れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

2017年、よく聞け。私は君を許さないぞ。

文章と向き合うとなると、私は長い時間を掛けてしまい、思っている以上に体力を消耗してしまう事になる。

よって、文章を書く。といった体制に入るに至るまでに諦めてしまう。いちいち意気込む、それが辛かった。

 

けれども、ついに仕事に置いて、この厄介な癖が大きな問題になってきた。どうしようもなくなった。やらないといけなくなった。

 

文章を組み立てるのに長い時間をかけすぎてしまうこの癖が足で纏いになり、作業が上手く進んでいかない。自分に自信がなくなる。それが現在最大の難点。

なので、“文章をできるだけ早く書く”という課題を我に設ける事にしてみた。

それを決めたのは、今日。いや、さっき。

 

そしてそこに辿り着くまでの改善点を考えてみた所で

やっと、ここに辿り着いた訳だ。久しぶりだな、はてなブログ

 

そうだな、まずはプライベートの文章くらいサクッと書けるようになる…という希望と願望を糧にして、やっと久しぶりに“書こう”という体制に入ることができたまでは◎を上げてもいい。我ながら思い立ったら即行動がよく出来た。あっぱれ。

 

でも次にぶち当たった壁「何を書けばいいんだ」に、負けそうになる。ペンを置きたくなる。(手書きじゃないんだけど)

 

でもここでやめたら、意味がない…歯を食いしばれ…まだいける

 

自分自身にエールを送ってみよう

 

“そもそも綺麗な文章なんて、書けっこないんだから、そこまで拘る必要もないぜ!誰も見てないブログなんてサクッと書いてしまえよ!”と、我に妥協を促すエール。

もう、ここまできたら任務だ。やれ。

 

多少の不安も…たどり着けるのかな…のハラハラ感も全部楽しむべきだ。不安と共に闘う覚悟。

さもなければ、そもそもの問題なんて何も解決しない。任務だ。やれ。

(実際、こんな重く捉えてはいないが)

 

 

さて、何を伝えるのか。

私は今、“誰か”に何を伝えたいのかを絞り出すんだ

 

 

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 近頃は、新しい職場に慣れるために目を閉じながら匂いを嗅ぎ分けるような日々で(よくわからないけど)

とにかく生きるのに必死だ。

自分の職場さえアウェイなので、それを一刻も早くホームにしてかなければ、デスクに座っている自分が恥ずかしくて恥ずかしくて限界だ。やってられない!

そんな感じで、慣れる為に、自分が努力できる事を探してる最中である。がんばれ!自分!

 

次に、大きく変わった事といえば

毎日“誰か”の生活を把握する事で、“孤独”を満たせているところ。

 

20代、自分のこれまでの人生を巻物にしたとするならば、ガラクタ譲渡で有名なメルカリでさえ値が付かない程、糞みたいな年表にしかならないだろう。

 

そんな事実を自覚しながらも「わたし、大丈夫なのか…?」と怯えながら、これまでひっそり生きてきたのだけれど

ここに来て、すごい速度で一気に色んな事が舞い込んできたので、感情も肉体も精神も結構追いついていない。

つまり、私は私の人生で忙しくなっている。といった感じ。

このままだと柄にも無く、“幸せ”というワードを使い慣らしてしまいそうで、むず痒い。

でもきっとこれは多分、幸せユーザーからすれば「それがどうした?」と馬鹿にされるようなちっぽけな内容なのだと思う。

が、そんな事にすら私は「あ、これ幸せだよね?壊れてしまわないか心配だよォ」と、抱きしめたりしちゃってる系、自己満って感じなので、聞き流してくれてもいい。

 

でも、私なりの“幸せ”を皆に伝えたい欲求が抑えられないので、少しだけ聞いて。

 

例えば、君たちがずっと手に入れたくても、入れられなかった薬草があるとよう。

それがある日、ショーモナイ雑草と共にすぐそこの道端に生えていたとしたら「え?」となるでしょう?「これほんとにアノ薬草?」と疑ってしまうでしょう?

あんなに手に入れたくて仕方なかった薬草が、こんなにも簡単に手に入れられるなんて有り得ない。

なんて疑いながら調べて調べて調べまくってみても

やっぱりそれは、今まで入手できなかったアノ薬草で

次は怖くなって

「きっとこれは、夢だ。それか幻想だ。」とか言って、信じるまでには、それなりの時間がかかってしまうでしょう?

