に閉じこもってきた。

 

しかし、アイコスユーザーになってからというもの、

服や髪の毛に染み付くタバコのにおいが受け付けなくなっていた。

 

なのに、それでも尚、

私は煙たい密室へ何度も何度も入り続けてきたのだ。

何も凄くないけど、勇者だと思う。

不健康へ立ち向かい続ける勇者。

 

だが、ふとタバコの“無駄”を数えてみることにした。

これから煙になるはずの“お金”を数えてみた。

タバコに奪われる“時間”を数えてみた。

 

するとどうだ

タバコを捨てた未来を想像することで、

これまでどれほどの“大切なもの”を失ってきたのかがわかる。

手に取るようにわかる。

 

「やめれない」と嘆くことさえも“無駄”で、

タバコに縛り付けられているアクションに、産まれて初めて“窮屈”だと感じてしまった。

 

何より彼と一緒に想像した未来の方がよっぽど楽しそうでワクワクした。

タバコのない私たちの方がよほど幸せそうだった。

 

だから私は「タバコをやめること」を決意した。

もう決めたのだ。

 

ただ、何年も何年も煙を吸い続けてきた身体が急に吸えるのは「空気のみ」になるのだから、

そりゃあ簡単ではないだろう。

 

でも周りを見渡してみると

気が付いたらどのお店も「全面禁煙」の貼り紙が付けられていて、

「喫煙者」というだけで、古い人間をみるような目で見られて、

いずれ私も結婚して子供を産む日がくるとして、

そうなった時に「喫煙者の母」なんて死んでも嫌だと思っていたし、

世界はどんどん“健康増進法”が改正され続けていくだろうし、

「自由」を手に入れるためには「不自由」を手放すことから始めるべきだと思うし、

だから、だからね、やるしかないと思うわけで。

 

だからもう何があっても戻れないので、

わざわざココで、こんな形で、皆に報告しておこうと思ったのです。

 

自分の首をできるだけ絞めて「ま、いっか」を許さない私になろうと。

 

さあ!皆さん!見ててください!

タバコのない私を見てくださいませ!

 

そして、いつか全席禁煙のオシャレなお店で

美味しいパニーニを食べようよ。

笑顔でね。

 

秋が来るまでには、今までと違う私で。

2019年9月

今年も残り3ヶ月。

 

聞いてはいたけど、歳を取ると1年が秒で過ぎ去ってしまう。

「何かをしよう!」と決めても、始めるまでに1年が終わっている。

 

そうは言っても、この1年間で

親友も弟も結婚をしたし、職場の人は母になったし、

知り合いは2人目を出産したり、会社を立ち上げたり、家を建てたりしてて

ちゃんと皆は1年間を無駄使いせずに生きていたんだな。って思って

何もしなかった自分自身にガッカリする。

 

「生きていた」

それだけで十分じゃないか。と思っていたけど

皆も同じで生きていただろうし、頑張っていただろうし、

私も「チャレンジ」をしなくちゃいけない。

 

今まで通り生きながら、チャレンジをしないといけないね。

 

大嫌いな夏も乗り切ったことだし、

今までよりも少しだけ“我慢”とか“苦しい”とか“難しい”に立ち向かっていこう。

 

もうちょっとだけ自分を苦しめてみよう。

“泣くため”ではなく、“変わるため”の痛みに耐えてみようと思う。

 

来年の今日には

「劇的」というタイトルで1年を綴れるように。

 

 

 

たった2年だけのスクラップ。

「そうか、あれから2年が経ったのか・・・」

突然流れて来たツイッターの通知

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これを見て、なんだか過去の自分が羨ましそうに私を眺めている気がして、

“放おっておけない”と、よくわからない気持ちになった。

 

そういえば2年前の今頃、

世界の色、舌を満たしたはずの味、心を揺らしたはずの音や、モノ、

わたしは何になりたかったのか、何を求めてここまで歩いてきたのか、何が欲しかったのか、

何を聞きたくて、何に満たされてきたのか。とか

そんな私自身の全てを綺麗に忘れてしまった。

 

