れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

安易を使いこなせ。

制限は、たった140文字。

そこでどうやって自分を表現してきたのだろう。

安易。

 

既読。

そのマークをいつから当たり前に受け止め、切なくなっていたのだろう。

安易。

 

 

空っぽさ、未熟さ、浅薄さ

安易な中に潜む、不信感、嫌悪感。

突如襲いかかる、破壊衝動。

 

もっと確かめ合える手段は沢山あるはずで

もっと伝える方法は沢山あるはず

なのに

どうしてもっと、貪欲になれないんだろう。知ろうとできないんだろう。

流されていくのだろう。

 

だからといって

順応性の無い人にはなりたくない。

知らない大人にはなりたくない。

ちゃんと熟していたい。覚えていきたい。

 

大切なのは、安易さに身を委ねすぎないことで

安易さに甘える自分に怒りを覚えることで

安易さの中でも抱き続けることだ。

 

誰かの真似をして喜ぶ大人。

安易さに身を委ね、我を見返らない、協調性に欠けた大人。

人から貰った大切な言葉たちを粗末にする大人。

信じすぎる大人。

 

このような

安易さという、ぬるま湯に浸かり、ドシンと構え動こうとしない大人にだけはなりたくない。

きちんとそれらを睨みつけていたい。

 

幻想的だともいえる、美しいものの裏側を私は睨んでいたい。

 

決してそのものは与えてない。

勝手に与えられたように思い込んでいるだけだ。

 

私の日常に散らばった安易たちを上手に使いこなせる人に私はなりたいと思うのであった。

その色はオレンジ。

ある日を境に

見てる世界が、まるでリニューアルされたようだった。

その色はオレンジ。

何か大きな理由があった訳じゃないが

私はその日から毎日、今日見た夢の話をして、現実を始める。

 

夢と現実を行き来して、

人間らしく。を必要以上に意識して過ごす。

 

朝昼晩のご飯の時間

お風呂は湯船にしっかり浸かること

朝は早く起きて、夜は早く寝ること

朝にこのブログを更新して、自分と向き合ってから1日を始めること。

 

1日を過ごす中で、フワッと訪れてきやがる

恐怖とか、不安には

目をつぶって向き合うようにした。

「わたしはいきてます。」

と、認めるようにした。

 

私の生活が、誰かの生活と交わる時が来たら

ちゃんと順応できますように。

幸せをちゃんと感じれるようになりますように。と

 

 

あの日、積み木が崩れてしまってから

私はずっと、散らばった積み木たちと過ごしてた。

崩れてしまった事を

見ないように。見ないように。と目を背けてきた。逃げてきた。

絶望を知るのが怖かった。涙を流すのが億劫だった。

現実とぶつかる事に疲れてしまった。

 

でもそれは長くは続かなくて

積み重ねてきたものは、その場に散らばったものは

ある日突然襲いかかってくる。そんなのに前触れなんて無い。

「あれ?何かが足りない」

と、積み重ねないといけなかったモノの存在に気付く。

 

大切な何かを忘れていたのだ。と気付く。

失っていたのだ。と気付く。

 

それが本当の恐怖だった。

 

あの日、崩れてしまった状態のままのモノを

一つ一つ埃をはらいながら、掘り起こし、思い出していく作業は

思っていた以上に、逃げる事以上に辛かった。

心を削ぎ取っていくような、自分の身を自分で刺し続けるような

何とも言えない虚しさと、悲壮感に包まれた。

 

でもそれが、“人間らしく”だった。

 

外に出る前に、スイッチを入れ替える。

人と会う前に、スイッチを入れ替える。

腐敗し、無の私を必死に隠し続けた。

私はしばらく“人間”を演じ続けてた。

 

悲しいね。

と、私は私に言いたい。

 

 

こうやって自分を切り刻む姿を誰かに見てもらうことに

私は何の快楽も得られていない。

むしろ苦痛だ。みすぼらしい。

 

でも、必死なのだ。

 

見える世界がリニューアルされたあの日から

何かが変わっていて、その何かを見つけたくて必死なのだ。

 

