れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

“したい”

“旅に出たい”

場所はどこだっていい。欲を言うなら、緑があればそれでいい。

とりあえず、いつもの場所から抜け出せたらいい。

好きな場所とか特に無いから、耳にイヤホン差して、その場その場で行きたい方角に歩いて辿り着く場所を正解にする旅に出たい。

 

“寝たい”

別に眠れてない訳じゃないけど、良質な眠りについてみたい。

夢とか見ないやつ。寝返りとかも忘れちゃうくらいのやつ。

物音とかでいちいち起きてしまわないやつ。

覚めた時、すごくスッキリしてるやつ。

できるだけ、それを長く。時計が1周しちゃうくらい、それくらいのやつ。

 

“書きたい”

毎日、毎日書いてない日は無いんだけど

文章と離れてる時間とか無いんだけど

だけど、違う。もっとこう、自由を書きたい。

ぐちゃぐちゃで、乱れてて、もっとどうしようもなくて、救いようのないのを書きたい。

私が本当に、欲しいものとか

私が本当に、憎いものとか

私の本当を書きたい。書けるようになりたい。

もう1回戻りたい。

 

“病気のない身体になりたい”

私が永遠に怖いものを避けたい。

私の大切な人の身体も怖くない身体にしたい。

大切な人達が苦しまない世界になってほしい。

痛くなくて、悔やまなくて、悲しまないようにしたい。

最悪、私だけ病気になるのならいい。

私の大切なものだけ、壊れないように守っていたい。

泣くのは痛くてじゃなくていい、怖くてとか、苦しくてじゃなくていい

嬉しくて流す涙だけでいい。

 

「久々だね」ってあの世で再開した時の嬉しい涙だけでいい。

 

“才能が欲しい”

ひとつくらい与えてほしい。

与えるのが無理なら、教えて欲しい。

「君にはこんな才能が期待できる」でもいいから、知らせてほしい。

このまま死ぬのは嫌だ。

自分を好きにならないまま終わるのは、この世で生きたことを悔やんでしまうから

最後までに見つけたい、自分の才能。

死ぬ時までに「これがあるから」と、誇らしげに目を閉じたい。

私には何が足りなくて、何を得たらいいのか。欲しい。

 

“目を見たい”

もっとちゃんと人の目を見たい。

 

“賢くなりたい”

無駄のない人間になりたい。最後くらいは。

 

“素直になりたい”

もっと言葉を上手に吐ける人になりたい。

真っ直ぐに溜め込まずに、噴出できる人になりたい。

 

“愛”

もういらないってくらいに、与えられたい。

 

“足りたい”

何をしても満たされない事を辞めたい。

 

“自信が欲しい”

今だってずっと、どうしようか悩んでることを辞めたい。

 

“なんでもいい”

もうなんでもいいから、欲しい

 

“終わりたい”

〝愛〟が笑う時、それは。

 

愛がわからなくなった時、それが愛のスタートなのかもしれない。

 

〝みんな愛をしていますか?〟

 

それは壊れやすくて、美しいもの。

狂おしいくらいに真っ直ぐで、強いもの。

頼もしくて、憎く、正しすぎて、惑わしいもの。

 

愛は、いつも私達の生活を濁してくれる。

良くも悪くも私達を生かしながら殺してくれるし、無いと不安になるくらいに依存性も高い。

 

ここずっと〝愛〟について何度も考え、私は相当に〝愛〟がわからないんだと気が付いた。

 

正解を見つけ出そうとすればするだけ、迷うし、解らなくなった。

 

欲しいと思えば思うだけ、奪われるし、確実じゃなさすぎていて、憎いくらいに、不平等だった。

 

 

あぁ、途方に暮れそうだ。

 

 明日も明後日も悩もう。そして〝愛〟に壊されよう。

【復活】かんたん絵日記。

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年が明けて、2日。

正月は、毎年すごく早い。

なのに、このスピード感がいつまでも掴めずにいる。

 