毎日毎日、真っ暗闇を泳ぎ続けるような日々で

必死に光を探して、必死に温もりを探し続けた。

 

実際の所、あの頃を思い返そうとしても

それはとても困難で、 

ある一部分だけがスッポリと抜け落ちているような

正直、断片的にしか思い出すことができない。

 

でもただ「生きようとした」ということだけ

それだけは、きっちり刻まれている。

 

そんな深海の中、溺れ死ぬまいと自分の“欲”を取り戻すため、

ただがむしゃらに、ここ「れしをそう」を始めたのだった。

きっと藁にもすがる思いだったのだと思う。きっと。

 

当初の記事を読み返してみても、酷く荒れ果てていたし、窮屈そうだった。

 

“黒”で塗り潰されたような文章がただひたすら投稿され続けていて、

そこからは1ミリも“欲”を感じ取ることができなかった。

 

悲しいほどに空っぽで、寂しいほどに必死だった。

 

ついこないだ、ある人が言った。

 

悲しみから抜け出す1番早い近道は、

毎日毎日、その日感じたどうしようもない想いを飾ることなく綴り続けることだ。

声に出し脳みそを刺激するのではなく、

自分自身を無駄に揺さぶらないようにすることだけを徹底すればいい。

そこにある心だけを使って、自分の想いを表現していくこと。

そうするといつか自然と晴れていくから。

と。

 

きっとそういうことだったのだろう。

 

わたしにとっての「れしをそう」は命の恩人であり、生きたいと願い続けた証でもある。

 

死に物狂いでしがみついて、“私自身を表し続けた記憶”。

 

そんな場所が2年目を迎えたというから

そろそろ今の私の話をしよう。

 

電車に揺られながら、なんとなく流れた音楽に心を潰されそうになる瞬間がある。

 

新鮮なものから与えられる刺激など、暫く味わっていない。

 

ただ懐かしくて心が壊れそうになる瞬間ばかりが日々に散りばめられていてさ。

 

だけどその懐かしさには、不思議と“哀しみ”は存在しなくて、グシャグシャになってしまうことはない。

そう、だから別に戻りたくもならない。

 

懐かしくて愛しくて、とても恋しい。

ギュッと抱きしめていたくなるような、そんな感じ。

 

窓に流れていく「私の街」という物語は、

いつも同じ場所で終わり、惜しくもいつも同じ景色で終わる。

 

物語は一向に次の展開には進んでくれなくて、

この先の結末を望んでいるのはこの世界で私だけなのかもしれない。誰も次を望んでいないのかもしれない。

と、時折とても寂しくなる。

 

そんなもどかしさに浸りながら家路を辿る中、

その後のストーリーを考える瞬間が唯一幸せだったりする。

 

「誰も望んでいない物語を進めるのは私だけだから」

主人公気取りでもいい、ただあらわしていくんだ。

 

意味もなく涙を流すことはしなくなった。

意味もなく死にたくなることもなくなった。

逃げたくなること、ダダを捏ねたくなること、疑うこともしなくなった。

 

求めること、信じること、進むこと、越えること、耐えることだけ

それだけがやっとできるようになった。

 

そしてまたいつもの物語が流れる窓ガラスに

自分の顔が映された時、私はふと気付いてしまう。

 

欲しい物すべて手に入っているということを。

 

今日、歩けているのはいつか誰かが作ってくれた靴のおかげだし

今私が前を見れているのは、いつか誰かが作ってくれたレンズで、

今私が耳に流し込んでいるのは、いつか誰かが作ってくれた音があるから、

今私が笑えているのは、いつか誰かが作ってくれた色があるからだ。

 

そういえば私が生きている道は、いつか誰かが作ってくれた道だった。

 

「ねえ、見てる?2年前の私。

私はあなたを少し忘れたりしたけれど、あなたを誰よりも生かしてきたと思う。

 

これだけは聞いてほしい

自分で立とうとするから迷う、自分だけで生きようとするから見失うんだ。

 

あのね、知らないかもしれないけど、

もう一度、あなたは信じることができる。

それだけは真実で確実だ。私がそれを証明してるから。

 