今だって私は私の為に、この文章を殴り書いているつもりだが

でもほんの少しだけ、

もしも明日死んだら。という事も考えてて

誰かに伝われば。とも思っていて

いつかこの綴っていく文章が、ダウナーじゃなくなったなら

人間になれたのだ。と思ってほしいなって願っていて

でも、どこかで

それはつまらないな。と感じて欲しい。

 

本当は、“欲しい”が溢れてる。

 

まあ、たとえ、私が私を取り戻したとしても

黒い何かを育て続けて生きていくのだろう。味方にしていくのだろう。

 

いつか誰かが私に抱いてくれた興味が欲しい。

もっと認められたい。

 

その日まで、私は今日の夢を語り、現実を生きる。

“人間らしく”生きて、

取り戻しに、生きる。藻掻き、生きる。

 

そう、その色は、オレンジ。綺麗なオレンジだ。

 

 

恵方巻きについて考える朝。

「恵方巻き」の画像検索結果

こんな恵方巻きを食べてしまったら、来年から何を食べるのだろう。

最後の晩餐クラスの高級食材を詰め込んで、クルッと巻いてしまったら

その一年は何を食べて過ごしていくべきなんだろう。

 

恵方巻き」と検索した事を酷く後悔した朝

私は、今年の恵方巻きについてを考えていた。

 

恵方巻きの中に入れたいもの・・・

何をクルッと巻いて私は喰らいつきたいか・・・

 

うーんそうだな

 

勇気、希望、欲望、幸せ、愛、忍耐、強さ、多少の事で砕けないメンタル、超える力

これを、2017年の方角

北北西やや北

に向かって喰らいつきたいかな。

 

願いごとは、そうだね

「コレすべて必ずください。私がコレを食べ終わった瞬間からです。ええ全部です。」

と、心で願いながら最後まで黙って食したいかな。

 

そうするとたぶん私、2017年には最強になれるのでしょうね。

それも、恵方巻きのお陰で。

 

あーあ

くだらない。すごく。しょーもない。

 

 

冗談はここまでにして

多分、今年の私の節分はスーパーの少し高いくらいの恵方巻きで過ごすのだと思う。

でもそこには、ただ一つだけ信念があって

スーパー玉出のだけは許さない」

これだから、それ以外なら何でもいいかな。

なんだって良いや、別にこだわり無い。

 

 

そして、次にやってくるのはバレンタイン。

 

バレンタイン=チョコレートという概念がそろそろ鬱陶しくならないものかね。

なんでもいいじゃないか

 

“好きな人に思いを伝える日” “愛の誓いの日“

このようなトラディションはすごく素敵だから、どうぞ続けていってもらいたいのだけれど

チョコレートに固執している国民が多すぎるのか、

バレンタインシーズンはどこのお店行ってもチョコレートが山積みになっているか

手造りキットや、ラッピング系がお店の殆どを占領してくれてる。鬱陶しい。

それを見るたびに

「チョコレートじゃないといけない!みたいな空気出すなよな・・」

と、歯向かいたくなるものです。

私はほんとに捻くれている。と、自負をちゃんとしてます。

 

なので、バレンタインに恵方巻きをプレゼントするのも良いんじゃないか。

とかを考えてみたけれど

それなら普通にモツ鍋が食べたいだろうし、ローストビーフが食べたいだろうな。

 

じゃあ、節分には恵方巻きを食べるとして

バレンタインにも恵方巻きを食べて

クリスマスにも恵方巻き食べて

今年のどのイベントでも

北北西やや北

の方角を向いて恵方巻き食べたら、いっぱい願い叶えてもらえるチャンスありそうじゃないか。

 

そもそも、北北西やや北ってどこだよ

いつも思うけど、細すぎ!!

 

それに、誰が願いを叶えてくれるの?

鬼?神様?誰?

恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん。年神様の別称)のいる方角で、その方角に向かって事を行えば何事も吉とされています

としとくじん。。。だれ?

まあ、そのとしくんが叶えてくれるんだね。わかった。

 

つまり、ココにも記載されているように

その方角に向かって事を行えば何事も吉

だということだから

節分の日だけに限らずという訳ですよね

 

なら、さっきのどのイベントの時でも恵方巻きを喰らうというのは、良い発想じゃないか!

あっぱれ!