私が今年の正月に求めていたものは

〝何も難しい事を考えずに過ごす時間〟

つまり〝寝正月〟だ。

 

その寝正月をして気付いたのは、これが本当の幸せなんじゃないか。という事。

 

これまで、ずっと寝正月を勿体無いと感じて生きてきたけれど

〝寝正月〟の何がいけなかったのか。

今の私には全くと言っていい程、わからない。

寝正月の魅力を知らなかった事の方がよっぽど勿体無い。

 

 

正月こそ、寝て過ごすべきだった。

いや、できるなら毎日寝て過ごしたい。

 

何も考えずに寝たい。何も失わずに守りながら寝たい。

本当は人生ずっと永遠に寝ていたい。

幸せな永遠の眠りを得るために、ずーっと寝ていたいよ。私は、寝人生を過ごしたい。

 

 

ただ無常にも時間は過ぎる。

そして平気な顔して2018年を平然と過ごしていくんだ。私達は。

 

後2日寝れば普通の毎日が待っていて、普通の毎日が悪い顔して待ち構えてるのだけが確実なんだ。

本当に悪いやつだよ、私達の人生ってのは。

たまに蜜を吸わせる癖に、時間がきたら「生きろ!」と急かしてくる。

 

早起きして、通勤して

そして、約8時間社会のストレスと愛し合っていく任務を果たさないと生きさせてくれない。

 

そんな無常で過酷な人生から逃げてしまいそうな自分の事だけが心配で、今は1番に怖い。

だから、今は普通の日々を越えていける自分である事を必死に祈るしかない。

 

ならば、もっと毎日を楽しむべきで、

寝正月をじゅうぶんに楽しむべきだ。

誇らしく、寝正月を選んだ自分を褒めてあげるべきなのだ。

あの普通の日々の為に。あの普通の日々を過ごしていく為に。

 

 

だから私は決めた。

残された2日間、正々堂々と寝で過ごす。とりあえず、ダラダラと寝て過ごしてやろう。

 

2018年の正月が寝正月だったことを、この世の誰よりも私が満足してやる。

気の抜けたコーラよりも抜けきった私を誰よりも私が愛してあげる。

 

 寝正月最高だ!と、声を大にしてここで宣言してやろうじゃないか。

 

 

「正月を忙しなく過ごしているお前ら、私を見て後悔するがいい。

正月こそ誰とも会わなくていいし、同窓会なんてものには行くべきでない。友達との初売りなんかも行く必要ない。

正月を寝て過ごす事は、後少しで襲いかかってくる魔物ストレスと戦う為に必要な寝溜めだ。エネルギーの温存なんだよ。だから正月は寝正月にするべきなんだ。

そうさ、よく聞け

寝正月をすれば良かったと後悔するのは正月休みが明けたその日だ。そうして君は寝正月をしなかった自分をいつになく責める事になる。覚悟しとくがいいよ。」

 

 

ふぅ。

 

私と生きる義務が君にはあるから。

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皆様、新年あけましておめでとうございます。

2018年もどうか、はてなブログ、合わせてさあこをどうか、どうぞ、よろしくおねがい致します。

 

わたくしごとではありますが、

今年は色々と忙しい1年になりそうなので、

今から気を引き締めていきたい次第であります。

 

そして、

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色々な意味を込めて

今年の抱負は「アクティブな1年にします。」にしました。

 

それでは、〝私の言うアクティブとは〟についての説明をしていきたいと思います。

 

アクティブ①「仕事面」

2017年後半、沢山の厄介事がドバドバでした。

よって息継ぎをする暇などなく、自分の居場所探しに全エネルギーを注ぎ込んでいました。

 

そうやってニュー勤務先に移り、一刻も早く環境に慣れようと毎日を食い散らかしながら生きていました。そろそろ息切れ寸前でした。

 