だから愛を忘れてはいけない、追え。

自分を殺してはいけない、闘え。

 

聞きたくないかもしれないけど、

あと少ししたら、もっと辛い出来事が降り掛かってくる。

 

でも覚えてて

ちゃんと全部手に入る、今キミが欲しいもの全部戻ってくるから

だからそのまま生きようとして、私のために生きてね。

 

私が1番あなたを愛してるから、ずっと信じていていいから」

 

いつだって願えば届くこと誰よりも知ってる。

 

「私の街」をまだ終わらせたくないのは、私自身だ。いつか。

 

私が美容室を定めない理由。

一種のコレクターなのか?と、勘違いしてしまうほどに集めに集めまくったメンバーズカードの量に、きっと誰もが口を揃えて問うのだろう。

 

「どうして1つに定めないの?」と。

 

けれど私だって当初はこうなるつもりなど1ミリも無かったので、

いつもイマイチ腑に落ちる理由が浮かび上がってきてくれなくて、ただひたすら困る。

 

今となってはどんな理由を並べたとて、立派な“後付け”のようになってしまうし、

自分自身でも納得がいく“とっておきの理由 ”には未だ辿り着けてはいない。

 

だからこそ今日は、

“ 理由っぽい理由”をビシッとここに確定させてしまおうと思う。

 

かっこよく、そして、それっぽく。

 

いつか「美容師は専属の人じゃないと落ち着かないよね」と、7年間通い続けた美容室が私にもあった。

 

私の髪の毛の生え方、質、弱さ、癖、色、つむじの位置に、

スタイリングやカラーの好みまですべてを知り尽くしてくれていた専属美容師さんが確かに存在した。

 

「さあこさんの毛質はこれがダメだから、このスタイルはできないよ」

 

毎度そんな言葉を叩きつけられ、自由自在に自分のしたい髪型を選ぶことができなかった頃があった。

 

今では信じられないけれど、

思い返せばその頃の私は、それをすんなりと受け止めていて、尚且つ、飲み込めていて、

これが当たり前。これが美容室なんだ。と信じ込んめていた。

 

それにきっと、この記憶こそがメンバーズカードコレクターに繋がる“ 大きな理由”に1番近いのかもしれない。

 

「僕、独立するんだ」

初々しく、活き活きとした私の髪の毛を7年間切り続けた人。

私の中の“美容室とは”を騙し続けた人。

 

今でも忘れることは無い。

 

顔にはヒゲが少しだけ生えていて、毛先にパーマがかかった粋がった黒色の髪型。

典型的なTHE美容師なビジュアルに、身長は180センチと高く、真っ直ぐなフォルムの細見な男性だった。

 

低めな声で、いつも耳元に「前髪は?」と小声で囁きかけてくる真性のプレイボーイだった。

 

初めて私がその人と出会ったのは、確か中学1年生の頃だったと思う。

 

最初からその人は、私の「専属」になりたがった。

 

「今度は僕の好みに切るね」

 

帰り際はいつもこのセリフを呪文のように唱えては、初な私を洗脳し続けた。

 

その人は確立しきった男性だった。

私にとって、とてつもなく大人な男性だった。

 

馴れた手付きで私の髪の毛を触って、私と同時に私の髪の毛とも会話をするような人だった。

 

「この髪は誰にも触らせない」

 

今思えばあの人は、若い私の事を飼い慣らしたかったのかもしれない。

いわゆるロリコンだったのかもしれない。

 

「この人以外に髪は切られたくない」

と、私に思わせて狂わせたかったのかもしれない。

 

何度も何度も何度も私の髪の毛を切り、

何度も何度も何度も私を褒めてくれた。

それに、知らないことを沢山教わったりもした。

 

大人が子供を育てていくような、楽しくもないなんともない会話を繰り返して、

私に何度も「すごい」と言わせた人だった。

 

そして、通い続けてから5年が経った頃から、

私の髪の毛を切る時は必ず2人きりを指定してくるようになった。

 

「もう何年目だね」なんて詰まるはずない数字の話をしながら、

案の定私の前髪を切る時だけは、私に「大人」を見せ付けてきた。とても器用に。

 