 

まあ、絶対的なのは

さあこはクリスマスにはケーキとチキンを食べるし

バレンタインにはチョコレートや、クッキーを食べると思うし

エープリルフールには嘘を付くし

ハロウィンには、みんなにお菓子頂戴!ってクレクレおばさんするつもり。

 

何があっても、恵方巻きは節分にしか食べないかな。

しかも方角にも向かないかもしれないし、黙っても食べないかもしれないな。

 

好きにやらせてもらうかな。

 

こんな事言っちゃえば、元も子もないのだけれど、

こうして無駄に色々と考えて

また元の位置に戻ってくるのが私は大好きなのだ。

 

とても良い時間を過ごした。

 

今日のブログは、ご覧の通り

どうしようもない程くだらない内容だったけれど、

みんなも恵方巻きについて一度考えてみればいい。

そしてみんなにとっての「いつも通り」の節分を過ごしてください。

 

そして、節分の日には必ず

私の鬼を退治しにきてください。待ってます。

 

隠すべき夢の話。

その人が私に求めるモノは、「安心」だろう。

 

「君はみんなと違う僕を見てくれている気がする。優しいね。」と、眠る前に私に弱音を吐いた。

 

その人を見てると、彼と出会った頃の事を思い出す。

 

弱々しくて、今にも壊れてしまいそうで、

誰かに認めてもらいたくて必死で、もがき苦しんでて、

死にたくても死ねないのは、きっと希望を沢山もっているからで、自分をまだ信じ続けているからで、

まだ沢山の力を秘めているから。

 

それを受け止めてくれる誰かにまだ出会えていないのだろう。

誰の前でも、丸裸になれないから苦しんだろう。

 

私はその人を見つめながら、

「何かあるなら聞くからね。たとえそれが汚くても、弱くても私は幻滅しないと思う。だから安心して生きてね。」と言って、おやすみ。と撫でた。

 

 

でも、その人は彼では無い。

 

 

だから、私がこのような言葉を吐く事はズルイ事なのかもしれない。でも仕方なかった。

 

罪悪感を感じながら、私はその人を撫でていて、

この人の全てを愛してくれる人に、この人が出会えますように。と祈った。

 

 

彼と出会った頃、彼は私に何も見せてくれなかった。

何を聞いても、嘘をついて、何かを沢山隠した。

たまに悲しい目をして遠くを見つめる彼の横顔を眺め、私は誓ったのだった。

 

「絶対いつか、この人の全てを抱きしめてやる。絶対この人になる。」と誓ったのだった。

 

しかし、さらけ出してもらう事は、決して簡単じゃ無かった。

 

でも、それは

当時の私に受け止められるほどの器が無かったからなのだと今なら解る。

たとえ、さらけ出されたとしても、眺めるだけで何もしてあげられなかっただろう。

 

だから彼は、少しづつ少しづつ近寄ってきてくれた。

少しづつ少しづつ見せ続けてくれた。

 

そうして、私と彼には今の「安心」がある。

 

 

だから、

その人が私に弱さをさらけ出し、悲しい目をした時、思った。

彼のおかげだ。と素直に思った。

 

その人は、当時の彼のように「君には器が無いから、見せれないよ」とは言わなかったし、

「いつもどこが皆とは違うところを見て、満たしてくれてありがとう。」と笑ってくれる。

 

誰にも見せたくなくて必死に隠してあるはずの部分。

その人の黒くて塊になった弱さを、抱きしめてあげられる、この能力は

彼との日々で身についた、この能力は

確かにしっかりと私に備わっていた。

 

 

たぶん私は変わらず、ずっと彼が好きだ。

 

 

違う人の弱さに寄り添い、撫でている間も

私はずっと彼が好きだろう。

 

だけど、彼のような人を見離す事もできない。

そう、これは私の弱さだ。

 

 

私が惚れて離せなくなった、その弱さは

私とも同じだから。私の弱さでもあるから。

 

 だから生かしてあげたい。

私を生かすように、彼を、その人を生かし続けてあげたい。

 

 

だから、まだここは弱くてもいい。

 

と、そんな夢をみた。隠すべき夢の話を。

 

生きようとする事は苦しいが、うれしいね。

鏡に写った腫れた目を見て、思い出す。

 

「私、きのう、苦しみながら生きようとしたんだった」

 

