愛してあげる為には、勝つ努力。
自分に勝つ。
きっとこれは永遠に、私の課題だろう。
私は、店員さんの目を見ない。
なぜなら、店員さんに話しかけられても、
瞬時に私はスイッチを入れて、装いモードにしないといけないからで
それは、まあまあエネルギーのいることだから。
疲れてしまう。
どうして、プライベートの時間に無駄なエネルギーを消費しないといけないんだ。と、思ってしまうから
できるだけ、省エネモードで生きるようにしてきた。これまでは。
しかしながら
誰かと話す時に、私は相手が「あーこの人、人と話すことが苦手なんだな」とは、どうしても思われたくなくて
「この人すごい話を聞いてくれる。話せてよかった。また話したい。」と思ってもらいたい。
だから必ず、人と話す時には
「ちゃんと聞いてくれている」と思ってもらえるよう最大限の意識をしてコミュニケーションを取る。
私が1番嫌な事は、絶対に人にしてはならない。
どんなに話をしても、聞いてないなぁ。と感じてしまう人には、それ以降は絶対に長い話をしないようにするけれど、
いつか聞いてくれる。と信じている人には
その人が聞いてくれる日まで、期待をしたりする。
話し続けて、いつか。を願っていたりする。
私はきっと、他人に期待をしすぎてしまうのだろう。
だから、できるだけ幻滅をしたくないからこそ、
プライベートで人と関わる事は避ける。という選択してきてしまったのだ。
きっと私は人が好きだ。たぶん、話す事も、触れ合う事も大好きなのだと思う。
〝人見知り〟
という言葉で安易に誤魔化してはきたけれど、
私は未だに自分に勝てていないだけだと思う。
逃げているだけだと思う。
私は自分の弱さをすべて理解していて、
後は勝つ努力をするだけなのだ。ということもちゃんと理解しているくせに
それを〝何か〟のせいにして逃げてきた。いや、現在も逃げている。
〝馬鹿らしい〟と、笑う人を見て、〝悔しい〟と抱く感情もいつしかどこかに置き忘れてきてしまった。
それを〝仕方なかった〟と、過去に委ねすぎてきてしまった。
どうして私が今、このように自分の弱さと向き合う試練を与えられているか。は、越えてから見る景色に興味が出てきたからだ。
今だからこそ、与えられている。という事に気付けたのだと思っている。
何よりも、勝った感覚を知りたい。と思えている。
頑固なまでに我儘な私は、人の言葉を〝他人〟と言い張った。
私に優しさで掛けてくれているはずの言葉を、〝八つ当たり〟と言って、塞いだ。
そう、私は相当に捻くれている。
自分は自分だから。と包み込みすぎてきてしまったんだ。
だからこそ、まずは
深海に潜り込むように、私自身の深いところから
〝真っ直ぐさ〟を取り戻しにいかないといけない。
それは、自分に勝っていく為に1番必要となるモノのような気がするから。
何度、負けてもいい。
でも、まずは勝つまで私は私を愛せない。という事だけは気付けた。やっと。
先は長い。
まだまだ、死ぬ間際に「幸せだった」と言えるまでは随分あるだろう。それまでちゃんと立って生きよう。
だって私の目標は、
ちゃんと綺麗に死んでいく事だから。それだけだから。