もしかしたらその頃、

既に私はその人に切られたくて切られたくて仕方なくなっていたのかもしれない。

 

正直今となっては、

その頃の感情とか、どんな速さで脈を打っていたのかなんてこれっぽっちも思い出せないけれど。

 

ただ1つ確かなのは、

「この人以外に髪の毛を切られることはないのだろう」と、信じていたということだ。

 

少し言い方を変えると、

決め付けていた。

思い込んでいた。

惑わされていた。

 

そして通い初めてから7年が経った頃、既に私も大人になっていた。

 

好きな人とかお付き合いをした人が、既に何人もいたのかもしれない。思い出せないけれど。

 

「俺さ今度独立して、この店辞めるんだ」

 

この言葉を聞いた瞬間、店内の雑音が一瞬すべて消えた気がした。

 

そして何度か聞き返し、絞り出してやっと出た返事が

確か「おめでとう」だったと思う。

 

 

その人はいつも私に夢を語っていた。

 

「俺は自分の店を出すのが夢で・・・」

 

彼が何度も擦り切れるくらいに語っていた夢が こんなに近いとは思ってもみなかった。

 

当時の私は、夢というのは果てしなく遠く、叶うまでには沢山の時間が必要なものだとも思っていたし、

夢を本当に手にした人を見たのは、たぶんその時が初めてだったのかもしれない。

 

「だから、もちろん君は付いてきてくれるよね?」当たり前のように、意気揚々と彼は私に言った。

 

「わからない。遠いし」

「なら、今度はご飯行こう」

 

それを聞いた瞬間、

私は私の7年間を目の前でグチャッと壊されたような気分になった。

 

悪く言えば“幻滅”

良く言えば“蘇生”

 

私の髪の毛を切り続けてくれた人。

私を魔法にかけ続けてくれた人。

私を可愛くしてくれた人。

私の髪の毛を切らない時間が欲しかっただなんて知りたくなかった。

 

ずっと永遠に私の専属の美容師さんのままでいて欲しかった。

 

だから私は、連絡先は教えなかった。

 

だけどその人がいなくなってからも、その美容室には4回ほど愛想良く行き続けた。

 

そして、いつも店長さんに同じ小さい紙を渡された。

 

私はその紙を4回、計4枚

帰り道のゴミ箱に捨てた。

 

それからというもの、

その美容室には1度も足を運んでいない。

 

まぁもちろん、あれからあの人がどうなったのかも知らない。

 

全何章あるのかも不明な私の髪の毛ストーリー1章は、その時静かに幕を閉じたのだった。

 

 

辺りに散らばった髪の毛。

7年通い続けた美容室に行かなくなってから私は初めての美容室を転々と巡るようになった。

 

最初は、

「自分に合った美容師さんを、美容室を見つけよう」というのが目標だった。

 

2.3回別のところに行って、最終的に1つに絞り込もうと思っていたはずだったけども。

 

初めて私の髪の毛を触って、

違う分け目にされて、好みじゃない長さに切られて、私の髪の毛を染め上げたあとに

「色入りやすいんですね」と驚いた顔で言う。

 

そして次には

「色がこんなに入りやすいなら、もっと」と語りだす。

 

落ち着かない雰囲気の中で、宙に浮くような空虚な会話を繰り返して、

私の背後を写した鏡を、正面の大きな鏡に写しては、

心配そうな表情で「どうですか?」って聞いてくる。

 

どんなに気に食わなくても決まって私は

「完璧です」と答える。

 

「また来てくださいね」とエレベーターまでお見送りされて、終わる。全部その日に終わる。

 

この一連のフローがとても新鮮で、心地よくて、

7年の眠りから覚めていくようで、とてつもなく嬉しかった。

 

ドキドキして、わくわくした。

 

それから、ずっと新しい美容室を巡っては、

いつも違う人に髪の毛を切ってもらって、

いつも何も知らない人との時間を2時間弱過ごして、

“成功”でも“失敗”でも「新しい」を繰り返し続けている。

 

それが良くて、それが何よりも楽しい。

 

写真撮っていいですか?