 

と、まあ、そんな感じ

 

ずっと手に入れたかったはずの薬草をやっと入手できたのだけど

それを何に使うのか、何に使いたかったのかが解らなくなってしまってて

今は思い出すまでは、大切にココに保管している。って感じ。

 

「いつか、これ誰かに盗まれたりして」とか「お金で買い取ろうとしてくる悪い人が、明日インタホーン鳴らすんだ」なんて悪い妄想に怯えながら、毎晩その薬草を眺めてニヤニヤして、いちいち鍵付きの箱にその薬草を入れて守ってるって感じ(よくわからないけど)

 

つまり、アノ薬草手に入ったよ!って話。伝われ。

 

あとは、歌う事もできるようになったよ!って話。どうでもいいけど

 

ただ、やっぱり環境って本当に大切だなって最近よく感じる。

すべて意味がないように見えて、どれも意味があるんだな。って

あとになって、過去と現在に線を引いて納得する事が良くあるから、もう確信してもいいと思ってきた。

 

だとすれば、意味がないように見えてた、あの糞みたいな私の巻物も、私にとっては宝物なんだ。

値は付かなくとも、私にとっては意味のある価値のあるモノだという事だ。

 

そういえば、去年の今頃、「光の無い世界」に苦しんでいたのだと思えば

よくここまで生きれた。と褒めてあげたい。

 

文章を書く事さえ、困難になって

音楽を耳に流し込むと、吐きたくなって

そんなの歌う事なんてできる訳なくて

「私、このまま何もできないまま、死んでいくんだな」って“孤独”をプスプス指しているような日々は

本気で怖かったし、本気で終わったと思った。

よくここまで耐えた。

 

とは言っても、問題がすべて解決した訳じゃない

今だって沢山の問題と、沢山の課題と共に生きていくのには変わりはない。

過去のトラウマのような魔物に食い殺されそうになって怯えながら越える夜だってまだある。

 

だけど、毎日の世界にはちゃんと光があって

音楽を耳に流し込みながら、身体を動かして、金を稼ぎにいけている。

薬も必要ないくらいに、夜になれば眠たくなる。

口に入れる食材の色に「幸せ」と泣き、一つ一つの味を噛み締められている。

家に帰れば、家族がいる。

音楽に身体を揺らして、笑いながら声を乗せて「楽しい」と思えている。

仲間がいて、その仲間に会いたいと思えている。

 

何よりも、未来を見れている。

これ以上に欲しいものなんてない。

どんな問題があろうとも、生きれている。生きてこれた。

 

難題だろうが、飲み干して空っぽにしてやろう。

そう思えている。

 

 

だから2018年が来る前に言おう

「おい2017年!お前は残酷だよ。たった1年という期間に沢山の試練を与えてきすぎだ!一生許さねぇ。

だけどな、感謝してる。私はお前のお陰で変わろうと思えたからありがとう」と。

 

 

そして、君たちにも言っておこうと思う

 

ここから毎日、できるだけ毎日

ここを更新していきます。と。

 

(あーゆっちゃった…)

 

 

 

 

涙味のコーヒー

報われなかったのか?

私は私に勝てなかったのか?

 

涙味のコーヒーは何故か懐かしかった

こぼれ落ちるのを必死に堪えた頃が確かにあったのを思い出す

 

「どうして私には何も無いの?」

必死に問いかけて、閉ざされた扉は何故がとても眩しかった

必死に追いかけて、落とされた闇は何故かとても暗くて寒かった

 

私が犯した罪、過去からの報いだと思った

 

ひとりぼっちじゃ暗い、寒い

 

逃げ出さない私を、初めて落としてくれた

悔しい、できないのが、何も無いのが、何も出来なかったのが悲しい

 

そして周り見渡したら

やっぱり私、ひとりぼっちだった

 

もう1度、もう1度、もう1度

信じたい

 

 

逃げ出さなかった私を褒めてあげる

お願い、まだ少しだけ光を照らしていて

 

味の無い飴玉

「私は何もないんで、何もできないです。何もできなくなったんです。色んな人の足を引っ張ります、いつも期待を裏切ります。いつもです。いつもなんです。あぁ田舎に隠れないといけないでしょうか。でもそんな田舎に逃げてしまうような、私が私は嫌いです。」

 

匿名希望さん

「私は今のままのさあ子さんが好きですよ」

 

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昔、沢山の人の前で話をする時、私は向けられた人の視線に

「この人たちは何を求めていて、私を見てるんだろう」を考えながら話をした。そして、話ができた。

 

「さあこさんは本番に強いね」

「さあこさんがいてくれてほんとに良かった」

「さあこさんにはほんとに助かっているよ」

 