しかしながら

新しい年になったからといって、そのストレスから間逃れた訳じゃあない。

日々を乗り越えなくちゃいけないのはいつだって同じなんです。

ですから今年もゼェゼェ言いながら日々を耐え抜いていく次第でございます。

 なので、その為に私はいくつかの努力をするべきなんです。

 

例えば、文章力向上だったり、アイデアをポンポンと生み出す為の学習だったり、まあそれは色々です。

 

つまりは去年の倍、仕事に貪欲さを持って取り組むべきなのです。

いや、私がそうしたいのかもしれません。

 

でなければ、また私は自信を失ってしまう。

それだけは必死に避けていきたいんです。

 

何よりも私が来年に作り上げたいものは「貢献してる自分」であり、何か少しでも皆の役に立てている実感。

 

「来年は今年よりも、個人個人に与えるノルマが倍増するかと思いますが、それぞれの意識を高めて乗り越えていっていただきたい。」という、特大プレッシャーを去年の忘年会では頂いたので、戸惑わず答えられるようなアクティブな自分になりたい。

 

そうすることで、ずっと欲しかった自信をようやく身につけられるような気がする。

いや、そう思い込む事で、日々をアクティブに過ごしていけると思うのです。きっとそうなんです。

 

アクティブ②「プライベート」

去年は色々と大変で、プライベート充実など出来っ子ありませんでした。

なんだか〝生きる〟事だけで精一杯でした。

なので人に会えない1年でした。旅行にも行けない1年でした。それは非常に無念だ。

 

だから今年はマイペースに、プライベートに力を入れていきたいと思っています。

会える人には会いにいきたいし、行けるところにはとりあえず行きたいと思っております。とりあえず待っててください。

 

 

アクティブ③「恋愛」

皆までは言わん、とりあえず慎重に進めていきます。

 

アクティブ④「自分磨き」

これまでできなかった自分の為の取り組み、及び、自分への投資。

 

アクティブ⑤「ヒューマン」

とりあえず、これまでに貰った愛をお返ししていかないとなりません。

 

迷っている人がいれば、答えを一緒に探してあげたり、泣いてる人がいれば、ハンカチを差し出してあげたり、

困っている人がいれば、その人の行くべき道をiPhoneのライトで照らしてあげたいのです。

 

自分の事だけで必死だった去年を補わなくちゃ。

 

そして、犯した罪の制裁を受ける事は、もちろんの事

やり残してる対人関係での整理整頓と、誰かの精神面のサポートをもう1度始動させていこうと思います。

 

 

と、なんとなく掲げた今年の抱負「アクティブな1年にします。」は、割と今の自分にはピッタリな豊富だったのかもしれません。

 

 

ただ忘れてはいけないのは

2017年があったから、2018年があるということ。

 

なんとかここまで生かして貰えたので、後は心配をかけず、ひたすら這い上がっていくだけ。

 

割と深いところまで潜って、目ん玉が真っ白い魚達と真っ暗闇で何も考えず、限界まで遊泳してこれました。

だけどもう深海は、満足です。じゅうぶん。

 

なので、そろそろ浅瀬の美しさを知りたい。

と、ついに私も浅瀬で生きているカラフルで綺麗な魚達と遊泳することを夢に見るようになってしまった訳です。

 

私はこれまで〝普通〟に憧れて生きてきたけれど、やっと、このように〝普通〟の欲望を抱けるまでに戻ってきたようです。拍手です。

 

まあ、きっといくら足掻いても私は〝完璧な普通〟にはなることはできそうにはない。

 

でも

 

〝できなかったことを、やる〟〝皆ができてる事を頑張る〟を目標にしてから、少しだけ〝普通〟がどんななのか解ってきたような気がするんです。

満足するまではまだまだですけど、少しづつ前に進んでいってる気がしてるんです。

 

 

いやはや

2018年は、こんな私にも平等にやってきてくれました。感謝。

 

これからも皆と過ごす時間には、 沢山の笑顔が溢れるようにと、全力を尽くしていたいし、

日常に落ちてる小さなモノにも「勿体無い」と、沢山の感情を抱いていきたい。

そして、皆の毎日に愛が沢山詰まっていますように。と、誰よりも祈っていたいんてす。

 