昨日、久しぶりに過呼吸になった。

苦しくて死ぬかと思った。

 

昔、満員電車で急に息ができなくなって、

途中で降りた見知らぬ駅でずっと下を向いてた。

そして自分の靴の先を睨みながら、

明日が来なければいいのに。って何度も願った時、以来だった。

 

私が人混みが嫌いなのは、魂が奪われてしまいそうだから。

スッと何かが抜き取られていくような感覚が嫌いだから。

 

私が必要以上に人と会うのを避けるのは、

無理してしまうから。強い人を演じようとしてしまうから。自分が奪われてしまうから。

 

そして、そんな理由たちが、昨日のような崩壊へと導く。

 

それでも人混みに行かないといけない時もあって

人と会わないといけない時だってある。

だからといって、それを避けて通りたいとも思わない。

できるなら、人混みに、行きたいし、人とも会いたい。って思う。

 

だから私はいつも、自分の存在のヘタクソさを惨めに思う。憎いなって思う。

 

わたしはいつの時でも生きようとする。

過呼吸になっても、必死で息をしようとするから

そう、生きようとするから、苦しくて涙が出る。

 

次の日の腫れた目が私に

「ちゃんと生きたね」と言って私を睨んだ。

 

「絶対、今回は逃げてあげない」

と私は言い返して、いつもより念入りに顔を洗った。

 

 

こうなる時は、向き合っている時だから

必死に立とうとしている時だから

生きる事にメラメラと何かを燃やしている時だから

私は、ちゃんと進んでいる。

 

過呼吸になった時

「また戻ってきてくれてありがとう」と

はじめて自分を責めなかった。

 

私は、すごく前向きなんだ。

このブログをはじめてから

確かに何かが変わってる。

確かに戻ってる。

 

またちゃんと話せるようになったら、聞いてね。

 

参ったなあ。

「参ったなあ」

これが最近の口癖。

 

例えば

細くて弱々しくて、今にも切れてしまいそうな糸を、慎重に目的地まで繋げようとするのだけど

切なくも、私はその糸にそこまでの期待をしていなくて、

案の定、目的地手前で切れてしまった糸を

ただ眺めて「参ったなあ」と一言吐き、仕方ないで終わらせているような感じ。

 

その糸を太く頑丈にする手段はまだ解らなくて

今の私が必死で紡いだ糸が、果敢無げで弱々しい事はとても必然的なのだから。

 

でもただ、微かであっても

糸を紡げられたという事が、今の私には重要で

それを一瞬でも目的地にまで繋げようとした。という事実だけが必要なのだ。

 

「参ったなあ」と言って、何度も何度も紡ごうとする。

いつか、その糸に期待できる日はくる。と信じている。

 

ただ、その糸は、外的要因によって切られてしまう事もよくある。

 

太くて頑丈だと、千切れてしまう訳がない。と勘違いされて

激しく揺さぶられてしまい

なのにその糸は音もたてずにアッサリと切れてしまうものだから

「なんでそんな弱いの。」と呆れられてしまう。

 

そして「参ったなあ」と言って、私はまた糸を紡ぐ所から始めていく。

幻滅もしないし、泣いたりもしない。

 

よくわからないかもしれないけれど

そんな感じで、慎重に慎重に糸を紡ぎ繋げる作業をずっと繰り返しているような毎日。

 

そう

私は決して、強くない。

 

だけど、強くなくてもどうにかこうにか、自分を越えていかないといけなくて

糸を太く頑丈にできる手段を見つけないといけなくて

目的地にちゃんと繋げないと私は死ねなくて。

 

上手くいかない事ばかりだけど

「参ったなあ」で、私自身を励ましていく。

希望は必ずどこかで眠っていて、覚ましてあげないといけないから。

 

あと少しだ。

ここまで来た。たぶんあと、もうちょっとだ。

神経質な脆い糸を紡ぎながら、私は少し微笑んでしまう。

 

そして、少し人間らしい自分が恥ずかしくなって、私は一言呟くのだ。

 

「参ったなあ」

 

 

しんだって、いきようとしたよ。

たまにはニッキらしいニッキでも良いじゃないか。

いや、違うよ。そんなんじゃなくて、ただタイトルの無い文章を殴り書くのもいいか。

 