しかし、私はこんな言葉達を何度も跡形も無くなるくらいにすり潰しては「私は求められると疲れる」と吐き捨て続けた。

そう、沢山の人の“想い”を無下に扱って生きてしまった。

何度も何度も“期待”を嫌って生きてきてしまった。

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「さあこは頭がいいのにどうしてこうなったの?」

「君はどうして人と同じことができないの」

「どうして、君はいつまでも幸せになろうとしないの?」

 

味の無い飴玉を口に頬り込んで、いつかを待った。

いつか皆が私を諦める日を待った。

ポケットにはいつくもの飴玉を忍ばしながら、皆の“期待”が消えるのを待った。

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その日は空は雨をこれでもかってくらいに吐いて

傘のない私を濡らし続けた。

「どうしてこんなに何も出来ないの、私は私をいつか好きになれるの」

ずぶ濡れになったジャケットのポケットに手を入れて

あの日忍ばせた飴玉に触れて思い出した。

その飴玉をひとつ口に入れて、全く味を感じられない事に、味が無いことにこれでもかってくらいに泣いた。

空が吐いた水に紛れて、辺りを濡らし続けた。

 

 

そうだ思い出した。

わたしが“期待”を避け続けたんだった。

私が人の“想い”を殺め続けたんだった。

私がこうなる事を願い続けたんだった。

私のせい、私のせいだった。

 

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「さあこさんはこれするの上手ですね」

「私はさあこさんを期待してますよ」

 

その日

「わたし、まだやり続けます。期待し続けていきます。もっと皆さまの役に立てるように努力します」

を書き加えた。

 

「今月の目標は、文字をもう1度書いていきます。それと本を2冊読みます」と、定めた。

 

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あの日、ポケットの味の無い飴玉は全部捨てた。

もうポケットには何も忍ばせない。

いつか誰かに飴玉を貰える日まで、そのスペースだけを空けて。

 

0を100にするように、息をしなさい。

「毎日、嫌いになる」

求められない事に慣れてしまうと、人はどうなってしまうのだろう。

いつか“信じる”という事さえしなくなって、この世界を死ぬ為に生きるようになるのだろうか。

 

ずっと毎日のように好きだったものが嫌いになる。

いや嫌いになるというよりも、好きだったものが自分には適わない事に気付いていく。

 

音楽を聴くのも、才能を押し付けられているような気がして鬱陶しいし

本を読むのも、映画を見るのも、自分を律してしまうから無償に疲れてしまう

生きる事さえも、いつかは“楽しめるように”“笑えるように”“好きになれるように”とかで身体の奥から湧き出てくるエネルギーに身を任せながら勢いよく生きてきたはずだった。はずだったんだよ。

 

でも、いつしか

私は空っぽという事実から、避けるようになって、逃げるようなって、日々を過ごしていた。そして、それに慣れていた。

 

昔、星を見上げて、空を手で撫でながら

「ねえもっと見たいよ」と呟いた日の事を私は忘れた。

詰まらない日々を過ごしながら、何かに喰われていく事に抵抗をしなくなって

強くなったと勘違いして紡ぐ事を辞めた。

星は見えなくなった。いや、星を見る事をしなくなった。

 

私は世界に自分が適合するようにと、努力する事を辞めてしまった。

そして、ひとりの夜に「寂しい」と呟く人を、下らない。と思ったし

誰かがいないと何もできない人を、惨めだ。と思った

この世界にちゃんと溶け込んでいる、人間らしい人を見て

何度も何度も気持ち悪いと思った。

 

 

諦めて生きる事に慣れていたら

いつか当たり前のように求められなくなって

求められない空っぽな自分を責めたりしても、めんどくさくなって

遠い知らない街に旅に出たいとさえ思わなくなった時、私は私を責めることも、認めることも、期待することも全部辞めたんだと気付いた。

私は私を知ったんだ。と気付いた。

 

とはいえ、この世界はまだまだ生きていかないといけなくて

ご飯を食べるためにお金を稼いで、周りの人の目を気にしてお墓に一緒に入る人と、愛をしてるごっこをしないといけない

まだまだ騙し続けないといけない。

この世界が好きだ。と、騙し続けないといけない。

 

僅かな希望をいちいち手に取って声に出してみる

「私はまだ生きたい」

僅かな願望を、欲望を声に出して形にしなくちゃならない

誰かの目に入れてもらえるように

自分にはまだ出来ることがあるんだ。と騙し続けないといけない。

 

潜っていかないといけない。

そして深くもぐりすぎて何も見えなくなった真っ暗闇で光になれるんだ。と、思い込まないといけない。

 

だからこれからは

「毎日、好きになる」

汚いものを綺麗にする事だけに力を注ぐことにする。

失った、目に見えないものだけを、形にする事に力を注ぐ事にする。

今ならきっと0を100にできると思うから。

 

 

あきれちゃった。

書けなくなっちゃった。

もう私から、何もうまれなくなっちゃった。

ついに空っぽになっちゃった。

大嫌いになっちゃった。

下書きに溜め込むのが上手になっちゃった。

 

ついに見られたくなくなっちゃったのかな?