私の中の優しいを目覚めさせ、私は誰よりも私に優しくなりたい。

 

皆を〝幸せ〟へと巻き込んでいける人間を目指していきたいんです。欲深く。

 

なのでまだあなたは、そこにいる義務があるんです。

 

私がこの世で1番嫌いなシーンは〝別れ〟です。

あなたはずっと私のそばを離れないでいてください。

 

と、こんな独りよがりな私ですが、

どうか、今年もよろしくです。

 

まだ、あなたの愛、食べさせていただきます。

 

2017年どうか、笑顔で。

 

2017年、気付いたら今年も残すところ2日になってしまっていました。

ただ、こんなもんは毎年の事です、経験済み。

残されたこの2日なんてほんと一瞬で、息を吐いた次の瞬間に年は明けちゃってるんだよね。知ってるよ。

 

なので今年はきちんと、ここで皆様にご挨拶させてください。滑り込みセーフです。

 

 

そういや、はてなブログをスタートさせたのも2017年でした。

 

最初の投稿は、2017.1.19

私がココを始めた理由は、〝色を取り戻すため〟だった。

 

その頃の私の世界には、音も色も何も無くて

感情が思い出せないって、毎日毎日泣いていたと思う。人間に戻りたくて必死だった。

私の中に眠る僅かな欲望を目覚めさせようと、必死だった。

文字におこすと何か変わるかもしれないと、とにかく必死だった。

 

そして書き続けていくこと

 

2017.1.27

私はその日「その色はオレンジ。」という記事をあげた。

この日、昨日まで奪われていたはずの色を全部取り戻した。忘れもしない、とても不思議な日だった。

 

2017.4.24「また来る季節に、誓いのキスを。」

これから訪れる何かを察していたのが解る記事。

この頃、何かを恐れ、何かを必死に守ろうとしてたのを覚えてる。

 

そして、これが2017年最大の魔物。

たぶん一生忘れる事のない出来事。

 

2017.5.16「親が与えてくれる偉大なる愛を抱きながら」

4月28日母が緊急入院

退院するまでの2ヶ月間、ほぼ毎日不安と恐怖と後悔と共に泣きじゃくった。

「命」を必死に守ろうと、私はいくつもの「生」を手に入れた。

 

それから次々に訪れる様々なモノに何度も何度も押し潰され、取り戻して、でもまた失い。を繰り返しながら生きた。

そうして私は本当に大切なものに気付き、手に入れる事ができたのだった。

 

 

そう、これが私にとって、やっと大きく変われるきっかけになった出来事。2017年が私に託した試練だったのかもしれない。

 

 

そして

2017.9.24「あきれちゃった。」

文字を書けなくなった日。

 

2017.10.9「涙味のコーヒー。」

耐えながら越えようとしていたものを、まずひとつ取り上げられた日。

 

2017.12.3「2017年、よく聞け。私は君を許さないぞ。」

少しづつだけど、手に入れ始めた日。

 

 

こんな感じの2017年

すべてでは無いけど、私が生きた証がちゃんとココに記されていた。

 

忘れられない、忘れたくない2017年

やっと鬱から抜け出せたかと思ったら、急に当たり前を取り上げられて、自分の過去との戦争が始まる。

いくつもの壁を壊したり、越えたりしながら〝生きる〟を刻み込んだ。

そして、長年手に入れられなかった欲しかったモノが手に入った時、やっと〝幸せ〟がどんな感触だったかを思い出した。

 

2017.12.29

私はとても活力に溢れている。

当たり前も、幸せも、知る必要があった。刻む必要があった。

私は、来年も再来年もずっと生きたい。

何度死んだとしても、何度だって生きたいよ。

まだまだ取り戻したい事があるし、返したいものがあるから。

 

