れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

愛してあげる為には、勝つ努力。

自分に勝つ。

きっとこれは永遠に、私の課題だろう。

 

私は、店員さんの目を見ない。

なぜなら、店員さんに話しかけられても、

瞬時に私はスイッチを入れて、装いモードにしないといけないからで

それは、まあまあエネルギーのいることだから。

疲れてしまう。

 

どうして、プライベートの時間に無駄なエネルギーを消費しないといけないんだ。と、思ってしまうから

できるだけ、省エネモードで生きるようにしてきた。これまでは。

 

しかしながら

誰かと話す時に、私は相手が「あーこの人、人と話すことが苦手なんだな」とは、どうしても思われたくなくて

「この人すごい話を聞いてくれる。話せてよかった。また話したい。」と思ってもらいたい。

 

だから必ず、人と話す時には

「ちゃんと聞いてくれている」と思ってもらえるよう最大限の意識をしてコミュニケーションを取る。

 

私が1番嫌な事は、絶対に人にしてはならない。

 

どんなに話をしても、聞いてないなぁ。と感じてしまう人には、それ以降は絶対に長い話をしないようにするけれど、

いつか聞いてくれる。と信じている人には

その人が聞いてくれる日まで、期待をしたりする。

話し続けて、いつか。を願っていたりする。

 

私はきっと、他人に期待をしすぎてしまうのだろう。

だから、できるだけ幻滅をしたくないからこそ、

プライベートで人と関わる事は避ける。という選択してきてしまったのだ。

 

きっと私は人が好きだ。たぶん、話す事も、触れ合う事も大好きなのだと思う。

 

〝人見知り〟

という言葉で安易に誤魔化してはきたけれど、

私は未だに自分に勝てていないだけだと思う。

逃げているだけだと思う。

 

私は自分の弱さをすべて理解していて、

後は勝つ努力をするだけなのだ。ということもちゃんと理解しているくせに

それを〝何か〟のせいにして逃げてきた。いや、現在も逃げている。

 

〝馬鹿らしい〟と、笑う人を見て、〝悔しい〟と抱く感情もいつしかどこかに置き忘れてきてしまった。

それを〝仕方なかった〟と、過去に委ねすぎてきてしまった。

 

どうして私が今、このように自分の弱さと向き合う試練を与えられているか。は、越えてから見る景色に興味が出てきたからだ。

今だからこそ、与えられている。という事に気付けたのだと思っている。

 何よりも、勝った感覚を知りたい。と思えている。

 

頑固なまでに我儘な私は、人の言葉を〝他人〟と言い張った。

私に優しさで掛けてくれているはずの言葉を、〝八つ当たり〟と言って、塞いだ。

 

そう、私は相当に捻くれている。

自分は自分だから。と包み込みすぎてきてしまったんだ。

 

だからこそ、まずは

深海に潜り込むように、私自身の深いところから

〝真っ直ぐさ〟を取り戻しにいかないといけない。

それは、自分に勝っていく為に1番必要となるモノのような気がするから。

 

何度、負けてもいい。

でも、まずは勝つまで私は私を愛せない。という事だけは気付けた。やっと。

 

先は長い。

まだまだ、死ぬ間際に「幸せだった」と言えるまでは随分あるだろう。それまでちゃんと立って生きよう。

 

だって私の目標は、

ちゃんと綺麗に死んでいく事だから。それだけだから。