誰にも知られたくなくなっちゃったのかな?

どうしちゃったのかな?

活字が嫌いになっちゃったのかな?

それとも、また感情なくなっちゃったのかな?

何も無い日々に殺されたのかな。きっとそうだよ。

きっと奪われたんだ。

 

 

ねぇ、見て

もっと見てよ、

何も書けなくなくて足掻く姿を見ててよ、哀れんでよ、お願いだから何もなくなっちゃった私も同じように愛しててよ

 

他人はいつも優しい。

いつだって私が迷子になっても、誰も手を引いてくれなかったし

『その道は間違っているよ』も『おいで』とも暗闇から連れ出してくれる事もなかった。

私が何度も躓き、どうしたらいいの。と立ち止まり泣いていても

『自業自得だ』と冷たい視線で現実を突きつけてくれた。

そう、他人はとても優しい。

私が誰かを求め泣いている事も、悲劇のヒロインを演じ、頑張ることを諦めようとしているって事も

すべてはお見通しで、だからこそ誰も手を差し伸べてくれなかったのだろう。

他人は私に厳しく、そしてとても優しかった。

 

 

確かに私は何度も間違った。何度も逃げたし、何度も何度も自分を責めてしまっていた。

だから、いつまでも愛されないのなんて当たり前だった。

自分を愛してあげられていないから世界に愛されないのなんて当然で、

何かを責めているようじゃ、何も越えていけないのも当然。

知っているし、理解もしている。

ちゃんと歩んでいかないといけないって解ってる。

 

でもどうしてなんだろう

やっぱり私はおかしいのだろうか

 

いつの時も、暗闇が嫌だって迷子になるのが嫌だって何度も抜け出そうとするのに

知り尽くした道を歩いて、安心を手に入れてしまうと

物足りなくなってしまう。

 

誰かが私を連れ出して、キラキラとした明るい道をこの目に映してくれたとしても

『私には似合わない』って逃げようとしてしまう。

 

私には真っ暗闇で

迷子になりながらでも手探りで、間違いながら生きていくほうが合っているような気になってくる。

 

内心は『もう若くないんだから』の無責任な言葉にも

少しの焦りも感じていなかったり

『もうそろそろ落ち着きたいよね』の言葉には、なんとなくだけど

『あなたの落ち着くと私の落ち着くはきっと違うし』と斜めから睨んでいる。

自慢できるような人生を語る人を一度も羨ましいと思ったこともないし

私はいつだって捻くれていて、いつだって逸れていた。

だけどいつも同じを演じていたかった。救われてみたかった。

 

もうちゃんとは生きていけないのだろうか

他人が示す“幸せ”を一度も“幸せ”だと思えないのは

もう“正常”を諦めないといけないのだろうか

 

どうして私が誤っても、当たり前だ。って目で見るのだろう

そうして私が迷っていても、いつもの事だ。と目を反らすのだろう

どうして私が独りぼっちでも、私の目の前を塞いではくれないのだろう

どうして私が人と同じになろうとしていることを“かわいそう”だって慰めてはくれないのか

どうして私は強いと勘違いされていて

皆と同じでいれないのだろう

 

いつだって不思議だった。

道から逸れている私に、なんの違和感も感じていない。もう誰も。

あきれられていることだって、既に知っていたけれど

私は普通になりたかったよ。いつも。

普通にキラキラとした道を歩いて、安心に寄りかかっていたかったよ。それでよかったのに

全部『おかしい』で済ましてくれる。済まされてしまう。

やっぱり、他人はいつだって優しい。私を甘やかさないし、優しすぎるから悲しい。

 

そう、この人生は自業自得だよ。知ってる。

私が選んだ道なのだから、私が到着地点を定めなくちゃならないし

私が見つけなくちゃならない

この人生は私のだから、私が完結させないといけない。

もういい。私が好きなら、それでいい。

 

他人はいつも私を見放してくれる。私を自由にさせてくれる。

他人はとても優しいから、他人は私になんて興味がないから

もう自由に生きよう。

他人の優しさが、もう息苦しい

もう優しくしなくていい。

私は絶対に不幸せになんてならないから、甘やかしてくれていいよ。お願い。