神様のお気に入り。
「君だって、神様のお気に入り」
今日、感動を覚えた言葉。
「志のある3流は4流」
昨日、衝撃受けた言葉。
日々、言葉を目から、そして耳から脳みそに入れ込んで
その後、心へ流し込む。
私の心の、「人生に必要そうボックス」の中身が増えていくことが最近は、嬉しくて仕方がない。
ある日の友達との会話
「浮気してしまうのかなぁ」
「うん、無い。とは言えないよね、結婚してもお互いが」
「不倫するってどんな気分だった?罪悪感とかあった?」
「それは最初だけだね」
「結婚してて、ちがう人と何かを始めるキッカケってなんなんだろ。理性とかをどうやって越えるの?」
「うーん、何かお互いの相手に不満を抱いていて、責めていて、それを補ってるだけなんだ。って自分を肯定してるのかもしれない」
「あぁ。罪悪感はその後?」
「罪悪感というよりも、なんていうか、諦めのような」
「あ、なんか昔こんな言葉があったよ
“傍にいて欲しい人ではなく、いなくなって悲しい人を選びなさい”」
「あ、そう、自分はこの人の子供にとっては憎い存在で、子供にとってのこの人は、いなくなって悲しい人なんだ。って思って辛くなることはあったなぁ」
この1年、その友達は、自分の悪いところを成敗しようと必死に生きた。
自分がこれまで犯してきた罪を償おうと必死に生きた。
私は、その友達の越えようとした事も、下唇噛み締めながら自分を憎んでいた事も
全部、この目で見てきたつもりだった。
そして友達が最後に言った
「私、もう罪は償えたかな?」
「今が幸せだから怖いの?」
「うん、全部とは言わないけど、少しは償えたのかな?って」
「あなたは、頑張ってここまできたよ。
私は全部見てきたつもりだよ。頑張ってた。
だから今こうやって色んな事を考えられてる。昔の君は人の事なんて考えられなかったし、全部自分が正しい。でやってきた。
だけど、今は違う。自分のやってきたことを“過ち”だと捉えて、今だって償おうとしてる。何かを感じようとしてる。
越えようと、変えようとしてる。それだけで全然1年前とは変わってる。
まだ償えた。とは、私には言えないけど、今、胸を張れる幸せを見つけられたって事は、ちゃんと進んでこれた。って事だと思うよ。
これからも成敗していかないといけない事があったとしても、今の君なら必ず償える。って思うよ。」
私は、その友達が力強く生きる姿に何度も救われてきたし
その友達と何十年も一緒にいるけれど
自分の弱い所とか、寂しい時とか、辛い時とか1度も話した事はないけれど
私は、私の全部を知ってもらってる。って思えるし
私は、この人の全部を知ってる。って思う。
たぶん、彼女が、誰かを殺して殺人犯になっても、
強盗犯になっても、私は彼女を信じると思う。信じ続けてるんだと思う。
私にとっての彼女は
「傍にいて欲しい人ではなく、いなくなって悲しい人」
なのだと思う。
この先、私が誰かと永遠の愛を誓うとするならば
その人が、いつか何もかも無くなってしまったとしても、愛していけるかどうかで選ぶのだと思う。
何もかも抜いても、その人を愛してるか。一生一緒にいたいか。を考えると思う。
私にとって
いなくなって悲しい人かどうか。を考えると思う。
つまり、中身を愛してたい。
日々こうやって沢山の事を学ぶ。
周りにいる人や、こんな私にでも関わってくれている勇者たちから学ぶことが、数多くある。
ひとつひとつの大切な言葉、愛、温もりを
私の心の「人生に必要そうボックス」に全部しまい込んでく。
そして、改めて
みんながいてよかった。って思う。
そして、まだ生きよう。って思える。
みんなのそばで生きていきたい。って思う。
だって私も君たちも
「神様のお気に入り」だから幸せになれるんだって思うから。
幸せになっていいんだ。って思うから。