皆が幸せになれるように。

私がやらなくちゃならないこと沢山あるんだよ。

 

 

今年は皆さんにほんとに助けられた1年だった。

感謝してもしきれないくらい、愛を沢山頂いたと思う。

来年もどうか、こんな私をよろしくおねがいします。

 

まだ消えないで、そこにいてください。

2018年は与えられるより、与える1年にしたいです。

 

皆さんとは、来年までしばしお別れを。

2017年さん、あなたはどうか笑顔でお眠りください。

 

 

良いお年を。

 

 

 

情緒くんさよなら、さよなら情緒くん

初めて〝安定〟とか〝安心〟が欲しくなった時、やっとたどり着く

「安心して安定の中に居る人はこの世に存在するのだろうか」

すると私は自分の強欲さ、烏滸がましさ、醜さを知る。

 

自分の事だけを考えていると

「取り残されたようだ」と、まるで〝不幸〟が自分にだけ微笑んでくれているように感じる。

なんだ、これも烏滸がましすぎて寒気がするじゃないか。

 

であれば

「他人の事なんて考えてる余裕ない」が、どれ程に自分を〝不幸〟へ追いやっているのかを知る。

 

この世に〝絶対〟など存在しない事を知ってるつもりだけど

何度だって探してしまうのが、欲深さだよ。

 

まるでそれは、宝くじを買うような感じ。

「買わなきゃ当たる事も無いじゃないか」

「信じなきゃ叶うものも叶わないじゃないか」

目には見えない神様を信じるような、欲深さ。

 

ないものねだりを繰り返す内に

自分には何があって、何が無いのかを忘れた。

あんなに〝孤独〟を愛していたはずなのに

「あなたとずっと一緒にいたいよ」と、雌の顔をして吐く時の烏滸がましさを、咎められるべきだと思う。

 

ならどうして私は、〝安心〟と〝安定〟を求めだし始めたのだろうか

 

他人の〝安定〟を見たから?他人の〝安心感〟を羨ましいと思ったから?

違う。どちらも違う。

 

そう私は〝安定〟を求める自分に〝安心〟したかったからだ。

いっさい周りなんて見てやいない

私は私しか見ていなかった。

「あなたとずっと一緒にいたい」と吐くあの瞬間だって

私は私しか見てないんだった。

 

 

そう

自分を〝不幸〟に追いやっているだけだった。

 

 

 

兎にも角にも、この世は上手くできている。

何年か前の苦労や悲しみを、今日には「あの日があったから」なんてシャラシャラと奏でたりするのだから。

大切なことに気付くのはいつも後で、その瞬間の対処など大人になればなるだけ、できそうになくなった。

目の前の欲しい物に手を伸ばしてる時の方がよっぽど、〝大切〟を落とさないで済んだろうに。

 

どんどん醜さを喰って肥えていくだけで、どんどん清さが解らなくなっていく

だからこそ辿り着く場所がいつも同じだった時、私は〝安心〟する。

 

「他人を愛せない人が幸せになれるか」

 

世界はいつだってとても上手だ。

だから、安心や安定など願う必要など無かった。

愛をしてない人に、何かを与えたくはならないのが、きっと〝絶対〟だろう。

 

〝あぁ今日も楽しかった

また次も忘れた頃にやってきてちょうだいね「情緒くん」〟

 

NONSTOP期待

〝期待〟には、いったいどれだけの力があるのだろう。

試練を超えるほどの強さを与えてくれるものなのか、それとも、プレッシャーという弱さを与えてくれるものなのか。

 

28年間向けられ続けた〝期待〟に、私はまだ何一つ答えられずにいるけれど

色んな汚いもので散らかった道を、汚れないように避けながら歩いているだけだけだけれども。

 

だけど、ずっとこのままではいかないということは重々に理解していて、

いつか私に向けられた様々な〝期待〟という巨大なボスと戦うべき日はくる。の承知の元で〝期待〟を避けながら日々を生きている。

 