毎回、私の髪の毛を染めた挙げ句

満足気に吐かれるセリフ。

 

「良い色に染めてあげた」と言わんばかりの表情の美容師さんのカメラに

私は快く応えてあげる。

 

確かに、同じ色を要望しても

手掛ける美容師さんによって完成の色が全然違うのは面白い。

 

カラーに力を入れてくれる人もいれば、

カットに力を入れてくれる人もいる。

本当に様々だから、一層面白い。

 

しかも最後には人としてではなく

私の髪の毛に対して「もう一度来てください」と頭を下げてくれる。

 

人としてを求めない私にとっては願ったり叶ったりな対応が初めての美容室にはあるから、

未だそこから抜け出せずにいる。

 

切ってもらってる間、どれだけ楽しい会話もどきを繰り広げても

最後には私の髪の毛だけを見てくれる。

 

その人の全力を、髪の毛だけに注いでくれる。

 

一切の情がない空間、とても心地よい。

 

そう、いつしか私は

「自分に合った美容室探し」を辞めていた。

 

求めているものを追いかけるような、

求めないものに触れないように、触れられないようにしているようなそんな感じ。

 

もう一生戻れないかもしれない。

 

 

これが趣味なのですか?

 

ある日、美容師さんに投げられた言葉。

 

美容室を一つに決めない理由は、趣味だから。

これが一番丸く収まる理由なのだろうけれど

きっとそうじゃない。

 

恐らく、ある日突然訪れる“終わり”をもう経験したくないからなのかもしれない。

 

もしくは、

もう美容師さんに惑わされたくないからなのかもしれない。

 

「もう何店舗目ですか?」

「軽く50店舗は行ってるかもしれません」

「まだ“理想”に出会えてないのですか?」

「いいえ。沢山の理想はありすぎるほどでした。でもまだ見つかるかもしれませんし」

「なにがですか?」

「急に閉店しても、急にいなくなっても、それでもいいやって思える店舗に」

「?」

「いや、なんもないです」

 

私はまだ、出会えないだろう。

 

私はまだ、新しい人にこの髪を預けて、

恋を初めて、その日に終わらせるような。

そんな旅をし続けるのだろう。

 

そしてこれからもこの美容室日記に“理由に近い理由 ”を書き続けていくとしよう。

 

 

 

 

私がチョコミントを許す日までのレポ『チョコミントチャレンジ』第2段

さて、今日のこの日を待っていた人はいるのだろうか・・・

 

ただ私がそんな事を気にしていたとするならば、きっと、

“第一弾”から2ヶ月弱という長過ぎる期間を空けたりはしないはずだ、つまり、私はすっからかんだ。

 

つまり私は、君たち以上に・・・いや、なんでもない。

 

では早速、気を取り直して私が戦った『チョコミントチャレンジ』を思い出していこうとしよう。(何ヶ月も前なので不安ではあるが)

 

FamilyMart『チョコミントフラッペ』

実は、③の『ガリガリ君』にこっ酷く振られた後、結構落ち込んでいた。

 

「もう私は誰からも愛されないのかもしれない…」

とよく似た

「もう私はチョコミントを好きになることはできないのかもしれない…」

を盛大に感じすぎていて、諦める寸前だった事をまず頭に入れておいてほしい。

 

もう誰も信じれなくなった私は、またスタート地点。

まさに“振り出しに戻る”であった。

 

そこで私はピンときた。

 

「チョコミン党お墨付きの1点」は、もしかするとモチベーションを上げてくれるかもしれない。という突然の素晴らしい閃き。

 

そこで選ばれたのが、

後に食べることになる「セブンティーンアイスのチョコミント」なのですが、そこに行き着くまでには数々の試練を乗り越える必要があった。

 

なので少し遠回りを。

 

何故なら、このセブンティーンアイスを入手するには、まずセブンティーンアイスの自販機を見つけないといけない。

 

この第一関門をくぐり抜けないことには、私のチョコミントチャレンジはきっと終わることができない。まるで人生と同じだ。

 

