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れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

親が与えてくれる偉大なる愛を抱きながら。

何日も何日も、“何かについて”を書くのだけれど

すべて下書きに放り込んで、「言うまでもない」と諦めていた。

が、今日抱いた感情や、昨日抱いた感情を無駄にしたくない。と急激に感じたので

どんな乱文であっても、文字として形で示す事によって自分の心に刻みつけようと思った。

ただただ書き綴っていこうと決めた。

 

ある日、私の中の“当たり前”が一瞬にして無くなった。

 

母が入院した日の夜、怖くて怖くて震えが止まらなかった。

「嫌だ、嫌だ。怖い。」と、心の叫びを抑えるのに必死で、「明日」を迎えるのが恐怖だった。

 

そして、その時初めて私の中の「親の存在」がどれほど大きかったのかを気付く。

 

産まれた時から私はいつも何故か“孤独”と共に生きて、自分の弱さに勝とうとはしなかった。

“他人と比べられる”事に異常に反応し、“他人と自分との違い”を、指折り数えては溢れ出る劣等感に負けていた。

いつの日かそれを“仕方ない”で済ませるようになってて、“弱い”を見逃すようになっていた。

母が、父が、身近な人が愛情で投げてくれる言霊さえも、すべてこの手で潰して無駄にしてきたのだろう。

私は本当の愛を見る事ができていなかった。

 

自分自身にも、恵まれたこの環境にも甘ったれていて、

近くの“当たり前”に寄りかかり、いつか来るだろう“変わるきっかけ”を待っているだけの、

情けない受け身の人生だった。

 

そんな自分自身を最初は酷く責めた

「どうしてもっと早く気付かなかったんだ」と。

 

でも毎日、母に会いに行く度

母は笑っていて、母はいつも私に「ありがとね」と言ってくれる。抱きしめてくれる。

生きている母を見ると、心はいつも温かくなった。

“当たり前”の有り難さを毎日のように感じさせてくれるから。

 

眠る前、毎晩のように沢山の“考え”と“心”をリンクさせ、“私のやるべき事を”呼び起こす作業に集中する事にした。

 

そして気付いた

母の愛は、父の愛はいつも、いつまでも偉大なのだ。と

 

幼い私が抱いていた“孤独”と、27年間過ごしてきたとしても、

不思議にもそんな事どうでもよくなった。

むしろ「気付かなくてごめんなさい」と懺悔した。

 

何故なら、この不安は「私が親と過ごした思い出や、親から頂いた愛情」の現れなのだと理解したからだった。

 

少し愛情表現が不器用な親なのだろうけれど、

紛れも無く、これまでちゃんと傍にいてくれて、ちゃんと私を見守ってくれていた。と気付く。

いや、気付かしてくれたんだ。と。

 

それもこれも、母のお陰だ。

そして「恐怖」が「感謝」に変わった。

 

私が今できる精一杯の事は

「毎日、母の温度を確かめる事」と、「母を励ます事」と「頑張ってる家族を支える事」

そして

「幸せな姿を見せる事」だった。

そう、私は初めて、ホントに初めて

自分の“弱さ”に勝つための旅に出たのだ。

 

母は私を見て「頑張ったね」といつも褒めてくれる。

母は私に腕の血管の音を聞かせてくれて「生きてる」を知らせてくれる。

母は私に「希望」と「猶予」を与えてくれた。

 

親孝行とは何か。を行動にする為の期間と

母の笑顔から「生きる事」を教えてくれる。

 

父は精一杯、頑張ってくれる。

弟も精一杯、何かを教えてくれる。

私は想う、「この家族で良かった」と毎日のように。

 

少し遅いけれど、大切な何かを毎日毎日拾い集めて

必ず乗り越えてみせる。

今日の想いも、昨日の想いも絶対に忘れたくない。

 

“当たり前”への感謝や、“生かされている”事を。

“大切な思い出”を絶対に。

 

母よ父よ

必ず貰った愛情は愛情で返します。

だから笑っていてね、ずっと傍で。私の瞳の中で生きていてね。

 

こんなにも大切な想いを思い出させてくれて、ありがとう。

これを絶対に無駄にはしないし、絶対に忘れないで越えていく。見てて。

 

私が私と歩き出した日

零れ落ちた水滴を拾いあげ、私は本当の「生きる」を誓った。

そして、「愛してる」と何度も口に出して歩いていこうと決めたのだった。