いつか誰かが

悟りを開いたお坊さんみたいな面をして私にこう言った

「越えられられない壁なんてないんだよ」

何年も何年も、私はそれが腑に落ちなかった。

 

それを認めた時、越えられない壁の手前で「もうむり。越えられない」と、果ててしまった人達の苦悩や悲しみはどうなるんだ。報われないじゃないか。

「幸福は皆平等」

この言葉並に信ぴょう性が無くて、無責任な言葉だな。

と、モヤモヤしながら私は生きてきた。

 

だけど生きていると色んな人と出会う。

いい意味で私の中の何かを刺激し、揺らがしてくれた。

 

色んな越えられない壁を色んな方法で乗り越え、それぞれの正解を見つけだして、強く生きていたりする人達にいちいち私は、〝期待〟してきた。

 

「越えられないだろう壁だったけれど私は諦めなかったよ」

と、言った人は「越えられない壁」を目の前にした時、今の自分には、その壁を何をしても越える事ができないだろう。と、自分の弱さを認めたんだと。

そしてその後、彼は諦める事をせずに、一つ前のマップに戻っては、必死に経験値上げに励んだ。

そうやってある程度のレベル上げをして、またその壁に挑みに行ったんだと。強い。

 

そうして、その人の「越えられない壁」は、「越えられた壁」になったと。

 

 

越えられない壁をどう捉え、どう越えようとしたのか。どの角度からその壁を見たのか。

それによって、得るものが変わっていくのだという事を、私はその人から教わった。

 

 

要は「越えられない壁なんてない」 は嘘で、今の自分には越えられない壁。は存在する。

 

肝心なのは、その壁を

越えようとするのか、諦めてしまうのか。

そこが重要なのだと、私なりの理解をした。

 

越えられない壁の前で、果ててしまった人は、〝諦めた〟からだ。越えられない壁だったからじゃない。

 

越えられない壁の前で、今の自分の能力を客観的に捉え、その壁を越える力を得るため努力した人は、

〝諦めず越えようとした〟だから、越えられる壁になった。

 

そうか、やっと解ったぞ。

 つまり、正解は

「越えられない壁はある」けれど「越えられない壁でも乗り越える事はできる」だ。

 

話はだいぶ逸れてしまったけれど

 

現時点で様々な〝期待〟に答えられていない私が、いつかそのすべての〝期待〟に答えられる日が来るとすれば、

越えられない壁を乗り越える為の試練をただ身を潜めながら耐えてる今の自分を、全力で肯定してあげる事ができる。抱きしめてあげられる。という事だ。

 

私は私の為に、この答えを導き出すことに成功したという事だ。

 

あの日「越えられない壁はないよ」の言葉に漠然と抱いたモヤモヤを成仏させてあげる事ができた。という我への朗報。

 

私は答えがないものがずっと好きだった。

それは、そこに自分なりの答えを注ぎ込む事ができるからだと思う。

これからも、くだらない何かと張り合って生きるつもりはない。ずっと、我が道を行く。でいい。

 

そんなふうに、私はずっとこうやって人生をやり過ごしていくんだろつ。

道端に落ちてるゴミにいちいち感情を委ねて、自身を疲れさせて生きていくんだろう。

 ひとつひとつの事に気を取られながら、自分なりに納得できる正解を見つけ出し、〝簡単〟を偽装して、ゴキゲンナナメに生きてくんだろう。

上等じゃないか。立派だ。

 

 

私の人生の答えは私が見つける。

私の前の〝越えられない壁〟という〝期待〟は、ある日〝乗り越えずにきた壁〟になり、〝乗り越えないといけない壁〟になって

〝簡単に越えられた壁〟にさせてみせる。

 

その為に、私は「人として褒められる自分」を創る事に集中しなければならない。

 

「あの人には何も無いけど、人としては立派」を目指す。

 

だから君たちは、また私に〝期待〟しててくれていい。そんなの喰い滅ぼしてやるから、〝期待〟を与え続けていてほしい。