私の住んでいる街で心当たりがあるセブンティーンアイスの自販機はたった一つだけ。

それしか思い出せない。

 

なので、とりあえず私は夜通しセブンティーンアイスの自販機を探し回ることにした。

 

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ハズレ・・・

まずこれ、セブンティーンアイスでもないじゃないか。

 

無意識の記憶というのは呆気ないものだよ、ほんとに。

 

次に向かうは、記憶にある唯一のセブンティーンアイスの自販機。

 

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「おい、まじか...」

 

私の住んでいる街には「チョコミント」は無かったようだった。

 

私の住んでいる街にはチョコミン党はいないようだった。

 

一ヶ月前なら、この街の人達みんなとハイタッチできたはずだけど、今の私は違う。

 

みんな、敵。

お前ら戦う準備はできてるか?

 

何度だって失敗しても、また立ち上がれる。

切り替えのスピードは誰にも負けない自信がある。

だって、私の人生はいつもこうだから。(ドヤ)

 

だけど人生は甘くない。

とてもクールだ。ミントなだけに。

 

何時間探し回ってもチョコミントは見当たらなかった。

 

その時の時刻はたぶん深夜2時くらいだったと思う。

 

充分に疲れ果てていた。

そんな時に立ち寄ったコンビニで見つけたのが、この『チョコミントフラッペ』だったというわけでございます。

 

前戯が長すぎて、眠っちゃいそうだった?

それは謝っておきます。

ごえんやさい。

 

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モミモミモミモミ

ジャーーーーーーー(機械)

マゼマゼマゼマゼ・・・・ゴクッ

 

「何コレ!うまーーーーーーーーーーーーーーあ」

 

きっと火照った身体と、長すぎた旅のせいだったとも思う。

 

でもとりあえず今日1日のガッカリがすべて報われた気がした。

このチョコミントフラッペは、求めていたチョコミントそのものだった。

 

チョコミントフラッペは一応飲み物なのだけど、ちゃんと食べごたえがあるというか、なんというか。

 

味もちゃんとチョコレートとミントを両方同じ量だけ律儀に届けに来てくれるというか、なんというか。

 

とりあえず美味しかった。

溶けてしまわないうちに、飲み干してしまわないといけないスリルもたまらなかった。

 

この時の私は、また誰かを愛せるかもしれない。と見事に思えていた。

 

しかも、まだ終わることができない『チョコミントチャレンジ』をしっかりと楽しめていた。

 

 

セブンティーンアイス『チョコミント

セブンティーンアイスの自販機を見つけられなかった悔しさを取り返すかのように、

インターネットでセブンティーンアイス 設置場所”を調べまくった結果、隣町のスーパーに設置されているという情報を入手する事に成功した。

 

その情報を知ってしまった以上、居ても立ってもいられない私は、時を移さずゲットしにいくことにした。

 

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「やっと会えたね」

 

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もう早速、食べてやる。舐め回してやる。

 

そして一声目

「こりゃ、さすがだわ」

 

夜通し探し回っただけある味。

130円という安さでまず素晴らしいくせに、手を抜いてない完璧で丁寧な美味しさ。

 

何よりも自販機だから人目もはばからずにむさぼり食べれる嬉しさ。これには特大ポイントを差し上げたい。

 

兎にも角にも、この時点での私の「チョコミント好き度」は85%にまで達していた。

 

自分でも驚きのパーセンテージをたたき出してしまっていた。

 

チョコミントに何の迷いも躊躇いもなく、

口の中に入れては、しっかりと味を噛み締められているではないか。なんてこった。

 

いつの間にか私の舌は別の誰かの舌になっていたのかもしれない。

私の舌はどこかにいってしまったのかもしれない。

 

 

もう私は、チョコミントを真っ直ぐに愛していた。

チョコミントを食べたいと思っていた。

目は無意識に水色を探していた。

 

そう、私の知らないうちに“チョコミントチャレンジ”はすでに成功していたのだった。

 

赤城乳業『チョコミント

この“チョコミントチャレンジ”をスタートさせる前にある人が猛烈にオススメしていたのが、このAkagiさんの「チョコミント」だった事をふと思い出した。

 

「え?チョコミント食べられないの?

