れしをそう。

嘘。そう全部、嘘。Twitter:@nisemonoko

“劇的”までの一歩が難しい

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「これ、火が通ってんのか」

 

突如、店内に響き渡る男性の大きな怒鳴り声

恐らくプロのクレーマーだと思う。

 

書き物を始めよう!とパソコンを眺めていたはずの目線は、

完全にクレーマーから外すことができなくなってしまった。

 

「いけない・・・」と心では分かっているのだけれど

野生ライオンの捕食シーンなんぞ好奇心を奪われるに決まっているじゃないか。

ゴックンするまでは、見届けたいに決まっているじゃないか。

 

クレーマーライオンは、若いアルバイトの女の子から本部の連絡先を聞き、

それでもまだ「ホウレンソウに熱が通ってなかった」と、まるで壊れたロボットみたいに何度も何度も同じセリフをループしている。

 

「誠に申し訳ございません」

アルバイトの女の子も壊れたロボットみたいに何度も何度も頭を下げている。

 

それにクレーマーライオンが所々に挟む「わしもレストランをしているからな」という無意味な報告がなんか笑ける。

こうやって第三者は、吞気に笑っていられる。いい気味だ。

 

しかし、ライオンがその場で獲物を喰らうことは無かった。

 

最終的に、後で本部に連絡をするということで店を去っていった。

 

私は、心底ガッカリした。つまんないな。

 

ま、落胆したところで

久しぶりの「れしをそう」を始めましょうか。

 

お金を煙に変え続けた日々にありがとう

最初に私が紙たばこを吸い始めた頃のことは、

なんか色々と面倒くさいので伏せておくとして、

紙たばこから電子タバコ「アイコス」へチェンジしてから気が付いたら早2年が経ってしまった。

 

最初は「煙が嫌」という理由からで、

「そのままやめれたらいいな」という、ぼんやりとした期待を抱き私はアイコスユーザーになった。

 

当初の想像では、半年間でアイコスをやめて、

全席禁煙の綺麗な空気の中で、何不自由なく優雅に美味しいコーヒーを飲んでいるはずだった。

 

はずだったのに・・・

気が付いたら2年間も私は、

カフェや飲食店を探す時には「喫煙OK」に踊らされ続けて、煙たい密室に閉じこもってきた。

 

しかし、アイコスユーザーになってからというもの、

服や髪の毛に染み付くタバコのにおいが受け付けなくなっていた。

 

なのに、それでも尚、

私は煙たい密室へ何度も何度も入り続けてきたのだ。

何も凄くないけど、勇者だと思う。

不健康へ立ち向かい続ける勇者。

 

だが、ふとタバコの“無駄”を数えてみることにした。

これから煙になるはずの“お金”を数えてみた。

タバコに奪われる“時間”を数えてみた。

 

するとどうだ

タバコを捨てた未来を想像することで、

これまでどれほどの“大切なもの”を失ってきたのかがわかる。

手に取るようにわかる。

 

「やめれない」と嘆くことさえも“無駄”で、

タバコに縛り付けられているアクションに、産まれて初めて“窮屈”だと感じてしまった。

 

何より彼と一緒に想像した未来の方がよっぽど楽しそうでワクワクした。

タバコのない私たちの方がよほど幸せそうだった。

 

だから私は「タバコをやめること」を決意した。

もう決めたのだ。

 

ただ、何年も何年も煙を吸い続けてきた身体が急に吸えるのは「空気のみ」になるのだから、

そりゃあ簡単ではないだろう。

 

でも周りを見渡してみると

気が付いたらどのお店も「全面禁煙」の貼り紙が付けられていて、

「喫煙者」というだけで、古い人間をみるような目で見られて、

いずれ私も結婚して子供を産む日がくるとして、

そうなった時に「喫煙者の母」なんて死んでも嫌だと思っていたし、

世界はどんどん“健康増進法”が改正され続けていくだろうし、

「自由」を手に入れるためには「不自由」を手放すことから始めるべきだと思うし、

だから、だからね、やるしかないと思うわけで。

 

だからもう何があっても戻れないので、

わざわざココで、こんな形で、皆に報告しておこうと思ったのです。

 

自分の首をできるだけ絞めて「ま、いっか」を許さない私になろうと。

 

さあ!皆さん!見ててください!

タバコのない私を見てくださいませ!

 

そして、いつか全席禁煙のオシャレなお店で

美味しいパニーニを食べようよ。

笑顔でね。

 

秋が来るまでには、今までと違う私で。

2019年9月

今年も残り3ヶ月。

 

聞いてはいたけど、歳を取ると1年が秒で過ぎ去ってしまう。

「何かをしよう!」と決めても、始めるまでに1年が終わっている。

 

そうは言っても、この1年間で

親友も弟も結婚をしたし、職場の人は母になったし、

知り合いは2人目を出産したり、会社を立ち上げたり、家を建てたりしてて

ちゃんと皆は1年間を無駄使いせずに生きていたんだな。って思って

何もしなかった自分自身にガッカリする。

 

「生きていた」

それだけで十分じゃないか。と思っていたけど

皆も同じで生きていただろうし、頑張っていただろうし、

私も「チャレンジ」をしなくちゃいけない。

 

今まで通り生きながら、チャレンジをしないといけないね。

 

大嫌いな夏も乗り切ったことだし、

今までよりも少しだけ“我慢”とか“苦しい”とか“難しい”に立ち向かっていこう。

 

もうちょっとだけ自分を苦しめてみよう。

“泣くため”ではなく、“変わるため”の痛みに耐えてみようと思う。

 

来年の今日には

「劇的」というタイトルで1年を綴れるように。