ま、そんな感じでやっていきます。

 

少し前、睡眠とは喧嘩をして、

私は頑固だから、元の距離感に戻せなくなってて、ずっと素直になれないで今日まで過ごしてた。

 

ただ、近頃は全く眠れない時より

夜にはちゃんと身体は眠たくなってくれる。そう、人間らしく。

すると、少しだけだけど、睡眠が私に訪れてくれる。少しだけだけど私を許してくれる。

 

しかし睡眠が私に与えてくれる時間は、

たった4時間とかそこらで

パッと手を離され、突き放された感覚で目覚める。

 

それが悲しくなる時もあるけど、

「まあ、仕方ないよな」ってなるから(次はどうやろうかな)と、睡眠との自然な距離の戻し方を考える。

それがまぁまぁ楽しかったりする。おかしいけど。

 

 

不思議にも睡眠が4時間とか5時間だからといって、

身体がしんどい。とかも特に無くて、

4時間でも、ちゃんと夜に眠たくなってくれるから

前より沢山1日を過ごせているような気分になる。

だから意外にも、幸福感はすごいある。おかしいけど。

 

でもね、ここまでくるのも大変だった。

 

喧嘩してすぐの頃は、寝ても寝ても脳みそだけが起きてるような感じで、

やっとスッと眠りに入れたと思っても1時間とか、それより短い時間で目が覚めてしまってゲンナリしてた。

ガッカリして、メソメソした。

どうしたんだい?って言ってくれる人はいなかった。

太陽みたいにも笑ってないから仕方ないけど。

 

 

ご飯だって、生きてかないといけないから

口には入れるけど、味がしなかった。

怖くなって、大好きなものを食べてみても

前のようにニコニコしなかった。

 

それはそれは怖かった。闇みたいで震えた。

ついに私は、人間を辞めてしまったんだ。って、絶望した。

 

だから私

いま残されてる、欲望を数えてみた。

 

すると、たった1つだけ出てきた。たった1つ。

 

「君がここにいればな。」

 

 

 

なんかもう諦めたくなった。ぜんぶ。

息を吸う事とか、泣いたりして期待をしてみたりする事とか、

早く元に戻らないと。っていう自身に与えてるプレッシャーも邪魔だと思った。

もういいかな。って、ほんの一瞬だけ思った。

 

だけどわたしには

支え、信じ続けていてくれる人達がいることを思い出した。

だから、ただただ、口に食べ物を入れ続けた。

 

 

こんなわたしであっても

優しい言葉をかけてくれる人がいて

気にかけてくれる人もいて

今までと違う方法で支えてくれる人もいて

感情をすべて受け止めてくれた人もいて

 

ごめんなさい。って謝り続けていたら

やっと、ほんとにやっと、ここまで戻ってこれた。

 

今だって、私はお腹が空いてる。

 

そんな当たり前のことがこんなに嬉しいなんて思ってもなかった。

 

テレビを見ても、くだらなくて、すぐ消してしまっていたけど

昨日、2時間半くらいテレビを見た。

笑えた。あー面白かった。って見終わった後に口に出して言った。

眠たくなったから、テレビを消して、眠りについた。

 

幸せだった。生きてるって幸せだった。

 

そしてまだ4時間だったけど

睡眠はやっと抱きしめてくれたような気がした。

 

何を言っているんだ。って誰もが思ってるかもしれないけれど、

こんな当たり前の事ができなくなって

何も感じれなくなる事は、本物の孤独だった。

怖すぎて消えたくなるくらいだった。

 

当たり前に感謝しないといけない。と教えてもらったのだと思う。

ちゃんと知っておかないといけない感覚だったのだと思う。

「やっと気付けたね。これからだよ。」

と、神様はそう言って優しく笑ってくれる。

 

 

わたしは、今日だって

明日に期待をして、息をして、温もりを預けて

いかれたわたしを見せつけて

きみたちにも期待をして、求めてく。

 

人間をしていく。

これからもずっと、生きていく。

 

悲しい時に泣いて、嬉しい時に笑って、眠たい時に眠って

お腹が空いたら、美味しいものを食べて

恋しくなったら、好きだ。と言って

駄々をこねながら、やっていく。

 

日々に噛みつきながら生きていく。