この世の良いモノを上手く判別できてないなんて、君はお子ちゃまだね」

と、鼻で笑われた事を思い出した。

 

胸の奥から何か熱いものがグアーと湧き上がってくる。これはきっと“ムキ”だ。

 

そして、ムキになった私はエネルギーに満ち溢れながら赤城乳業のチョコミントを手にする。

 

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今の私は、先月までの私じゃない。

お子ちゃまなんかじゃない。

 

いざ食べてみると……

「だんだん“大”好きになるじゃん・・・どうしよ」

 

一口、二口、すすめていくうちに、ただの“好き”が“大好き”になっていくのがわかったので、

ちょっとだけ意識してスピードを落としてみるけれど、もう止められそうもなかった。もう進むのみだった。

 

すでに私は、“大”のついた人だった。

少しだけ世界のいいモノを判別できたような気がする。

 

だから、もう成功でいい。

 

この“チョコミントチャレンジ”は成功でいい。もう終わりでいい。

 

だって、これ以上は“チャレンジ”なんかじゃない。

ただの「私の好きなモノの話」になってしまうから。

 

なので!ここからは番外編として紹介していきましょう!

そっちの方が気が楽だ。

 

今回の【チョコミントチャレンジ】で、私がチョコミントを大好きになってから食べた『チョコミント』達を一気に紹介しましょう。

~星評価を添えて~

 

セブンイレブン『チョコチップバー』

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★★

 

⑧スーパーカップ『チョコミント

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⑨グリコ『ギッシリ満足チョコミント

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★★★★

 

⑩【原点】サーティワン『チョコミント

そして結局、私は戻ってきてしまうわけですわ。

【チョコミントチャレンジ】の1発目で食べた、サーティワンのチョコミント

 

今食べるとどう感じるのかが、ただただ気になっただけだけど。

 

数々のチョコミントに抱かれて、数々のチョコミントに心奪われたり、ガッカリさせられたり、裏切られたり、大好きにさせられたりして、

 

きっと私はチョコミントチャレンジをする前よりは成熟したはず、きっと今はあの時とは違った感覚を抱くはず。

 

 

だって経験という強い鎧が今の私には装着されているのだもの。(大袈裟)

 

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「私は君の素晴らしさを知る為に、遠回りさせられたのだろう」

 

やっぱりサーティワンのチョコミントはナンバーワンだった。

 

このチョコミントは他にはない、優れ尽くしている。最高だ。

 

チョコチップとミントの割合、チョコチップのデカさ、色合い、満足感、幸せ度、そのすべてが、どれもダントツトップだった。

 

勿体なくも私はチョコミントを知ることができてた、ありがとう。

わたししあわせです。

 

その暁といっては何ですが、金輪際アイスはチョコミントしか食べないことにします。(白目)

 

人生の面白さを味わう為、チョコミントを味わったのかもしれない。

つまり、人生を横臥している人間になるためには“挑戦すること”は必須なのかもしれないなぁ。

 

何度だって克服チャレンジをするべきだという事なのかもしれないなぁ。

 

私はまだまだ知らないことだらけだ。

だからこそ「知りたい」を全部大切に扱っていくべきなのかもしれないなぁ。それはわかる。

 

 

 

私はこの【チョコミントチャレンジ】で、これまでの人生の勿体なさをすべて拾い集めたいと素直に思ったのだった。

 

決めつけで捨ててきたものすべて、もう一度欲しくなっていたのだった。

 

こんなに美味しいものを知らない(知れない)人生なんて溜まったもんじゃない!

 

私はもう何も無駄にしたくない!

 

少し大袈裟かもしれないけれど、チョコミントチャレンジは私に“後悔しない為に必要な何か”を教えてくれたのでした。

 

なので私が、私の人生と向き合う為にとても必要なチャレンジだったということにしておきます。

 

無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!

 

ま、残された夏はガムシャラサマーでやっていこうと思います。

 

長々とお付き合いくださりましてありがとうございました。

 

2018年、私の夏

チョコミントチャレンジ〜完〜